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気力をなくした元バーテンダーが地獄あたりでバーをやるハメになりました  作者: 高山シオン


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地獄あたりのバーで

 地獄とも天国ともつかない微妙な場所に、西馬のバーが作られた。空には常に雲が垂れ込めてほの暗く、晴れることも荒れることもなかった。

 この日に限って、急に雨が降り出したのだ。

 それで西馬は思い出したくもない過去に、ひととき連れ去られていた。


 雨音が次第に弱まり、やがて聞こえなくなった。カウンターを磨き上げていた西馬は手を止め、入り口のドアを開いてみた。

 この世界に来て初めての雨は、すっかり上がっていた。しかし空は相変わらず、ぼんやりとした薄暗さのままだった。この空に晴れ間がのぞくことは、今後もきっとないのだろう。


 西馬はドアを閉め、カウンターの中に戻った。バーは営業している。しかし客なんか、ほとんど来ない。


 黒猫はカウンターの脇のクッションの上に丸くなっていた。この猫はただの猫ではなく、閻魔大王が遣わしてきた「使い魔」なのだった。普通の猫と見た目は変わらない。普通に可愛い。しかし怒るとめっぽう怖い。というかドSだ。鋭く長い爪で、気まぐれに引っ掻いたりしてくる。どうしようもない。


 気まぐれってところが実に猫らしい。


 黒猫の目がとろんとなり、今にも寝落ちしそうになった。しかし、急に耳をぴくりと動かし、そうかと思ったらスタッと立ち上がった。そのままカウンターの上を駆け抜けて、入り口のドアの前でしっぽをピンと立てた。


 カランコロン。


 ドアに取り付けられたベルが鳴り、入ってきたのは閻魔大王だった。閻魔大王の体は大きく、本来だったら入り口を通過できるサイズではないのだが、そこのところは筆舌に尽くしがたい特殊な力を持ってサイズダウンするらしかった。


「閻魔大王さま~ん。お待ちしてましたよぉ~」


 キャバ嬢さながらの猫なで声を出して、黒猫が閻魔大王の足元にすり寄った。西馬や獄卒たちの前では死んだってこんな声は出さないだろう。なんというか猫なで声の見本。なんたって猫だから。


 閻魔大王はそんな黒猫の頭をひと撫ですると、黙ってカウンターに座った。いろんな酒を飲んでみたいとか考えて、西馬を自分のもとで働かせている割に、いつも同じものばかり飲んでいた。

 閻魔大王の好物は「こんにゃく」であり、このバーには人間界の群馬県で作られている蒟蒻焼酎が常備してあった。


 どういうルートで酒を仕入れているのかは西馬も分からない。ただ、終わりそうになるタイミングで、獄卒たちが持ってくるのだ。


 閻魔大王が黙っている。黙っているということは、つまり、いつものやつで良いということだった。西馬はロックグラスを取りだし、丸く削った氷を静かに落とすと焼酎を注いだ。

 その様子を黒猫がクッションの上から刺すような目で見つめている。


(だから変なものなんか出す訳ないんですけど……)


 西馬が閻魔大王の前にグラスを置く。と思ったら、閻魔大王はグラスをつかみ飲み干してしまった。まるで水のような飲み方だった。

 カラリ……と氷が音を立てた。おかわりの合図だ。西馬は次のグラスを取るとすぐに蒟蒻焼酎のオンザロックを作って出した。これも一気飲み。閻魔大王のもとから赤みの強い顔の色がまったく変わらない。

 西馬はまた蒟蒻焼酎のオンザロックを出した。


(もういっそジョッキで出すか……?氷いらなくない?ストレートで良いよね?)


 西馬がタンブラーに蒟蒻焼酎だけを注いでカウンターに置く。閻魔大王の反応は同じだった。


(氷いらなかった……!)


 グラスのサイズが大きくなったものの、蒟蒻焼酎のわんこそば状態に変化はなかった。と、その時だった。


 カランコロン。


 入り口のベルが鳴った。振り返る西馬。そしてすぐに視線を逸らした。立っていたのは、衆合地獄の女獄卒トウ子だった。地獄で働いている獄卒には名前なんかない。トウ子というのは西馬がつけた名で、彼女がいる「刀葉の木」にちなんでいた。


 刀葉の木というのは色欲に目のくらんだ男専用の壮絶な地獄だ。木のてっぺんにお色気ムンムンの女が座っていて男をその気にさせて招きよせる。男が女とよろしくしようとして木を登り始めると、木の葉が全て鋭い刃になって男の体に突き刺さってくる。

 でも欲望に突き動かされて我を失っているせいで、体がズタズタになりながらも男たちは木のてっぺんまで登ってしまう。

 そして、女の姿が消えていることに気がつく。欲望のやり場がない。爆発しそうになる。

 そんな男の耳に、女の声が聞こえてくる。声は木の根元からで、見るとさっきの女が手招きしている。男は欲情に突き動かされて木を下り出す。するとやはり木の葉が全て刃となって男の体に突き刺さってくる。

 容赦なし。木の根元にいってみると女の姿はなく、今度は木のてっぺんで男を呼ぶ……という無限ループなのだ。


 西馬も痛い目に遭っている。しかし、それだけではなかった。このトウ子は何故か西馬に惚れていた。獄卒でありながら恋愛感情なんか持ってしまったから、自身のコントロールが利かなくなっている。彼女のトキメキ指数が急上昇すると自動的に刀葉の木が襲い掛かってくるという現象が起こっていた。

 例えば手が触れるとか、その程度のことで。

 初恋とはこんなもの。乙女に火が点き、恋心がノンストップなのだ。


 すっごい迷惑。ほんと、すんごい勘弁してほしい。


 トウ子はしばらく西馬に見惚れていたが、


「入らないのか?」

と言われて、我に返ったらしい。マンガみたいなぎくしゃくした歩き方で入ってきたと思ったら、閻魔大王のひとつ隣の止まり木に座った。


 ちなみに、「入らないのか?」と聞いたのは閻魔大王だった。でも、トウ子は閻魔大王の存在に気がついていないようだった。なんたって西馬のことしか見えてないから。


 西馬はトウ子に「いつもので良いですか?」と聞いた。トウ子は弾かれたように顔を上げた。その頬があっという間に赤くなっていく。


(危険!)


 西馬はボトルを取る振りをして、カウンターの中にしゃがみ込んだ。顔を上げると、何かの獲物を探すかのように無数の鋭い刃をつけた枝が勢いよくのびているのが見えた。刀葉の木マジ勘弁。


(ていうか、もう話しかけるのもダメなの……?)


 西馬は冷や汗を拭いながら、危険な枝を避けてブラッディ・マリーを作った。今回はもう2杯目からヴァージン・マリーにするつもりだった。ブラッディ・マリーからウォッカを抜いたやつ。つまりトマトジュースだった。


 カウンターに置かれたグラスに、トウ子が手を伸ばす。その手が緊張のあまり震えている。何をするにも西馬のことを意識しちゃって仕方がない状態なのだ。


 閻魔大王は蒟蒻焼酎を飲みながら、トウ子の横顔を黙って見ていた。この惨状を目の当たりにしているはずなのに、何事もなかったかのような落ち着きぶりだった。


(え!?なんで?)

 西馬は目を疑った。


 刀葉の木の枝がものすごい勢いで伸びて来たのに、閻魔大王は無傷なのだ。いや、よく見ると刀葉の木の枝が閻魔大王を避けているのだ。


(ず……ずるい!)


 閻魔大王はグラスを置くと、黒猫の顔を見た。黒猫もまっすぐに閻魔大王を見つめている。暗黙の了解。なんだろう、ふたりだけの世界的な。付き合っているのか。


 かと思ったら、「おい」と黒猫が言った。西馬が振り返ると、顎をしゃくってきた。こっちに来いという意味らしい。西馬が近づくと、また顎をしゃくった。もっと寄れということらしい。

 こんなことをしておきながら、顔を寄せたとたんバリッと爪を立てられる危険性がないとも言い切れない。

 西馬がビビっていると、黒猫がイライラし出した。


「早くしろ!」


「は、はい!」


 西馬が慌てて黒猫に耳を寄せた。すると黒猫が囁いた。


「お前あの女のこと抱いてやれ」

とんでもないことに……!

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