地獄から天国?
そんな訳で西馬は地獄に落ちた。たくさんの人に紛れて三途の川を渡り、何回かの裁判を受けて。死んだあとは閻魔大王の裁きにかけられるだけなのだと思っていた西馬にとって、それは予想外の展開だった。
でも、正直、興味がなかった。
生きている時でさえ、もう、どうでもよかった。
死んでしまった後のことなんか、なおさら、どうでも良くなっていた。
だいたいの人間が、閻魔大王の裁きによって地獄行きが決まると、ものすごいデカいリアクションをするものだった。嘆いてみたり、キレてみたり。すがりついてみたり。獄卒に引きずられてみたり。
西馬はそれらのどのリアクションも起こさなかった。
むしろ、閻魔大王が、
「ちょっと待てよ。いや、たしかにこいつは地獄行きだよね?だよね。間違ってないよね。ね」
と、自問自答したくなるぐらいのノーリアクションだった。
ミスチルもびっくりのノーリアクションだった。エゴとエゴが向かい合ってシーソーに乗りたくなるぐらいの。
西馬が落とされたのは、地獄の中でも1番の上層部に位置する「等活地獄」だった。一番の上層部に位置するということは、つまり、地獄の中でも最も刑が軽いエリアということだった。ちなみに、地獄の中で最下層に位置するのは阿鼻地獄で、「阿鼻叫喚」の言葉にもなっている。
ものすごい地獄だから行かないに越したことはない。
地獄に落ちても、西馬は何の感情も抱かず、ただ淡々と過ごしていた。地獄で罪人たちを責める役割をになっているのが、獄卒という連中だ。
獄卒たちは罪人を追いかけまわし、ぶっ叩き、煮えたぎった釜の中にブン投げいれたりしては、罪人たちのリアクションの大きさを誇りに感じていた。
それなのに。西馬のノーリアクションぶり。獄卒たちは西馬に対してやる気を失って行った。
そんな折。地獄のはるか上に位置する天国の池のほとりをお釈迦様がお散歩なさっていた。それで、なんとなく池の中を見ると、そこに地獄の騒ぎからかけ離れた静けさをもった男の姿が見えた。
他の罪人たちが泣き叫び、ぶちキレながら逃げ惑ったり戦ったりしているのに、その男だけはまるで何かを悟ったかのような落ち着きぶりで、お釈迦様の興味を引いたのだった。
それで、ふいに思い出した。
「あーこいつ、現世で蜘蛛を助けたやつだわ」って。
すると、美しい池のハスの上に、一匹の蜘蛛が休んでいるのが見えた。
(あー蜘蛛だわ)
お釈迦様は思った。
(これも何かの縁っぽい気がする。よしひとつ、あの悟りきった男をこちらに呼んでみるか。何か面白そうだし)
お釈迦様は白く美しい手を差し伸べると、休んでいる蜘蛛をその手のひらにお載せになった。すると蜘蛛は目をさまし、自分がどこにいるのかを悟ると、びっくりして尻からプッと糸を出した。
「あーその調子ですよ」
お釈迦様が静かに仰った。
「その調子で、ほら、あの地獄にいる男のところまで糸をたらしなさい。良いですね?」
「えマジむり」
蜘蛛は即答したが、お釈迦様は微笑みをたたえて仰った。
「大丈夫。あなたはやればできる子ですよ」
すると、蜘蛛もなんとなく自分はやればできる子のような気になって、尻からするすると糸を出した。糸はどんどん伸び、やがて地獄の男――西馬の目の前に垂れさがった。
西馬がぼんやりとした目を上げると、真っ暗な空の一部が妙に明るく光っていて、その光の中から美しい優しい声が降り注いできた。
「西馬よ。お前が生前、自分の身が危険にさらされているにも関わらず1匹の蜘蛛を救いましたね。その功績によって、お前を天国に招くことにしました。この蜘蛛の糸をのぼってきなさい」
「え?ちょっと何言ってるのかよく分からない」
聞き返す西馬。意味が分からない。
「ですから……!」
お釈迦様が先ほどのセリフをリフレインした。
「でも」
「いいから早くしなさい」
「……俺、こういうの登ったことないし」
「ユー・キャン・ドゥ・イット!」
「あ……はぁ……」
西馬はようやく蜘蛛の糸に手をかけた。すると、糸は細いが強く、しかも適度な粘り気があって意外と上りやすかった。
するすると登り続けて半分ほど来ただろうか。何やら足元が騒々しくなっていることに気がついた。
何事かと思いながら下を見ると、自分が登ってきた蜘蛛の糸に、数えきれないほどの罪人が群がっていた。罪人たちは、互いに踏みつけ、蹴っ飛ばし、殴り飛ばしなどしながら、我先にと蜘蛛の糸に手をかけ、やがてするすると登り始めた。
こうなると、まさに数珠つながり。
西馬は細い蜘蛛の糸が小さく悲鳴を上げたのを聞いた。
(このままじゃダメだ……)
もとより地獄から逃げ出すつもりもなかった彼だ。ため息ひとつの後、するすると糸を下り出した。すると、彼の尻に押されるようにして、罪人たちもずりずりと糸を下り出した。
「何すんだよ!」
罪人が叫んだ。
「お前たちは天国に行きたいのだろ?」
西馬が言った。
「一度にそうやって何人も糸にぶら下がっては、いつ糸が切れてもおかしくない。そうなると天国へは行けなくなる」
西馬の落ち着いた声が、目の色を変えて糸にすがりつき登ろうとしていた罪人をクールダウンしたらしかった。
「とにかく。数人ずつに分かれて糸を登るんだ。決して焦ってはいけない」
西馬の言葉を聞いた罪人たちが互いに頷き合い、律儀に列をつくると、順番に糸を登り出した。その周囲を獄卒たちがあたふたしながら見守っていた。しかし天国から垂れ下がってきた糸を目の前に、あまりのイレギュラーな出来事に対応することができないでいる。
やがて、等活地獄にいた罪人が誰もいなくなった。もとい、西馬だけが残った。この時、西馬は思っていた。
(なんか、静かになって、過ごしやすくなったな……)
しかし、その頃の天国は地獄になっていた。なんたって等活地獄にいた罪人たちがみんな蜘蛛の糸を登って天国に押し寄せてきたのだから。
あちこちで悲鳴があがり、逃げ惑う者、泣き叫ぶ者、なんだかんだで、とにかく大騒ぎになっていた。お釈迦様は蜘蛛を手のひらに乗せたまま、この予想外の展開を見守っていたが、やがて手にしたスマホっぽいものでどこかに電話をかけ始めた。
無欲な西馬は地獄から天国に移れるチャンスにも飛び付かなかった。そのおかげで騒ぎが起こってしまい……。




