凶弾
雲は低く垂れこめ、あたりを薄暗く陰うつなものにしていた。西馬を乗せた車は静かに走った。他に車はほとんど走っておらず、歩いている人影もなかった。
街並みそのものが死んでしまったみたいに見えた。
そういえば、世間は盆なのだった。きっと田舎に帰っているのだろう。
やがて、見たこともないような高い塀が姿を現した。車はその塀に向かって走り続けた。塀は高く、どこまでも続いていて、距離の感覚がおかしくなりそうだった。
車は塀のすぐ前に横付けされた。やはり、左右どちらを見ても、終わりがないような長い塀だった。
(金持ちっているものなんだな……)
なんてことを、西馬はぼんやり思った。だから、車がとっくに停まっていることにも気がつかなかった。
「おい」
隣に座っていた男が、いらだたしげに西馬を小突いた。
「降りろ。ぐずぐずするな」
西馬が車を降りると、車は走り去った。振り返ると男がふたり。奇妙なほどに目が爛々としている。空気が一瞬にして張りつめる。
この日、彼らはこの塀の向こうの豪邸に忍び込み、金品を強奪しようとしていた。そのために善人の振りをして念入りに準備をしてきたのだった。
「いくぞ」
と男のひとりが言い、別の男を伴って走り去った。
残された西馬の役は「見張り」だった。
車の1台も通らない。ましてや通行人もいなかった。果たして、見張り役など必要なのだろうか。西馬は電柱の後ろに身をひそめながら、早く時間が過ぎてくれればいいのにと思った。
いつ雨が降って来るかも分からないのに……。
西馬が思わずため息をついた、その時。
――ぽつり。
頬に水滴があたった。見上げると、また、ぽつり。垂れ込めた雲の下から、まばらな滴が落ち始めた。この後、豪雨になる予報だった。
いい加減に帰りたい……。
西馬がしびれを切らした、その時だった。塀の中から激しい物音が聞こえた。ガラスが砕けるような音に聞こえた。男の怒鳴り声が聞こえたような気がした。しかし中の様子は全く見えない。
また、ぽつり、ぽつり……。
雨が頬にあたる。先ほどより雨粒が大きくなったようだ。道路はすっかり濡れてしまっている。
西馬は耳を澄ませた。塀の中から何かの物音や声が聞こえてくるのではないだろうか?と思ったのだ。そんな彼の心境に関係なく、塀の中からは何の音も聞こえてこなかった。
雨脚がだんだん強まってくる。しかし、この場にいなくてはいけない。裏切りは許されなかった。
「パン!」
雨音を貫くようにして、何かが弾ける音が聞こえた。耳慣れない音だった。西馬は息をのみ、再び何かの物音がしないかと耳を澄ました。
塀の中からは何の音もしなかった。
しかし、遠くのほうからサイレンの音が聞こえてきた。救急車ではない。消防車でもない。パトカーのそれだった。かなり離れた場所から聞こえてくる。西馬は胸騒ぎがした。そのまま走り去ってくれと祈った。
祈りとは裏腹に、サイレンの音はむしろ近づいてくるように聞こえた。
やがて、塀の向こうの方から、先ほど走り去った2人が現れ、駆け寄ってきた。2人とも血走った眼をしていた。先ほどの物音について、聞けるような雰囲気ではなかった。
サイレンが近づいてくる。音のする方角を見る。先ほど、西馬を乗せた車が走ってきた道の向こうに、1台のパトカーが見えた。赤色灯を回転させながら、まっすぐに走ってくる。
と、別の方角から車のエンジン音が聞こえてきた。雨の中を黒い車が突っ込んでくる。
(やっと迎えが来た!)
その時、西馬は強い力で腕をつかまれた。驚く間もなく何かを握らされた。今までの人生で触れたことのないものだった。
それは拳銃だった。
(どうして……)
とっさに男の顔を見るが、射抜かれるような眼差しに言葉を失う。
タイヤをきしませながら黒い車が滑り込み停まった。
すると、ほぼ同じタイミングでパトカーが姿を見せ、やがて屋敷の門の前で停まった。彼らも、雨の中の黒い車に気がついたらしい。警察官が雨の中に飛び出すと、こちらに向かって走ってきた。
と、その時だった。西馬の腕が自分の意思とはまったく違う動きをした。すっとまっすぐに伸びた西馬の手には一丁の拳銃。その延長線上には走ってくる警察官。そう思った瞬間。
西馬の人差し指がぐっと抑えつけられた。発砲音が響く。腕にしびれが走る。
凶弾は警察官の肩に命中した。赤い血がほとばしる。そのまま、水たまりの中にくずおれていった。まるでスローモーションのように見えた。
それは一瞬の出来事だった。西馬の頭の中は真っ白になった。鼓膜を貫くような発砲音に耳がおかしくなりそうだった。それなのに、
「あの警官を撃ったのはお前だ」
という声だけがハッキリと聞こえた。
男が車の後部のドアを開け、シートに滑り込んだ。もう1人も。あっという間に後部座席のドアが閉まり、車は走り出した。ドアが閉まるのと同じタイミングで、車の中から、
「お前は自力で何とかしろ。悪いな」
という声が、聞こえたような気がした。
パトカーから他の警察官が降りて来た。先ほどの発砲が引き金になったのだろう。警察官の手に拳銃が握られている。
遠方から別のサイレンが聞こえてきた。応援が呼ばれたのだ。
水たまりの中に倒れた警察官に動きがない。ただ赤い水が広がっていくのが、離れていても分かるのだった。
「撃ったのはお前だ」
西馬は手に付いた汚いものを振り払うように、拳銃を投げ捨てた。そして雨の中を走り出した。
走り出した西馬は一体どこに向かう……?




