地獄で恋が始まる予感
(まぁ、たしかに見た目は美人だから……)
西馬が何気なく衆合地獄の女を見ると、バッチリと目が合った。いや、「合ってしまった」。
(まずい!!)
とっさに目を逸らす西馬。なぜなら、彼女と目が合うと良いことがないからだ。いや違う。「良いことがない」どころではなく、地獄を見る、のほうがぴったりくる表現だ。
いや、表現とか、そういうレベルでもない。
これは「ものの例えでーす。えへへ」、みたいな生易しいものではなくて、文字通りの「地獄」に突き落とされるのだ。
思い出すのもイヤになる経験を、昨日、したばかりだった。
衆合地獄の女と目が合うと、まず、自分のものではないような、強い性的な衝動にかられる。頭の中にピンク色のモヤがかかって、冷静な思考が完全にストップしてしまう。
なぜか、目の前に巨木が生えてくる。その木のてっぺんから女に呼ばれる。男の本能をくすぐるのに十分な色気を持って。文字で表記するのを、思わず、ためらっちゃうくらいのレベルでもって。
おいで、おいで……おいで、こっちよ……って。
すると男は正気を失って、誘われるがままに木を登ってしまう。この時の西馬も、衝動に突き動かされて木を登り始めた。
間もなく異変が起きる。必死になって枝をつかもうとする、その手のひらに、「グサリ」と刺さってくるものがあるのだ。強烈な痛みだ。
見ると、手のひらに何かが刺さっている。不思議な形をした剃刀のようなもの……何かの形に似ている。葉っぱだ。葉っぱの形をしているのだ。しかも木の枝から、それは生えているではないか。周囲を見る。すると驚くことに、木の枝に茂っていた緑色だった葉が全て、鋭い刃物になって鈍い光を放っている。
普通だったら、これより上に登ることを諦める、そんな状況が目の前に広がっている。それなのに、この木を登り始めた男たちが、途中で引き返すことはない。
というのも、後から後から、尽きることのない泉のように、衝動がどんどん湧き上がってくる。西馬は、気が狂いそうな衝動に耐えることができず、木を登り続けてしまった。
木の枝という枝に生えている葉っぱが全て、鋭い刀になって全身に突き刺さって来る。強烈な痛みが、絶え間なく、全身を襲う。
いっぺん死んだからこの世界にいるのだが、それでもなお、死ぬんじゃないかというほどの痛みだ。腕も足も胴体も大切な部分も何もかも。体が、だんだんボロボロになっていく。(文章にしたためると、スプラッター的な世界になってしまうので、ここでは控えさせて頂きます)
こういう状況なのにも関わらず、腹の底から沸きあがってくる衝動が止まない。気持ちが萎えない。発情期の野生動物さながらになってしまう。お年頃のメスを巡って、命がけで血みどろの争いを繰り広げる、あのオスたちのような異様な興奮状態だ。
ボロ雑巾のようになりながらも、ようやく木のてっぺんにたどり着く。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
と、雄叫びを上げながら抱きすくめたのは、空気だけ。……女が、いない。衝動のやり場がない。戸惑い、焦り、その他もろもろの感情。すると……。
「こっちよ」
と、再び、女の妖艶な声がする。
獣と化した西馬が、声のするほうを振り返る。
つい先ほどまで彼が立っていたあたりに、さっきの女がいる。誘うような憂いたっぷりの表情で、西馬に向かって手を振っている。白い肩がわずかに見えたりして。やばいエロい。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
西馬は、ものすごい勢いで木を降り始めた。すると、木の枝という枝に生えている葉の向きが変わり、再び鋭い刀になって全身に突き刺さってくる。再びの激痛。
たまらずに悲鳴を上げる。どっちの意味の悲鳴なのか分からない。
こんな状態なのに、やっぱり性的な衝動が沸きあがり続けるのだ。
……というエンドレス・ループに陥る。恐怖のお色気地獄だった。
もう二度と、あんな目には遭いたくない。そんな思いから、とっさに西馬は目を逸らした。のみならず、ギュッと強く目をつぶった。まぶたが、しわしわになるぐらいの勢いで。
ほんと、もう、サングラスがほしい。浜省とか、タモリとかみたいに、いつだってサングラスをかけているキャラになりたい。ブルーライトカットではなく地獄カットしてくれるやつ。ないかな。ないよな。
「あれ?いなくなっちゃった?」
一本角が呑気な声で言った。
「だ、誰がっ!?」
西馬は相変わらず目をつぶったままで聞いた。
「あーあの、衆合地獄の女だよ」
「ほんとに!?」
獄卒の言うことなんか、簡単に信じる訳にはいかない。なんたって、こいつらは地獄に落ちてきた人間たちを痛めつけることが仕事、という連中なのだ。
「嘘だと思うんなら自分の目で確かめてみたらいいだろ?」
一本角が言った。
(いやいや!嘘だと思ったら余計に見られないんですけど!?)
西馬の額から汗が流れ落ちる。
「おいら、あんたに嘘ついたことあるかよ」
一本角が言った。西馬は、ふと過去を振り返った。
(……確かに!)
彼らは獄卒であり、獄卒としての仕事を全うしていた。しかし「そんなに、痛い目になんか遭わせないよ」とか、「ちょっとだけだって」みたいなことは一切言わない。
――嘘は言っていない。
西馬はこわごわ目を開け、おそるおそる入り口のドアのところを見た。すると本当に、女の姿がなくなっていた。
「本当だっただろう?」
一本角が、別に怒っているふうでもなく、さらっと言った。彼の隣で、デコ目の元気がなくなっていく。分かりやすいタイプだ。
ただ、何故だろう。トラパンが後ろを気にしながら慌てている。
「なんだよぉ」
「なんだ?」
一本角がトラパンの後ろを覗き込む。
「見えないよトラパン。ちょっと退け」
「わ、分かった……」
トラパンが大きな体を入り口の横にずらそうとして、もがき出した。パンツのゴムの部分を一生懸命におさえている。
「わ……引っ張るなよぉ……ダメだってばぁ……」
後ろにいる誰かが、トラパンの履いているトラ模様のパンツを引っ張っているらしい。パンツが限界まで伸び、トラパンの出べそがはみ出ている。
「なんだ?」
一本角がトラパンの背後を見に行く。
「お前、こんなところで何やってんだ?」
トラパンの後ろに隠れている人物に向かって、話しかけている。
「はぁ!?」
聞き覚えのある声。衆合地獄の女だ。
「お前とか馴れ馴れしい言い方するんじゃないわよ!」
「だ……だって、おいら、お前の名前知らないんだもん」
「名前!?……」
彼らのやり取りを、デコ目がずっと見つめている。なんとなくイライラしているのが見て分かった。女と普通に喋っている一本角に対して、やきもちを焼いているのだろう。非常に分かりやすい。西馬が用心しながら一本角たちの様子に目をやった。
(あ!)
また女と目が合ってしまった。やっぱり彼女の視線には引力があるのだ。見たくないのに、視線が引き寄せられてしまうらしい。すると、不思議なことが起きた。
パッと、女がトラパンの後ろに隠れてしまったのだ。長い髪の隙間から、わずかに見えた、女の頬が赤くなっていた。それはまるで、恋する乙女のような恥じらい……。恋する乙女のような?
(誰に対して?)
「これはおもしろいことになりそうだな」
カウンターの上から声がした。
西馬が振り返ると、いつの間にか黒猫が歩み寄って来ていて、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべているのだった。
「何がですか?」
西馬が聞き返す。
黒猫はただニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるだけで、何も答えてはくれなかった。
これは何とも言えない三角関係の始まり……。どうなることやら。私にも分かりません(無責任




