出会いは突然に
その頃、西馬は途方に暮れていた。水を汲むのに使う桶がなくなっているのだ。ここにいるのは自分だけのはず。たまに閻魔大王が来るぐらいで。もっと稀に、昨日みたいな珍客が来るぐらいで。
仕事に使うものは、いつも同じ場所に置いておかなければ気が済まない性分だ。例えばバックバーに置いてある酒瓶なんかも、きっちりと種類ごとに並んでいて、絶対に場所が入れ替わることはない。こればかりは体に染みついた習慣で、どれほどのタイムラグを経ても抜けなかったものだった。
(まいったなぁ……)
西馬は頭をかいた。キツネにつままれたような気分だ。何をつままれたのだろう。それもよく分からない。
何気なく見渡す。相変わらず、空はぼんやりとして、ほの明るい。林の中は暗くて、何の気配も……。
(あれ?)
何か、デカいやつがいる。くるりと振り返ったやつは、頭に角が生えていた。そして、ばっちりと、目が合った。
「ヤバい。見つかったぞ」
一本角がデコ目の肩を叩いた。何故だかデコ目は上の空で、何のリアクションもない。仕方なく、一本角はトラパンに同じことを言った。
「え!?猫にかい?」
トラパンが呑気に言う。
「違うよ。あいつ、あいつ」
振り返ると、相変わらず西馬は、こっちを見つめていた。
「おいらたちに何か用事でもあるのかな?」
「そんな訳ないだろ!?おい!」
相変わらず、ぼんやりし続けているデコ目を、一本角がどついた。
そこへ、すっきりした顔で女が戻ってきた。
「絶対に見るなよ。こっち来るなよ。約束を破ったらどうなるか分かってんだろうな」
と、鬼の形相で言い置いて、林の奥の奥に走って行ったのだった。がぶがぶ飲むだけ飲んだので、出したくなったらしい。
「何やってんの?」
女がデコ目の肩を、ポンと叩いた。
「わっ!」驚くデコ目。「何でもないよっ!」顔が赤くなっている。
「どうしたの?」トラパンがデコ目の顔を覗き込む。「赤鬼みたいだよ」
「あっ!」
急に声を上げたのは一本角だった。
「もしかして、これじゃないか?」
彼が指さしたのは、地面に転がっている桶だった。この桶を使って、西馬はいつも井戸から水を汲んでいたのだ。
「あぁ、そうかぁ」
おおらかに、トラパンがそう言った……と思ったら、
「おぉ~い」と、大声を上げた。西馬に向かって手を振っているのだ。
一本角が「やめろよ」と制止するのも聞かず、桶を拾い上げると、ずんずんと林から出て行ってしまった。
「ごめんごめん。ちょっと借りてたんだ」
体の大きな獄卒が、手に桶を持って林から出てきた。見覚えのあるトラ模様のパンツだ。かつてバーテンダーをやっていた西馬は、人を覚えるのが得意だった。
女にだらしない男性客は、気分を害さない程度にマークしなくちゃいけないし、女性ひとり客はナンパな男から守らなくちゃいけない。なんだかんだ言って客は客だから。もう、なんか、いろいろなのだ。深夜、アルコール、男と女。
「待てよ!」
続けて林から出てきた、デコ目や一本角にも覚えがあった。バーで使用する機材を、興味津々で眺めていた連中だ。それだけではない。
この西馬も、三途の川を越えて、いくつかの裁判を受け、いったんは地獄に落とされた身だった。地獄道は巨大な8階建てになっていて、下に行くほど滞在期間が長くなる。さらに、課せられる罰も重くなるシステムだった。
西馬が落とされたのは、地獄の中で最も罪の軽い等活地獄というところだった。つまり、デコ目たちや、その同僚が働いている場所でもあった。
「みなさん、こんなところで何をされているんですか?」
どのようなスタンスで声をかけたら良いか分からない。とりあえず接客時のトーンでいってみた。
「あ、いや……」
言いよどむ、デコ目と一本角。
と、その時。井戸の脇の草むらで、キラリと鋭く光るふたつの目――。
ストッと、井戸の縁に飛び乗ったのは黒猫だった。
「あっ!」獄卒たちが顔色を変えた。
「お前ら、また、こんなところで油を売っていたな?」
「売ってないよ」トラパンが呑気に答える。「油なんか持ってないからさぁ」
その口を、一本角が慌ててふさぐ。トラパンは、もがもが言いながら黙った。
黒猫が全身の毛を逆立てて怒っている。その毛の先から、ぱちぱちと火花が散った。空気が渦を巻き出し、ゆらゆらと陽炎のように立ち上る。
そして、ゆっくりと獄卒たちの方に進んで行った。獄卒たちは金縛りにあったようになり、動けなくなっていた。黒猫の細くなった瞳がメラメラと燃え上がる。
「ま、待ってください、黒猫さん」
声を発したのは西馬だった。黒猫の耳がピクリと動く。
「この方たちは、私がなくして困っていた桶を、見つけて届けてくれたんです」
「はあ?」
黒猫が今度は西馬を見た。目が合う。すごく怖い。脚ががくがくぶるぶるする。
「だから、その……大目に見てあげて頂けませんか……」
黒猫のまわりの空気が穏やかになり、逆立っていた毛が元に戻った。黒猫はしばらく体を舐めて毛づくろいした後、ポンと井戸の縁から飛び降りて、どこかに行ってしまった。
獄卒たちが、そろってため息をついた。
「おいら、手伝うよ」
トラパンが言い出し、何故か西馬は獄卒たち3人と水汲みをすることになった。
その姿を、見つめる視線があることに、気がつく余地もないのだった。
再会した獄卒と西馬。それを見つめる女。まだまだ続きます・・・。




