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気力をなくした元バーテンダーが地獄あたりでバーをやるハメになりました  作者: 高山シオン


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獄卒と黒猫と西馬

 次の日が来た。うすぼんやりとした空の下、西馬は呆けたように突っ立っていた。彼の前には名前も分からない大木が、おどろおどろしい形に枝を伸ばしている。

 実は、その木の後ろには数人の獄卒がいて、息を殺しながら西馬のことを覗き見ていたのだが、そんなことは気がつかないのだった。


 宮脇は死んでいた。下らない死に様だった。蜘蛛に生まれ変わった上、自分のいるこの世界にいた。

 しかも、宮脇を殺す権利が自分にはある、というようなことを言われた。それも、何度も何度も、やれるということだった。


(だからって……)


 自分が死んだ事実は消えない。蜘蛛を叩き潰したところで、回数が1回であろうが10回であろうが意味があるようには思えない。

 とか言って、すっぱりと割り切れるような簡単なものではない。

 ひとりぼっちでバーの止まり木、ブルースなんか聞きながらロックグラスを傾けてニヒルに微笑む。


「諦めるさ……」


とか、ぽつりと呟いて――。


 だけで、やりすごせることばかりではない。ややこしいんだ、心というやつは。


 西馬は空を見上げた。もやもやしている。もやもやしまくっている。空も、心の中も。


(あぁ、なんか、ほんと……地獄っぽい……)


 西馬は顎を撫でた。今日はヒゲを剃る気も起こらなかった。よって、ジョリジョリと手のひらが音を立てた。ジョリジョリ、ジョリジョリ。そして、ため息。


 そんな彼の姿を、大木の後ろから獄卒たちが見つめている。


「なんか様子が変だな」1本角のはえた獄卒が言った。


「確かに変だ。今日は開かないつもりか?」額に大きな目のある獄卒が言った。


「えー、そりゃないよぉ。ふうふう。やっとここまで来たのにぃ!おぉーい、何やってんだよぉ!」トラ柄のパンツを履いた獄卒が身を乗り出した。


「おい、やめろやめろ!」一本角とデコ目の獄卒がトラ柄に押しやられる。


 トラパンツはそんなことお構いなし。ただもう西馬のことが気になって仕方がない。ぐいぐい押してくる。そして残念なことに、彼が一番、体が大きかった。ちなみに、一本角とデコ目を足したぐらいの大きさ……というか、太っちょなのだった。


「重い、重いってば!わー!」


 バタバタべちゃ。


 一本角とデコ目が雪崩のように、木の陰から転がり出た。その上に、支えを失ったトラパンツがのしかかってきた。それゆえの「べちゃ」なのだった。


 そんな騒ぎがあるにも関わらず、西馬は相変わらずぼんやりと突っ立っていた。

 もう、恋に恋い焦がれちゃって、どこで何しても憧れの先輩の顔が浮かんできちゃって、想像の中でキラキラうふふ……ってなっちゃってる思春期真っただ中の女子かよってぐらい、周りが見えていないのだ。

 彼の後ろの草むらが小さく揺れ、ギランギランに目を光らせたドSオーラ満載の黒猫が出てきた。ゆらり、ゆらりと尻尾を揺らしながら、ひたひたと忍び足で西馬に近づいている。


「あー!」トラパンツが声をあげた。「あいつ、閻魔大王んとこの黒猫だよ、やばいよ、ふうふう。みんな逃げよう」


「わ、わー!でかいよ、声がでかいって、聞こえちゃうだろ!」


 デコ目が声を上げた。上げちゃってから自分の口を押えている。一本角が目の色を変えて怒鳴る。


「お前らバカかっ!あっ!」


 ピクッと黒猫の耳が動いた。と思ったら、シュバッと身を翻した。獄卒たちが、どけよ、早く立てよ、そんなこと言ったってぇ~……などとモタモタやっている間に、黒猫は彼らの目と鼻の先までやって来た。


「お前ら、こんなところで何をやっている」


 黒猫が、今にも飛びかかれるが何か?みたいに身を低く構えて、地獄の底から響いてくるような低い声で言った。鋭い牙がむき出しになっている。

 獄卒たちは震えあがり、必死になって起き上がった。


「勝手に持ち場を離れて良いと思っているのか?」


 ジリジリ……と、黒猫が距離をつめていく。一本角とデコ目は互いに顔を見合って震えあがっていたが、トラパンツはぼんやりとして鼻くそをほじっていた。顔をしかめて鼻の穴から指を引き抜いた。トラパンツの目が輝く。彼の指の先にモザイクがかかる。


「すごいや。梅干しぐらいの大きさだ」

 

 ピン!と、モザイクのかかった指先に乗っかったソレを飛ばす。ブン!と空を切って飛んだソレは、どさん!と音を立てて黒猫のすぐ目の前に落ちた。


「おのれっ!」


 黒猫が目の色を変えた。さらに低く身構える。マジでキレちゃう5秒前、という感じの凄まじい殺気。一本角とデコ目は、恐怖のあまりに、もはや抱き合ってひとつの塊みたいになっていたが、トラパンツはえへらえへらと笑っている。


「シャーッ!」


 黒猫が真っ赤な口を大きく開いて奇声を発した。


「わー!」


 一本角とデコ目は、マンガみたいに飛び上がると、林の中に逃げ込んで行った。そんな彼らをバカにして楽しむみたいに、木々の根っこが張り出して、彼らの足をすくっている。彼らはコケては起き、走っては、またコケ、必死になって逃げていった。そして見えなくなった。


 ひとり、ぼんやり取り残されたトラパンツだったが、黒猫が鋭い爪をむき出しにして顔面に飛びついたところ、ようやく現実に気がついたらしい。


「わー助けてー」


 叫ぶや、林の中へ逃げていった。トラパンツがずれて、にきびだらけの尻がはみ出ているが、構っている余裕などない。そして、バン、と木の幹に激突した。走ってはバン、バンしては、また走り、やがて姿が見えなくなった。


 くるん、と華麗に空中回転した後、黒猫は優雅に着地した。振り返って西馬を見る。相変わらず、ぼんやりと突っ立っている。黒猫はため息をつくと、いつもより数段落ち着いた足取りで西馬に近づいた。


「おい」


 さすがに、西馬も気がついて顔を上げた。


「さすがのお前も、昨日はショックが大きかったようだな。眠れなかったんじゃないのか?」


 いつもと違う、黒猫のやんわりとした口調と、優しげな表情のせいか、西馬の表情がゆるんだ。泣きそうで、困惑しているのだろう。

 黒猫の声がさらに優しくなる。


「やれやれ、そんな様子じゃ何も手に付かないだろう。な」


 西馬の顔がゆがむ。涙の寸止めをしている。でも、泣きそう。泣いちゃダメ。男の子は泣いちゃダメなの。みたいな顔だ。


「今日ばかりは大目に見てやろう……。ゆっくりすればいい」


 ニヒルに微笑む黒猫。こんな一面も持ち合わせていたらしい。西馬は、こっちの世界に来て初めて、自分の心に血の通う感じを覚えた。

 しかし、その表情はすぐに固まった。メデューサに会って、石になっちゃったみたいに。


 彼の視線の先には、黒猫がいた。さっきの温かい表情や何やかやは一切消え去り、それどころか、いつも以上のドSオーラが溢れ出し、


「……なんて言う訳がないだろうが!バカめ!働け働け!痛い目に遭いたくなかったら、とっととそのむさ苦しい無精ひげをそり落としてこぉ~い!」


 という言葉とともに、西馬の顔面に飛びかかってきた。その鋭い爪が、否応なく西馬の目を覚まさせるのだった。

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