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気力をなくした元バーテンダーが地獄あたりでバーをやるハメになりました  作者: 高山シオン


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生前のこと・バーにて

 腕に星のタトゥーを入れた男。

 それは、かつて西馬が働いていたバーのオーナーだった。肩まで届く長い髪を耳にかけ、ツーブロックにした刈り上げをさらしていた。両耳にピアスをして、尖った顎にはいつも同じ形のオシャレヒゲを作っていた。

 背が高く、足が長く、いわゆるモデル体型だった。

 趣味はたしかフットサルだとか言っていた。本当かどうかは知らない。そう言っとけば、意外と健康的な人なんだとか思わせられんじゃね的な話だったかもしれない。確かめようとも思わなかった。


(だって興味ないし)


 ただ、体を鍛えているのを自慢していた。女の子に腹筋を見せて、キャースゴい!って言わせるのが楽しみらしかった。

 そして何より、鼻筋のとおった整った顔立ちをしていた。人当りがよく、笑顔を絶やさなかった。

 だから、女にはよくモテていた。

 恋人が何人かいたらしいが、正確な人数は本人も把握していないらしかった。何人もと付き合っていながら揉めたりしないのは、彼が女に対してだけは異常なほどにマメな性格だったせいだろう。才能と言える。


 宮脇、とかいう名前だった。

 彼と出会ったのは、西馬の叔父さんがひとりでやっていたバーだった。叔父さんに呆れられながらも、子供の頃から足しげく通っていた場所だった。


 子供の頃、西馬は両親とうまくいっていなかった。西馬は人と違う価値観を持っていて、常に周囲から浮いていた。そんな状況を、両親はよしとしなかった。


「どうしてみんなと違うことばかりしたがるの?」母親が悲しそうに言った。


「知ったこっちゃない!」


 などと、西馬は答えられなかった。ただ母親が悲しそうだったので、自分はよくないことをしているんだろうな、と漠然と感じた。

 認められない感じで、気づまりだった。だから、そんな母親に素直に接することができなくなっていった。


「みんなと同じことが、どうしてできないんだ」


 父親の言葉は、西馬を深く傷つけた。「お前はダメな子」と、暗に言われたような気持になった。父親とも素直に接することができなくなっていった。


 幸か不幸か、西馬の両親は仕事で家をあけることが多かった。夜も遅くならないと帰ってこない。晩ご飯はひとりで食べなくてはいけない。

 そんな時には、西馬は自宅から自転車を走らせて叔父さんのバーへ行った。叔父さんは簡単な食事を作って出してくれた。


「俺の息子なんだよ」


 と、叔父さんは他のお客に言っていた。笑いながら。叔父さんは結婚していたけど子供がいなかったから、本当に息子のように思っていてくれたのかもしれない。


 何よりも、叔父さんは決して、西馬のことを否定しなかった。この叔父さんがいたから、西馬はバーテンダーになったのだ。


 そんな店に、宮脇はやって来た。店を開くのでバーテンダーを探しているのだと言っていた。

 宮脇の瞳は強く、光っていた。底知れないパワーのようなものを感じた。この頃、西馬はまだ若く、これはチャンスだと思った。こうして、彼に雇われたのだった。


 宮脇がデザインしたという店は、シンプルに見えて、照明など、かなりこだわっているらしかった。SNS映えしそうなやつだ。

 店がオープンすると、むせ返るような香水の、女の客ばかりがどっとおしよせた。みんな、それなりに気合の入った女らしいファッションで、目のやり場に困るようなのもいた。


(店内が薄暗くて助かった)


 彼女たちのお目当ては、オーナーの宮脇だった。彼との甘ったるいやりとりを楽しみたいのだ。スリムな煙草を吸い、西馬の作るカクテルもたいして味わってはいなかった。やがて、そんな女たちを目当てにした男たちもやって来た。

 怪しげな夜の雰囲気が濃くなっていくのを、西馬は見て見ぬ振りをしていた。


(しょうがないし)


 煙草の煙と、香水の匂い。なんだかんだ言っても、男がいて女がいて、アルコールがあったら、何があってもおかしくはない。

 西馬は黙々とグラスを磨き、カクテルを作り、カウンターを拭き上げ、またカクテルを作った。


 ガチャン。


 鋭い音に顔を上げる。赤い口紅の女がケラケラと笑っていた。彼女はすでに、強めのカクテルを3杯あけた後だった。かなり酔っ払っている。

 女の足元に落ちたグラスが粉々になっていた。宮脇が軽い足取りで近づいてきて、さっさとグラスを片付けた。その肩に女がしなだれかかる。

 宮脇はため息をつき、女の耳に何かを囁いていた。

 彼女もまた、宮脇の気を引きたい女のひとりらしい。決して安くないグラスを割られたのは痛手だが、仕方がない。いろいろな意味で。

 女の側を離れた宮脇が、西馬に向かって小さく肩をすくめた。西馬も口の端をくいと持ち上げて応えた。


(やれやれ)の合図。


 次の日も、女はやって来た。しかし、昨日とはまったく違っていた。西馬の出したカクテルを1杯ゆっくりと飲み、帰って行った。こんなに味わって飲む客は珍しかったので、それだけで西馬の印象に残った。

 次の日も女はやって来た。また次の日も。

 いつも1杯だけカクテルを頼み、ゆっくりと味わって帰って行った。飲みすぎることも、ましてグラスを割ったり、バカみたいな高笑いをすることもなかった。


 しかし、ある雨の強い夜、女は来なかった。こんな日にわざわざバーに来る客もなく、店はガラガラで、宮脇も早々に店を上がってしまった。

 ひとりだけの時間は流れ、そろそろラストオーダー、という頃になって女はやって来た。薄手のブラウスが、雨で肩に張り付いている。儚げで色っぽく、西馬は思わず目を逸らした。

 女はカウンターの隅に座ると髪をかき上げた。彼女の額に痣があるのを、西馬は見逃さなかった。

 西馬の視線に気がつくと、女は微笑んだ。ひどく寂しげで、それ以上に妖艶で、そして何故か美しかった。

 カクテルを飲み干すと女は言った。


「送ってくれる?」


 グラスを磨いていた西馬の手が止まった。女の言葉はまるで稲妻みたいに、西馬の心臓に突き刺さっていた。

 静寂が訪れた。女の顔を見る。彼女の瞳が潤み、まつ毛に小さな水晶のような、涙の粒がまとわりついているのが見えた。

 グラスについた、薄い口紅のあとが妙に目に染みる。

 女は寂しげに微笑み、そして口を開こうとした。

 彼女の言葉より先に、西馬は答えていた。いや、答えさせられていた。


「分かりました」と。

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