蜘蛛ふたたび
オープン準備を終えてスタンバイしていると、奇妙なことがすぐに起こった。天井から音もなく、つつつ……という感じで、降りてくるものがあったのだ。
西馬が気がついて顔を上げると、それは一匹の蜘蛛だった。
(またか……)
どうしてこんなに、毎回、毎回、天井から蜘蛛が降りてくるのだろうか。ため息交じりに叩き落とそうとする。すると不思議なことに、蜘蛛が肩をすくめたように見えた。そもそも、蜘蛛に「肩」というものが存在しているような気がしないが、なんとなく西馬にはそんなふうに見えた。糸の先にぶら下がりながら、何本もある足をギュッと抱え込んでいるような。
「叩かないで!」
と、蜘蛛が訴えているようにも見える。ためしに、もう一度、叩き落とす振りをしてみる。やはりだ。蜘蛛がギュッと身を縮めたように見えた。
蜘蛛の背中に星のような模様。先日のやつと同じ種類なのかもしれない。西馬がじっと見つめると、蜘蛛はまた、つつつ……と糸を伸ばして降りてきて、やがてカウンターの上に着地した。西馬が手を伸ばせば届く距離だ。蜘蛛は逃げもせず、くるりと体の向きを変えた。
西馬は何もせず、その様子をじっと見ていた。その目を、蜘蛛が見上げた――ような気がした。
蜘蛛に表情なんかがある訳がない。でも、やっぱり、この蜘蛛は何か情けないような、悲しそうな、何かを言いたそうな、そんなふうに見えるのだ。
蜘蛛の背後で動くものがあった。黒猫だ。スタッとカウンターの上に飛び乗ると、静かに前足を伸ばして蜘蛛を突いた。
「ギャッ」と、声にならない悲鳴があがったような気がした。
「こいつな」
急に声がしたので、いったい誰が喋ったのか分からなくなった。いや、黒猫だ。
黒猫の前で、蜘蛛は体を縮めている。そのまま、じわじわと少しずつ移動している。黒猫の手の届かないところへ。それなら、いっそ一思いに逃げればいいのだ。何故か、そうしない。泣きそうな顔で西馬を見ている。助けを求めているみたいだ。
そんな蜘蛛の努力をあざ笑うみたいに、黒猫は軽やかにカウンターの上を歩いた。その前足が蜘蛛の行く手を阻む。蜘蛛が震えている、ように見える。
黒猫は、さも楽しそうに蜘蛛の背中を突っついて、そして言った。
「こいつな、前世は人間だったのだ。この趣味の悪い星の模様に覚えがあるだろ?な、西馬さん」
(星……?)
西馬は、恐怖や悲哀や、いろいろな感情をにじませている不思議な蜘蛛の背中をじっと見つめた。言われてみれば特徴のある星の模様。
そして思い出した。黒雲を切り裂く稲妻みたいに、ひらめいた記憶があった。
これと同じタトゥーを、腕に入れていた男がいたのだ。




