二つ名
扉が開く音とともに、一瞬で空気が張り詰めた。恐ろしいほどの怒気が王の間に広がる。その怒気に反応したオメガやラピス、王専属の騎士達は敵ではないと分かっても思わず臨戦態勢を取ってしまう。
歩み入ってきたその人物は、荒々しい鬣のような、黒と白の髪の間から覗く、金色の眼でオメガを睨む。
「なぜ、魔物と戦った!」
『剣神』ガラードの強烈な怒気に当てられ、誰も口を開くことができない。
「言ったはずだ。町に残れと。お前では魔物との戦闘はまだ無理だと。万が一にも死んでしまったらどうするんだ! ……お前が死ねば、勇者候補が一人いなくなる事になる。人類を大侵攻で危機に晒したいのか」
大きく声を荒げていたものの、次第に冷静になったのか。段々と口調は大人しくなっていった。
それと共に、場から張り詰めた雰囲気は薄れ、臨戦態勢を取っていた者達も平静を取り戻していく。その中に、臨戦態勢を崩さない者が居た。騎士団長ライアンである。
「無礼であろう! いかな『剣神』といえ、許されることではないぞ。謁見の最中に王の間に入り込み、殺気と紛うような怒気を放つとは一体どういうつもりだ」
ガラードからすればライアンの剣など児戯に等しい。ガラードがその気になれば、この場にいる全員を文字通り瞬殺できる。ライアンはそれを理解しながらも、騎士団長としてこの事態を看過するわけにはいかなかった。
ガラードは「ほう」という息を吐き、感嘆しながらライアンを鋭く睨みつける。
「私の剣気に当てられながらも、自らの職務を全うするか。素晴らしい忠誠心だな」
目もとを緩めたガラードが、王の方に向き直り、言葉を続ける。
「申し訳ありません。大変なご無礼を致しました。ライアン殿の言うとおりです。許されることではないでしょう。しかし、私も処刑されるわけには参りません。何か、別の処罰で許していただくわけにはいかないでしょうか」
ライアンはユストに視線を向け、ユストはそれに軽くうなずいて応える。臨戦態勢を取ったライアンはいつもの護衛の体制に戻る。
ユストはガラードの目をまっすぐに見つめ、
「ガラードよ。お主がなぜそれほどまで激高したのかは我にはわからぬ。それほどの理由がお主の中にはあったのだろう。ただし、どんな理由があろうとも、この王の間で無礼を働いたのは事実。何も処罰しないわけにはいかない。よって、お主には、オメガとラピスが一人前の戦闘力を持つまで鍛え上げてもらうとしよう。……もちろん無給でな」
ニヤリと笑う。
「寛大なご処置に、感謝いたします」
ガラードが深く頭を下げる。
「まったく、タヌキめが。お主は我が判断を見越しておっただろう」
「そんなことはありません。全力で期待に応えてみせます」
すまし顔で応えるガラード。
「このまま、オメガをお借りしても良いでしょうか? 勇者として認められたという話を聞いたので、確かめたいのですが」
「まだ待て。我も最後に確かめたいことがある。勇者の剣だ。ちょうど、オメガに見せてもらおうとしたときにお主が入ってきおったのでな」
「なるほど。わかりました。私もここで一緒に確かめて構わないでしょうか」
「いまさらだな。好きにするがよい。して、オメガよ。勇者の剣を見せてくれないか」
ガラードの気迫に萎縮していたオメガは、話題が振られたことに一瞬戸惑うが、すぐに思考を切り替える。
(この、以前の勇者の剣とは似ても似つかぬ刀を見せて信じてもらえるのだろうか。……いや、王が改めて勇者の剣を見せろといっているのだ。恐らくは……)
オメガは羽織っていたローブをずらした。そこから覗く、真っ白な鞘。龍甲打の真っ青な下緒によって、オメガの腰に刀が差されていた。あの戦闘後に気づいたが、いつの間にか鞘が腰に差さっていたのだ。
刀身を抜き出し、刀を床に置いた。真っ白な柄と鍔。真っ黒な刀身。重花丁子の刃紋がその場にいる全員を釘付けにした。
ユストは、刀を見て目を見張る。隣に控えていた宰相は顔を真っ赤にして不快な表情を顕わにした。
「ふ、ふざけるな! これが勇者の剣だと? まるで、違うモノではないか。そもそもこの形はなんだ! 初めて見る武器だぞ。こんなものを出して、王を侮辱しているのか! さっさと本物の勇者の剣を出せ!」
わなわなと肩を震わせながらまくしたてる宰相。
ユストは宰相に向かって、軽く手を挙げ、黙るように指示する。
怒りが収まらぬ宰相は、オメガを睨みながらも王の指示に従って口を閉じる。
そのやりとりを、氷のような冷たい眼で見ていたガラードは、怒りがこみあげるのをぐっと堪えていた。
ユストが玉座を立ち、剣の前まで歩み進む。昨日の謁見と同じように、勇者の剣を持ち上げようと試みた。
「むんっ。……やはり、持ち上げることはできんか。本当に、これが勇者の剣らしいな」
「なっ……。それが本物の勇者の剣……?」
驚きで、目を見開き、口をだらしなく開ける宰相。
「宰相よ。なにか、オメガに言うことがあるのではないか?」
ユストが宰相に促す。知らぬ者が見れば、あたかもユストが宰相を辱めているようにも見えるかもしれない。
宰相は忠誠心が高く、誠実に仕事をこなし、多くの部下から信頼される人格者である。しかし、彼はかなり頑固な性格をしていた。一度口にしてしまった言葉を簡単に覆すことができない人物だったのだ。
彼の性格を良く知るユストは、自分が宰相に話を振らなければ、宰相がオメガに謝罪する機会が逸してしまうことをよくわかっていた。
宰相もそれを分かっており、王に感謝と更なる忠誠を誓いながら口を開き、
「オメガ殿。申し訳ない。私の早とちりだったようだ。先ほどの暴言、不快な想いをさせてしまった。どうか、許してくれないだろうか」
心からの謝罪を述べる。
オメガは、王と宰相のやり取りで、この二人の間に強い絆があることを見抜いていた。
そもそも、宰相の暴言は、事情を知らぬものからしたらもっともな発言であり、オメガはそれに対して立腹してなどいなかった。むしろ、当然の反応とさえ思っていた。
それに加えて、この宰相の謝罪。碌に知らぬ相手に対しても、誠心誠意、頭を下げて謝罪する。簡単にできることではない。宰相の高潔さを感じ取ったオメガは、不快な感情など一切なく、むしろ心を打たれ、好意さえ抱いていた。
心が温かくなるのを感じながら、オメガはその心を前面に出したような穏やかな表情で応える
「不快だなんて、とんでもありません。立場が逆だったのならば私でも、同じように反応したと思います。どうか、顔をあげてください。……むしろ、感謝したいほどです」
「感謝……?」
宰相が不思議そうな顔でオメガを見る。
「ええ。感謝です。正直、私もこの世界に生まれたばかりで、この国がどのような国かもわかっておりませんでした。しかし、今のやり取りを見れば、王様と宰相殿の絆の深さが窺い知れます。そして、王様は国民を想い、宰相殿は王様を想っております。お二人のような人物が頂点に立つ国なのですから、この国はとても暮らしやすい国なのでしょう。このことを教えていただいたのです。感謝しかありません」
本心からそう述べるオメガ。
宰相は、数瞬の間あっけに取られていたが、すぐに気恥ずかしさを覚えて、思わずオメガから目を反らす。そして、意を決したように、
「本当に申し訳ありませんでした」
再度、謝罪の言葉を口にする。
「え? いや、だから、謝らないでください。そんな風に謝られたらどうしていいか分からず困ってしまいますよ」
戸惑いを口に出すオメガ。
「違うのです。この謝罪は、別の謝罪です。正直に申しましょう。昨日、オメガ殿が謁見の間に来たとき、私は気持ちの悪い人形が来たとさえ思っていました。魂を持つなどありえないと思っていたのです。
しかし、今までのオメガ殿の話を聞いて確信しました。オメガ殿は間違いなく人間と同じ魂を持っておられる。いえ、少なくとも私よりは純粋な心と高い人格を持っておられます。だから、謝罪させてください。今までの無礼、誠に申し訳ありません。願わくば、これから友好な関係を築かせていただけないでしょうか」
この言葉に、嬉しそうに笑顔をこぼすオメガ。
「もちろんです。これからよろしくお願いいたします」
すると、ユストが、
「もういいか? まったく、我を差し置いて話し込みおって」
くくっと笑いながら苦言を呈した。
「王よ。私の我侭を許してくださりありがとうございます」
それに深いお辞儀をしながら謝辞を述べる宰相。
いつの間にか、ガラードの静かな怒りは霧散し、温かい眼でこのやり取りをみていた。しかし、そのことに気づく者は誰もいない。
「して、オメガよ。これが勇者の剣であることは間違いないであろう。だが、この形状はなんだ? 見たことの無い武器だが」
「はい。これは、刀でございます。斬り裂くことに特化した剣です」
(と、言っても、僕も見たのは初めてだけど……)
「刀……か。聞いたことがないな。宰相、主は知っておるか?」
「いえ、存じ上げません」
「そうか。ガラード、お主はどうだ?」
「名前だけは、聞いたことがあります。確か、東方の小国で作られた武器で、しなやかさと強靭さを併せ持つとか」
「そのようなものが……。さすが、『剣神』であるな。武器にまで精通しておる」
ユストが一息つき、オメガに勇者の剣を仕舞わせる。玉座に戻ったユストは、
「オメガよ。そなたが勇者として覚醒したことは十分わかった。魔物の大侵攻の時は近い、我が国民、ひいては人類を守るために、その力を揮ってくれるか?」
オメガに意思の確認を行う。命を賭した戦いになることは間違いない。命令されたから戦うのではなく、自分の意思で戦う者が欲しいのだ。それが勇者としての力を持っていたとしても。
それに対し、オメガは、
「それに答える前に、少し、ラピスと話をさせていただけますか?」
「ラピスと? ふむ。かまわんぞ。ここで話してもらえると助かる」
「ありがとうございます。」
ユストへの返答を保留し、隣に控えていたラピスに、
「ラピス。確認だけど、ラピスは大侵攻を防ぎたいと思っているんだよね? だから、機人の研究をしていたんでしょ」
「ええ。そうよ。だって、魔物の大侵攻が起きたら、私の友人や家族も死んでしまうかもしれない。そんなの嫌だわ。それに……。大侵攻で街や古代の遺跡が潰れちゃったらどうするのよ! 研究したいものは山ほどあるのに! 研究しつくすまで死ぬわけにはいかないわ!」
場が静まり返る。多くのものが、呆れ返る中、オメガは愉しそうに笑っていた。
「本当に、ラピスはまっすぐだね。死ぬわけにはいかない…か」
オメガは、自分を救ってくれたラピスを支えられるようになりたいと思っていた。だから聞きたかった、ラピスにとって、“生きる”とはどういうことなのか。
「ラピスの生きる目的は、好きなだけ研究するってことなの?」
きょとんとした表情をしたあと、けらけらと笑うラピス。
「なに言ってるのよ、オメガ。生きる目的って、そんなの一つしかないじゃない。みんなね。幸せになるために生きているのよ。私も、みんなを幸せにできるように魔道具の研究をしているんだから。当たり前でしょ?」
今度はオメガがきょとんとした顔になったあと、朗らかな笑みをこぼす。
「幸せになるために生きる……か。そうか。そうだよね」
ありがとう、ラピス。オメガは心の中で感謝し、ユストの方へ視線をやる。
「お待たせいたしました。王様。先ほどの問いに返答させていただきます」
「うむ」
「私は、私の心を救ってくれたラピスを支え、同じように生きたいと思っています。幸せになるために生きる。そのために、ラピスはみんなを幸せにするための研究をしている。ならば、私は……私にできることで、みんなの幸せ守りたいのです。
勇者の剣に認められたものの、まだまだ私は未熟で、戦いの素人です。多くの人の支えがなければ魔物と戦うことさえ、ままならないでしょう。けれど、僕にみんなの幸せを守るだけの力が秘められているのなら――その力を手に入れ、全身全霊を持って国民を人類を照らす希望の光となることを誓います!」
オメガの言葉に、ユストの心は熱を帯びる。そしてマントを翻し、高らかに宣言する。
「よくぞ申した! オメガよ。修行を重ね。真の勇者となり、人類の希望となれ。
ヘリオス国が王、ユスト・ヴァン・ヘリオスの名において、ここに宣告する。
迷宮の機人オメガを勇者と認め、王家に伝わる伝承に則り、二つ名を与える。その鋼鉄の身体にて我らを守り、幸福をもたらす使者となれ! そなたは『黒金』。『黒金の勇者』オメガだ!」
王の間に響き渡る勇者の誕生を告げる祝詞。
宰相の拍手につづくように、騎士達からも拍手と歓声が放たれた。
「ありがたく、拝命いたします」
オメガは固い決意と共に、力強く応えた。
(必ず、ラピスを、みんなを――そして、僕自身の幸せを掴み取ってみせる!)
最後の勇者の戦いが始まった瞬間である。