プロローグ
まるで鉄が錆びたような匂い。血の匂い。
昔の旅を思い出すときに、最初に浮かぶ記憶。
あの日がこの世界に生まれた日だ。本当の意味でね。
それまでの僕は、生きていたとは言えない。
死んでいなかった。ただそれだけ。生きることに何の目的もなかった。
目の前にある現実を、他人事のように考えていた。
身体も。心も。冷えきっていたんだ。
『え? 機械の身体が冷たかったのは当たり前だって? それもそうだね。はは。これは一本とられた。ルリは賢いなあ』
『では、話の続きをするよ』
『僕がこの世界に生まれた日の話』
その日、ダンジョンが暴走した。普段は、ダンジョンから魔物が出てくることは無い。
でも時折、魔物がダンジョンから溢れ出てくることがある。
それが暴走。
ハンターの多くは討伐に向かった。
僕とラピスは、町のすぐ近くの森で魔物と戦ったんだ。
そのときはちょうど、日が落ちかかる夕暮れ時だった。
降りしきる雨。土はぬかるんでいた。
森の中だから、ただでさえ少ない光が遮られ、夜のように暗かった。
それでもすぐにわかった。
あのとき、何が起きたのか。彼女に、何が起きたのか。
僕が悪いんだ。僕が招いたことだ。僕のせいで彼女は――。
『油断していたの? だって? ちがうよ。ルリ。僕は油断していたわけじゃない。あのときの僕は、自分の命に興味がなかった。死んだほうがいいと思っていた。
だから、忠告を忘れていた。だから、確認をしなかった。だから、彼女を守れなかった。』
『もし、はじめから――この世界に転生した日から、本気で生きようとしていたならば。今とは違った未来があったのかもしれない。』
『ん? なんだい? 早く話の続きをして……か。そうだね。いい加減にちゃんと話そうか。やはり、思い出したくないからかな。ついつい遠回りしてしまう。』
そもそも僕たちは、暴走した魔物の討伐に向かったんじゃないんだ。
森に、双子の姉妹がきのこ狩りに行っていてね。その二人を保護しに行ったんだ。
姉妹のもとについたら、ちょうど魔物に見つかったところだった。
僕はすぐに魔物に斬りかかった。
だけど魔物は強くてね。あっけなく左手を吹き飛ばされてしまったんだ。
なにせ、当時の僕は戦う技術を修めてなかった。……実は初陣だったんだ。
身体はぼろぼろになった。
壊れていく身体を無視しながらの猛攻。
なんとか、魔物の首を切り裂くことができたんだ。それで魔物は倒れた。
それだけで殺した気になっていた。
ガラードに忠告されていたのにね。
魔物の生命力を甘く見るなって。僕はそのことを忘れていた。
確認もせずに、背を向けてしまった。
「――っ。避けて!」
急に横から身体を突き飛ばされた。彼女だ。
同時に。視界の隅に映った。黒く、長い、鋭利な爪が。
どふっ。
鈍い音がした。
ラピスは大丈夫なのか。
そう思って、振り向いた先には、絶望が待っていた。
トレードマークだった蒼い服が真っ赤に染まっていた。
きらきらと輝く白髪が赤く犯されていた。
白い肌には、いくつもの赤い線が走っていた。
その姿が、あの日の母と重なった。
僕は叫びながら、力を振り絞って魔物に体当たりをしたんだ。
そしてラピスに近づいて、彼女を抱きかかえた。
魔物がどうなったかなんて、どうでもよかった。
熱い血液がまとわりついてきた。腕に。腹に。脚に。
流れ出た血が絨毯のように足元に広がる。
僕に血があったならば、彼女に与えたかった。
早く止血をすべきだ。
なのに、動くことができなかった。
うまく声を出すことすらできなかった。
ただ呆然と……彼女を見つめていた。
頭が回ってくれないんだよ。
思考が真っ黒に染まっていくんだ。
何も考えられなかった。
目の前にある現実を、信じたくなかった。
後悔したよ。愚かな自分を。
そして、ただひたすら願っていた。
いやだ。いやだ。いやだ。
「死なないでくれ!」
そう願っていた。
あの日を境に僕は決めたんだ。
強くなろうって。
大事な人を守るため、剣を振るおうって。
生きて、幸せになろうって。
『わかるかいルリ。これが、本当の意味での、パパの冒険の始まりだったんだ。』
『え? これは最初じゃないって? 』
『ふふっ。そうだね。じゃあ、彼女と出会うところから話をしようか。』
はじめの出会いは――。
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