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序章 黒の衝戟 -烏羽色-

挿絵(By みてみん)



「買う物買ったし飯も食ったし、そろそろ帰ろっか」

 西暦二◯◯二年、四月第三週の土曜日、午後二時半頃。

 大学生になりたての少年、織部理人(おりべりと)は両親、小学生の弟と共にショッピングモールに来ていた。モール内には子供達の楽しそうな声が響いている。

「そうね、帰りましょうか」

「荷物持つよ」

「あら、ありがとう」

 大量に買い込んだ食料品、衣料品が入った買い物袋を理人と弟、父親とで分けて持つ。当然、なのか、一番重い物を持つのは理人だ。だが駐車場まで持つだけだ。それ程大変ではない。

「理人、大学には慣れたか?友達は出来たか?」

「父さん、何回同じ質問するんだよ。もう三週間経ったし、それなりには慣れたよ。友達だって……まぁ少しは出来たし」

 平日、父親が家に帰ってくるのは少し遅い。と言っても家族三人で夕食を食べ終えた直後に帰ってくる程度だ。しかし、「おかえり」の一言くらいしか会話は無い。

 理人と弟の健人(けんと)は食後すぐに風呂に入り、上がったらまたすぐに自分達の部屋に行ってしまうからだ。父親も帰宅後はずっとテレビにかじり付くか、母親と会話をするだけだ。

 そんな関係なのでこういう休みの日に父親は子供達とコミュニケーションを取ろうと頑張っている。

「そうか、ハハッ、なら良いんだ。健人は? クラス替えあったんだろ?」

「拓也くんと大輔くんと一緒だった」

「おぉ、また一緒か! 良かったじゃないか」

「うん」

 父親への返事は適当に、健人はゲームソフトの売り場へと目が行っていた。

「何だ? 欲しいゲームがあるのか?二月に買ったばかりじゃないか」

「別に欲しいなんて言ってないじゃん!」

 健人を怒らせてしまった。

 こういうところから父親のコミュニケーションの苦手さが伝わってくる。この年頃の子供の扱いが分かっていない。

「……でも見たいから待ってて」

 どうせ健人は、本当はゲームソフトが欲しいのに買ってもらえない事がほぼ確定してしまったため機嫌が悪くなったのだろう。

 子供だって馬鹿ではない。買ってもらえない事自体は分かっていただろう。ただほんの少し希望を持っただけだ。催促もしていないのに頭から否定されるとカチンと来てしまうのが子供という生き物なのだ。子供の、ゲームに対する気持ちはこの世代の親に理解される事は殆ど無い。子供にとっての娯楽はテレビかゲームか漫画くらいしか無いというのに。

 しかし、健人はゲームソフト自体に興味があるため売り場に並ぶソフト達を眺めている。実際子供はそれだけで楽しかったりするものだ。

 これで少しは落ち着いてくれるだろうと理人達は側で待っていた。

 すると突然、モール内に悲鳴が響いた。モールに来るとよく聴く様な子供の悲鳴ではない。大人達が悲鳴を上げ、子供達は号泣している。

 何事か、と悲鳴の聴こえた方へと足を運ぶ。

 人間はいつもそうだ。危険性も考慮せず、ただ野次馬根性に、自らの好奇心に従って選択を間違えてしまう。すぐに逃げれば良かったのだ。大の大人がこんなにも悲鳴を上げる理由を、そこから感じ取れる危険性を理解出来なかったばかりに。

 雑踏が押し寄せて来る。人々の顔は恐怖に(まみ)れ、我先にと人の波を掻き分け走る。

 理人達は押し寄せる人々の気迫に驚き、ゲームソフト売り場へと避難した。店員達はバックヤードへ入ったのか、居なくなっていた。

 あんな表情をした人間なんて見たことない。理人は心臓の鼓動が激しくなっている事に気が付いた。

 息を整えながら、走る人々の姿を眺めていた。理人の目にはその人々が人間というよりも獣の様に映った。己の生存本能を剥き出しにし、他人を蹴落としてでも生きようとする姿に理人の心は震えた。

 持っていた袋を落とし、左手で自分の左胸を掴む。

(何だこれ……何だこれ……!)

 鼻息を荒くしていた理人は流れる雑踏の中に一つ、動かない点がある事に気付いた。

 小さな子供が泣きながら母親を呼んでいる。

「あっ、あの子……!」

「待って母さん!危ないよ!」

 子供を助けに雑踏の中へ飛び込もうとした母親の肩を掴んで止める理人。

「でも……」

 哀しそうな顔をする母親の手を理人の父はそっと握った。

 少しすると雑踏の波は過ぎ去り、後には散らかった商品だけが残っていた。

 気付くと、泣き叫ぶ子供の元にその子の母親らしき女性が走って来ていた。

「翔太!」

 名前を呼びながら我が子を抱きしめる母親。

「良かった……」

 その様子に、理人の母は胸を撫で下ろした。

 安堵したのも束の間、先程悲鳴がした方向から男性の絶叫が聴こえてきた。

「待って!やめてください!お願いします!やめっあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 断末魔。

 それが人をこんなに怯えさせるものだとは思っていなかった。

 息が詰まる。物凄く嫌な感じがする。冷や汗が止まらない。

 静寂の中、先程の女性が目を見開き、口を震わせながら何かを見つめている。

 視線の先へと目をやる理人。

 そこには、喉元を切り裂かれた男性の頭を掴む人型の『何か』と、その周りに横たわる男性の家族らしき者の姿があった。

 その人型の『何か』は鳥の様な翼を持ち、全身を漆黒の布で覆った、まるでカラスの様な姿をしていた。

「何だ、あいつは……」

 理人の父がポツリと呟く。

 それに反応するかのように黒い『何か』がこちらの方を向いた。

 理人は身体に電気が走った様な感覚に襲われた。まるで「動け、逃げろ」と誰かに言われているかのように。

「みんな逃げろ!」

 母の手を取り走り出す理人。

 すぐ後ろには父の手を掴み走り出す弟がいた。全く、良い反応をしてくれる奴だ。

「翔太ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 背後から聞こえてきた絶叫に思わず足を止め、振り向いてしまう四人。

 そこには鋭い爪で胸を貫かれた子供と、その姿に絶望し泣き叫ぶ母親の姿があった。その光景は理人達の目に焼き付いた。

 こうなる事は分かっていたはず。なのに、自分達の命を護るためにあの親子を見捨てて逃げ出した。

 罪悪感があるか、いや、ない。危機的状況に陥った人間はそんな文化的な感情を覚えない。ただ生存本能に従い、生きる為の道を見出す。

 自らが先程の雑踏と同じ状態になっていた。

 理人達はまた走り出した。

 背後から聞こえていた女性の絶叫が途切れる。理人達の脚は一層力強さを増した。

 だが逃げられない。逃げる事は叶わない。

 黒い『何か』は理人達の頭上を飛び越え、眼前に立ちはだかった。

 理人は活路を見出そうとする。が、何も考えつかない。

(無理だ。何なんだよこいつ。こんなのから逃げられる訳ないじゃないか)

 命を諦めた理人は呆然と立ちつくし、ただ苦笑いをするしかなかった。

「うぉおおおおおおおっ!」

 だが、命を諦めていない者がいた。父親が黒い『何か』にタックルをかましたのだ。

 しかし、黒い『何か』は一歩足を後ろにやっただけでそれ以上ビクともしない。

「逃げろ!……逃げろっ!」

 父親は必死になって止めようとしていた。家族を護ろうとしていた。そんな程度の抵抗では何の意味もないのに。

 黒い『何か』の手により弾き飛ばされる父親。

 完全に息の根を止めるために父親の方へと歩を進める黒い『何か』。

 父親の目の前に立ち、腕を振り上げる。

「やめろぉぉぉぉぉ!」

 健人が黒い『何か』の脚に飛びついた。目から涙を流しながら必死にしがみつく。

(やめろ、無駄なんだ。そんなんじゃ……)

 脚から引き剥がされた健人は、父親と共に胸を貫かれた。

「逃げなさい理人! 早く!」

 母親が理人を庇うように『何か』の前に立つ。

 しかし、理人は逃げ出さなかった。母親の言う事を聞かずに。

 母親は目の前で『何か』に頭を掴まれ、喉を切り裂かれる。

 血飛沫が宙を舞った。

 倒れ行く母の姿を見ながら理人は己の無力さを噛み締める。

 次は自分の番だ。

 倒れ行く母の姿を見ながら理人は己の無力さを噛み締めた。何も出来ず、ただ殺されるのを待つだけの自分がここに居る。

 恥ずかしいか? 情けないか?

 世界は単純だ。ただ弱肉強食であるだけ。人間もずっとその概念に囚われながら生きてきた。狩られる事は決して恥ずかしい事ではない。この世界では当たり前の事なのだ。人間にも狩られる側に回る時が来た、ただそれだけである。

 鈍い音と共に理人の胸は貫かれた。

 終わった。短い人生だった。

「悔いは無いか?」そう聞かれたら、やっぱり「ある」と答える。

 しかし、即答は出来ない。

 自分がこの人生で何をしたかったか、明確な「やりたい事」が無かったからだ。まだ十八歳だからやりたい事が見つかっていない方が普通だとは言うが、同い年の人間にも、夢を持ち、必死に努力をする奴は少なからず居た。そんな奴らはとても輝いて見えた。カッコ良く見えた。憧れた。自分もそんな風になりたいと思った。でも、やりたい事はまだ見つかっていなかった。見つけたかった。やりたい事を。それが「悔い」だ。

 黒い『何か』は理人の胸を貫く腕を引き抜こうと力を入れた。

 その瞬間、黒い『何か』の腕が切断された。遠くから高速で飛んできた棒状の物が腕を引き千切ったのだ。

 壁にぶつかり音を立てて転がる物体。よく見るとそれはチェーンポールだった。

 モール内に絶叫が響く。

 飛んできた方向を睨んだ黒い『何か』は、何を察したのか、息を荒げながらモールの外へと逃げて行った。

 ポールが飛んできた方向から一人の男が走って来た。理人は薄れゆく意識の中、その姿を目にしながら床に倒れ込む。

「すまない。もう少し早く来れば……」

 男は膝をつき、理人の顔を見ながら謝罪をした。そして、理人の貫かれた胸を見た後にもう一度謝った。

「すまない……すまない……」

 ポケットから何かを取り出した男はそれを理人の口へと運んだ。

「君を巻き込んでしまってすまない……。だが、これで君を、そして世界を救えるかも知れないんだ……」

 まるで懺悔をするかの様に話す男の姿が、理人が最期に見たものとなった。

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