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光のもとでⅠ 第九章 化学反応  作者: 葉野りるは
本編
8/53

08話

 エレベーターホールでエレベーターを待っているとき、

「なんなく、なーんとなくわかったぞ。何が起爆剤になっているのか。……名前、だよな?」

 俯いていると、前方でエレベーターのドアが開く音がした。

「自分の周りにいた人間の名前が出るたびに泣いてるよな?」

 その答えは「Yes」だ。

「なんで、っていうのは今朝の話に戻るわけだよな? ひどいことを言いたくなくて傷つけたくないから会いたくないってやつ」

 コクリと頷く。

「でも、会いたくないって言ってる時点でみんな傷ついてると思うぜ?」

 一階に着いて扉が開くと、閑散としたロビーに出た。そこから真っ直ぐ中庭へ出る。

 西日を遮る建物があるとはいえ、五時はまだまだ暑かった。……というよりは、昇さんが口にした言葉が熱されたコンクリートや鉄みたいに熱くて――熱くて熱くて呑み込めない言葉で……。でも、火傷してでも呑み込んで、きちんと消化しなくちゃいけない言葉だった。

 中庭では昇さんだけが芝生に座り、私は車椅子に座ったまま。

 ひとりで立ち上がれるし歩けるけれど、動く余裕すらなかったのだ。体力や体調の問題ではなく、気持ち的に……。

「なぁ、翠葉ちゃんならどっちが傷つく? 面と向かって言葉で傷つけられるのと、避けられまくって無視されて傷つくの」

 何をどう比べたらいいのかがわからなかった

「俺なら、避けられたり無視されるほうが堪える。まだ面と向かって嫌いだとかムカつくって言われるほうがまし。そのほうが言い返せるしな。避けられていたら――無視されていたら、意思の疎通もこっちの考えも何もかもが伝わらなくなるだろ?」

 あ――。

「もしもこれが裁判で、翠葉ちゃんが加害者だとか被害者だとしたら、『正当防衛』が認められて罪にはならないかもしれない。でも、この問題は違うだろ? むしろ、『正当防衛』っていうのはさ、自分が傷つきたくないだけ。……違うか?」

「正当、防衛……」

「そう。自分のエゴ、ワガママ。人を傷つけたくないって言っていて、本当は自分が傷つきたくないだけ。違うか?」

 より一層鋭い目が向けられ、射抜かれるかと思った。

 突如こみ上げてきたのは胃の中のもの。ゴホゴホ、と何度か咽こみタオルで押さえた。けれど、胃の中の内容物をすべて戻してしまった。

 そのタオルを取り上げられ、

「楓っ」

 昇さんは遠くに向かって声を発する。

「どうしま――翠葉ちゃんっ!?」

 ……楓先生の声。

 ゴホッ――口の中に血の味がして、口元を押さえた手を見ると、そこには少量の血が付いていた。

「楓、悪い。この子すぐに横になれるとこ連れていって。俺、涼さん呼んでくる」

「わかりました」

 そのあとは楓先生に運ばれ、口の中をすすいでから空いている処置室のベッドに横になっていた。

 少し急いでいる足音がふたり分近づいてきて、カーテンが開けられる。

「少し落ち着いたか?」

 昇さんに声をかけられ、

「はい、すみません……」

「こちら、藤宮涼ふじみやりょう医師。楓と湊と司の親父さんだ」

 え……?

 横になりつつ床に向けていた視線を人の顔の高さに上げると、そこには良く見知った顔があった。

「……司、先輩」

 私の言葉に三人揃って笑う。

「似てるだろ?」

 昇さんに言われてコクリと頷いた。

 湊先生と司先輩の生き写しがいる……。

「はじめまして、藤宮涼と申します。私の専門は消化器内科なんです。ちょっと胃の状態を診させてください」

 涼先生は簡単な問診から診察を始めた。

 吐血量はほんの少しだったし、ここ最近はタール便と呼ばれるような黒い便も出ていない。

 そんなことから、大きな穴が開いていることはないだろうと判断され、胃潰瘍の薬を処方されることになった。

「何かストレスになるようなことでもありましたか?」

「いえ……」

 反射的に答えると、

「狼少年」

 壁に寄りかかる昇さんから鋭い視線と一言が飛んでくる。

「「はい?」」

 楓先生と涼先生が声を揃えて昇さんに視線を向ける。

「悩みの根源を俺がつついたから戻したんですよ」

「昇さんっ、姉さんから刺激を与えるなって言われてたでしょうっ!?」

「バカヤロ、腫れ物に触るように接してるから、いつまでたっても悩みが解決できねーんだろうが。悩みを放置して時間が解決してくれることもある。でも、正面切って向き合わないと越えられない壁だってあんだよ」

 それは楓先生に向けられた言葉ではなく、私に向けられたものだと思った。

「楓先生、昇さんは悪くない。間違ってない……」

 それだけは言わなくちゃいけない気がした。

「翠葉ちゃん、さっきの続きだ」

「ちょっ――さっきの今でまだ何かっ!?」

 楓先生が間に入ってくれたけど、私は身体を起こして楓先生の申し出を断った。

 まっすぐに昇さんの目を見る。

「二者択一だ。人に心配をかけるのと遠ざけて避けまくるのと、どっちがひどい人間だと思う?」

 どっち――。

 私にはどちらもひどいことだと思う。でも、後者が人を傷つけることになるのなら、ひどいのは後者かもしれない。

「あのな、翠葉ちゃん。心配なんてのは君がかけたくてかけてるわけでもなければ、お願いをして心配してもらってるわけでもないんだ。けど、後者は間違いなく君からアクションを起こしてる。君が傷つけているほかならないだろ? 違うか? 言葉で傷つけたのなら言葉で誤解を解けばいいし、謝ればいい。でも、行動によって傷つけた傷はなかなか癒えないぞ。……行動には行動で償いをしなくちゃいけない。それは生半可なことじゃない」

 ――本当だ。昇さんの言うとおりだ。

「言葉はある意味両成敗だ。言ったほうも言われたほうもつらいからな。でも、行動ってのはさ、された側のほうが痛い思いをすると思わないか? その分、罪は重い。それが自己防衛のためならなおさらだ」

 耳も心も痛い……。

「さてと、俺の言いたいことは以上だ。あとは楓や涼さんにでも慰めてもらえ」

 昇さんは白衣を翻して処置室を出ていった。

「……昇は相変わらずだな」

 そう口にしたのは涼先生。

 楓先生は苦渋を呑まされた顔で、心配そうに私を見ている。

「楓先生……だとしたら、私はどうやって謝ればいいんだろう……。たぶんね、昇さんの言ったことは全部当たっているし正しいの。私は、自分が傷つきたくないから人を遠ざけたの……」

「ひとつだけいいかな?」

 楓先生に訊かれてコクリと頷く。

「俺は避けられてないよね? もともとそんなに頻繁に会っていたわけでもないし、自宅まで行ったこともない」

 なんの話をされているのか不思議に思っていると、

「だから、俺には謝る必要もなければ、俺が傷ついたという事実はないんだよ」

 楓先生は、「俺は君に何もされていないクリーンな人間だよ」と教えてくれた。

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