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光のもとでⅠ 第九章 化学反応  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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10 Side Reju 02話

 エレベーターに乗り十階に着く。と、ガラス戸の向こうに車椅子に座った娘がいた。

 距離にして七メートルほど。

「翠葉が起きてる……」

 感動的な再会だというのに、そんなことしか思いつかなかった。

 この二日、翠葉が寝ている時間にはこっそりと家族総出で顔を見にきていた。目にできるのは寝ている姿だけだった。

 目を開けていない、横たわっている娘。静かな寝息だけが生きていることを教えてくれる。

 けれど、今は起きている。車椅子に座り、大きな目をしっかりと開けた翠葉がそこにいる。こっちを、俺を見ている。

 俺は吸い寄せられるように翠葉のもとまで歩いた。

「翠葉」

 名前を呼ぶと、少し気まずそうに「お父さん」と呼んでくれる。

 答えはわかってる。でも、俺は訊くんだ。

「具合はどう?」

「ん……大丈夫」

「そう」

 やっぱりなぁ、と思いつつ、翠葉の脇にある花壇に腰を下ろした。

「お母さん、元気……?」

 遠慮気味に訊かれた。

「ん~……何か聞いた?」

「…………」

 あぁ、聞いたんだな。

 こういうところでは嘘がつけないのに、具合を訊いたときは決まって「大丈夫」と答える。そんな娘に思わず苦笑い。

「そっか……。ま、大丈夫だよ。過労だ、過労。父さんもわかってて止めなかったしな」

 空をぼんやりと見ながら話すと、隣からか細い声が聞こえてきた。

「私のせい、だよね……」

「……誰のせいとか、そういうんじゃないと思うけどな」

 身体を折り曲げ愛娘の顔を覗き込む。と、翠葉は髪で顔を隠した。即ち、俯かれた。

「でも、私が現場に戻って仕事をしてほしいって言ったから……」

 そうやって自分を責めちゃうんだよな……。翠葉も碧もさ。

「……ま、それもそうか。でもさ、家に母さんがいたとして、翠葉の痛みがなくなるわけでもないしな」

 翠葉……父さんはさ、一応父親で、翠葉のことを十七年見てきたわけだ。育ててきたって言えるほどたいそうなことをした気はしない。ただ、一緒に暮らして見てきた。だから、翠葉のこと、少しならわかるんだよ。

「こういう考えは親らしくないのかなぁ……」

 翠葉は人の心にとても敏感で下手な嘘は通用しない。だから、父さんの本音を話そうと思う。そうすることで、少しでも翠葉の気負いを減らしてあげられるなら――。

「本当なら側にいてあげたいっていうのが親心なのかな、と。碧……母さんはその典型だろ?」

 人形のような顔がコクリと頷く。

「でも、父さんはさ……側にいたいのはいたいけど、それで何もできない自分にも腹が立つんだ。だから、お金を稼ぐ……。どんな治療が降って湧いてもその治療を受けさせてあげられるだけの経済状態を維持する」

 俺にできるのはそのくらい、というのが極論だ。

 翠葉が固まっている気がしたから、

「なーんてな。……そんなふうに思うわけだ。だから、父さんは翠葉が仕事に行ってくれって言ってくれて助かったよ」

 すると、翠葉の表情が少しだけ緩んだ。

「たださ、女って生き物は母親だからなぁ……。男親とはちょっと違うんだよ」

 これは母親にならんとわからんものかなぁ……。

 どんなもんだい、と娘を見れば、

「……うん、近いうちに会うよ」

「……翠葉?」

「ん……?」

 どうしてかな……。今でさえいっぱいいっぱいなのに、それでも無理をして笑顔を作ろうとする。

 俺は腰を浮かせ、翠葉の真正面にかがみこんだ。

「無理はしなくていいんだぞ?」

 これ以上の無理はしなくていい――。

「……もう、何がなんだか、わからなくなっているの」

 泣き笑いみたいなそんな表情と声だった。

 何か言葉をかけたいのに、何を言ってあげたらいいのかがわからない。開けた口は言葉を見つけられずに再度閉じる。

「あのね、私は誰のことも傷つけたくなかったの。大切な人なら大切な人ほど、ひどい言葉を投げたくなくて――会わなければひどいことを言わずに済む。そう思っていたけど……そうやって人を遠ざけた時点で、私はみんなを傷つけてたんだよね」

 確かにそうなのかもしれない。でも、そんなに肩を震わせて言うほどのことじゃない。

「教えてくれた人がいるの。私は人を傷つけたくないって言ってて、実は自分が傷つくのも嫌なんだって。それは自己防衛だって。自己防衛で人を遠ざけたら、その人たちはその時点で傷を負うって……」

「……そうか」

 そんな一言しか口にできなかった。

 細く華奢な娘の両手を自分の手で包み込む。

 自分が日焼けしていることには気づいていたが、翠葉の手と比べるとこんなにも色が違うのか、と少し驚く。そして、その白く冷たい手に自分の額をつけた。

「翠葉、幸せか……?」

 訊かずにはいられなかった。

「私は幸せだよ」

 間髪を容れずに返事をした娘。

 俺はかなり酷な質問をしていると思う。

「こんなふうに治療を受けなくちゃいけなかったり、身体がつらくても、か?」

 翠葉は少しの沈黙のあと、

「……この身体じゃなかったら、なんて考えても何があるのかわからないもの」

 それもそうだ。味わったことのないものを想像するのは簡単そうで存外難しい。

 苺を食べたことのない人間に、苺の味を尋ねたところで、「食べたことがないからわからない」と返ってくるのと同じことだ。

 つまり、俺はそんな質問をしてしまったわけで――だめじゃん、俺。

「『もしも』って言葉を使ったら怒りそうな人がいる」

 え……?

「『もしも」なんて非現実的なことを考える時間があるなら、これからを考えろ、って言われそうなの」

 顔を上げると、翠葉は天使の顔に少しの笑みを浮かべた。

「だって……『もしも』の元気な私がいたら、今の私はここにいないでしょう?」

「……そうだけど」

「……藤宮に通うこともなく、今周りにいる大好きな友達とも会えることはなかったよ。そう考えるとね、少しだけ、この身体に感謝してもいいかな、って思えるの」

 俺の娘はめちゃくちゃかわいい。そんじょそこらにいないくらいの美少女だ。なんたって、俺の奥さんに瓜ふたつなわけだから。

 ただ、どうしたことか、俺や碧のように健康ではなかった。そんな娘に言えることはなんだろう、と考える。

「あのな?」

 思わず手に力が入る。

「つらいとき、どうして元気に産んでくれなかったんだ、って言ってくれていいんだ。翠葉はそれを言いたくなくて、それで父さんたちを遠ざけていただろう?」

 掴んでいた手を引かれそうになった。でも、離しはしない。

「いいんだ、言っても……」

「……ど、して……」

 震えた声に揺れる瞳。

「言われたほうが楽なこともあるんだよ」

「やだよ……。言わない。それだけは言わないっ、言いたくない、絶対に嫌っ」

 翠葉は顔を横に振って拒絶する。

「……そうか。ま、無理して言ってもらいたいことでもないんだけどな」

 なんていうか、やっぱだめじゃん、俺……。

「……いかんなぁ。父さん、ちょっと楽になりたいがために、こんなことを愛娘に言ってしまった」

 翠葉の手を離し立ち上がり、後ろの藤山を臨む。

 まいったなぁ……どうやって話の方向転換を試みよう?

「あぁ、そうだ」

 唯くんの話があったじゃん。

 翠葉を振り返り、

「唯くん、うちの養子にしようと思うんだ」

「そうなのね」

 意外とすんなり返事を得られた。

「翠葉も賛成か? じゃ、ほぼ決定だな」

「え……あれ? 今、唯兄が養子って言った?」

「言ったぞ?」

「えーーーっ!?」

「反応薄いと思ったら、今頃理解したのか?」

 さすが我が娘……。

「唯兄が養子って何っ!?」

 食いつき良好、掴みはOK?

「……何って、そのまんまの意味なんだけどな」

 翠葉は驚きすぎたのか、ゲホゴホ、と咽た。

「おいおい、大丈夫か?」

 背中をさすると少し落ち着いたようで、「何がどうしてっ!?」と矢継ぎ早の質問攻めにされる。でも、話題の方向転換には成功したようだし、驚いてはいるものの嬉しそうな瞳に安心した。

 唯くん、君の御園生家入りは確定したようだよ。

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