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光のもとでⅠ 第九章 化学反応  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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06 Side Tsukasa 01話

「司、どこ行くん?」

「野暮用」

「ふーん、この暑い中よく外に出る気になるな?」

 ケンといくつか言葉を交わしてから弓道場をあとにした。

 部室に戻って身体の汗を拭い、制服に着替え昼食のおにぎりをふたつ胃におさめる。最後にお茶を飲み干し、手早く部室を出た。

 昼時なら翠も起きているだろう。

 自転車で病院へ向かうと、病院に着く頃には再び汗をかいていた。

 ハンカチで額の汗を拭い、正面玄関に留まる。ここだけは冷房の温度が低めに設定されているため、しばらくそこにいると汗は引いた。

 九階、ナースセンター前で会釈をして翠の病室に目をやると、ドアは開いていた。

 寝ているのを起こすのは嫌でそっと中へ入る。と、翠は身体を起こし携帯を耳に当てていた。

 その携帯を目の前にかまえては、「どうしようかな」と口にする。

「ここ、携帯禁止だけど」

「あ……」

 俺に気づいた翠は急に涙を零した。

 なんで――。

「なんだよ、そんなにきつく言ってないだろっ!?」

「違……。先輩が目の前にいたから」

「……は? とりあえず携帯」

 携帯を取り上げると、電波マークは一本も立っていなかった。

「……翠、いくら機械音痴でもこれくらいはわかっているべき。圏外じゃ携帯通じないから」

 携帯の使い方以前に、使える場所かそうでないかくらいわかれよ……。

「それくらいはわかってますっ」

「じゃ、なんで携帯を耳に当ててたんだよ」

 翠は罰の悪そうな顔をして、

「……録音してある声を聴いていたの」

「……ふーん。ま、そのくらいはいいんじゃない」

 どうせ、秋兄の声でも録音してあるんだろ。

「で、なんで俺を見て泣いたわけ?」

 全然納得がいかないければ理不尽とすら思う。

「……明日、お父さんが現場に戻るの。その前にお父さんにだけは会うことになって……でも、少し怖くて……。何を話したらいいのかわからないの」

「で、なんで俺を見て泣くかな……」

 頭痛がしてきそうでこめかみを押さえる。

「世間話って何があるのか訊きたかったんです。そしたら、目の前に先輩がいたからびっくりして……」

 なんだよそれ……さっきの「どうしようかな」は、俺に電話をしようかどうしようか、だったのか? それとも、世間話に何があるか悩んでのものだったのか――どっちなんだよ。

 思わず脱力してスツールに掛ける。

「世間話に何があるって……なんだよそれ。新聞でも読んで時事ネタでも見繕えば?」

 今度は何かと思っただろっ!?

 翠の顔を見れば、不思議そうな表情できょとんとしている。

「明日の天気は晴れだとか、今の政権がどうだとか、ちょっとしたコラムなんかも載ってる。会話のネタには尽きないんじゃない?」

 少し雑な説明だったかもしれない。でも、このくらいは許されると思う。

「おい、司……おまえは涼さんとそんな話ばかりしてるのか?」

「きやぁっっっ」

 知らぬ間に病室に入ってきた昇さんが会話に加わると、翠は化け物を見たような顔で飛び上がった。

「翠、気持ちはわからるけど、そこまで驚かなくてもいいと思う」

 本当に世話の焼ける――。

 胸元できつく握りしめられた手を取り適度に力を加える。大丈夫だから、とそんな思いをこめて。

 すると、同じように握り返されたけど、たぶん本人は無意識。

「昇さんも、あまり変な現れ方しないでください」

「あぁ、悪いな。つい、だ。つい……。それにしても一日に二回も驚かれるとは思わなかったぜ」

「……二度目って?」

 訊くと、まるで恒例行事にでもなるんじゃないか、という朝のエピソードを聞かされた。

「で、おまえは涼さんとそんな話ばかりしてるのか?」

「会話がなくて困ったときには使いますよ」

 医療のことなら訊きたいことはたくさんある。が、そんな話を持ち出そうものなら父さんは交換条件を持ち出す。ひとつの質問に対し、俺の学校生活を述べよ、と。

「下手に学校での出来事を訊かれるよりもよっぽどまし」

 思わず本音を漏らすと、

「……司らしいっちゃ司らしいが、翠葉ちゃん、これはあんま参考にしないほうがいいぜ?」

 大きなお世話だ。昇さんだって父さんには口じゃ勝てないくせに……。

「何時?」

 翠に訊くと、「え?」と驚いた顔がこちらを向いた。

「お父さんが来る時間」

「何時かはまだ聞いてなくて……」

 聞いてない、って……。

 頭を抱えたい衝動に駆られる。そのあたりを知っていそうな昇さんを見上げると、

「夜の七時。面会時間が終わってからだ」

「……その時間なら来れるけど?」

 柏木桜の家庭教師は五時半には終わる。場所は学校の図書館を指定してある都合上、タイムロスもない。家でシャワーを浴びるくらいの時間も取れるだろう。

「……来て、くれるんですか?」

 さらに力をこめて手を握られる。けれど、その力はとても弱い。

「かまわない」

 ほっとしたのか、翠の表情が緩む。そんな翠を見て俺もほっとした。

「……ね、君たち付き合ってんの? なんか事前情報と違うんだけど」

 事前情報――。

 きっと、栞さんから何かしら聞いているのだろう。

「違いますよ? ただ、今だけ司先輩は私のわがままに付き合ってくれることになってるんです」

 翠が答えれば、昇さんは意味深な視線を俺によこす。

「……単なる八つ当たりアイテムですよ。いわばサンドバッグみたいなもの」

 こんな言い方じゃカモフラージュにすらならないだろう。

 ……また俺の感情に気づいた人間が増える。なのに、いい加減気づいてよさそうな人間――翠だけが気づかない。

 ふと気づけば、翠から責められるような視線を投げられていた。

「夜なら屋上に行けばいいだろ? あそこなら翠が好きな花も植わってるし、今日の天気なら星だって問題なく見える。昨夜教えた星座の話でもすれば?」

「あ、それなら大丈夫そう……」

 視線は改まり、表情も変わる。

「おまえ、翠葉ちゃんの扱い方うまいな?」

 含みある声音に、この人も面白がる面倒な人間だったか、と認識を改めた。

「翠は観察し甲斐がありますよ」

 そんなふうに答えてはみたけれど、これはあとでつつかれることを覚悟したほうがよさそうだ。

 翠の視線は未だ俺から剥がれない。まじまじと見られることに耐えられずに俺は席を立った。

「じゃ、俺部活に戻るから」

「あの、もしかしてお昼休憩に来てくれたんですか?」

 今にもベッドを下りそうな勢いで訊かれて少し焦った。

「そうだけど」

 できる限り冷静に答えると、翠は申し訳なさそうな表情で言葉に詰まる。

「……負担じゃないから。そこでうだうだ考えたら怒るよ」

 こういう言い方しかできない自分にも問題はあると思う。でも、こういう言い方じゃないと翠が納得しない。

「……ありがとう」

「はい、どういたしまして」

 病室を出ると、

「お疲れ様。これ持っていきなさい」

 藤原さんに渡されたのはスポーツドリンクだった。

「午後も部活なんでしょう? 精が出るわね」

 きっとこの人にも俺の気持ちはばれているのだろう。なんで周りの人間ばかりにばれて、当の本人は気づかないかな。

 翠は普通に鈍いのではなく、恐ろしく鈍いに違いない。それを藤原さんに当たるのはお門違いもいいところだ。

 俺はむしゃくしゃした気持ちを抑え、礼を述べて早々にその場を離れた。

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