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光のもとでⅠ 第九章 化学反応  作者: 葉野りるは
本編
17/53

17話

 どうしようっ!?

 どう謝るか、言葉を用意する前に通話ボタンを押してしまった。

 コール音がこれでもか、というくらい大きな音で耳に響く。しかし、コール音はすぐに途切れ、「はい」と声が聞こえてきた。

「あ――あの、……あの」

『翠葉ちゃん?』

「はい……」

 しっかりしなくちゃっ――。

「秋斗さんっ、あの……」

『うん』

 相槌は打ってくれるけど、いつもより硬質な声に思えた。

「あのっ、明日――少しでもいいのでお時間をいただけませんかっ?」

 言えたっ。でも、だめかもしれない……。

「ちゃんと……ちゃんと会って謝りたくて……」

『そう、いいよ』

 やっぱりいつもと声が違うと感じる。

『謝りたいってことはさ、俺に悪いことをしたと思ってるんだよね?』

「はい。とてもひどいことをしたと……傷つけてしまったと思っています」

『…………』

 沈黙の時間が怖かった。たったの数秒だったのか、それとももう少し時間が空いたのかすらわからないほどに。

『許さない……』

 やっぱり……。

 電話に出た声を聞いたときから、そんな気はしていた。

『俺を傷つけたと思うなら、その傷は翠葉ちゃんが癒して? ……今から、行くね』

「……え? あのっ」

 私の声が届く前に、通話は切れてしまった。

 どうしよう――どうしよう、どうしよう……!? 今から秋斗さんが来るなんて――。

 途端に身体が震えだす。

 明日には会って謝らなくてはいけないと思っていた。でも、それが今日になるとは露ほども思っていなかった。

 どうしたって心の準備が伴わない。しかも、これから来るのはいつもの秋斗さんではなく、怒っている秋斗さんなのだ。

 ――怖い。

「ツカサ……」

 リダイヤルからすぐに番号は見つかった。でも、通話ボタンは押せなかった。

 押す前に「逃げ」だとわかったから。

 少なくとも、今は逃げていい局面ではない。

 私は身動きもできず、携帯を握りしめたままその場に留まった。


 どうしたらいいのか……違う――私は謝ることしかできない。

「ごめんなさい」と口にする以外にどんな方法があるのか。傷を癒すとはどういうことなのか。

 考えても出ない答えに不安が募る。

「翠葉ちゃん」

 自分を呼ぶ声にゾクリとした。

 振り返ると、そこにはラフな格好をした秋斗さんが立っていた。

「あき、と、さん……」

「ずっとここにいたの?」

「……はい」

 声が震えそう。口がちゃんと動かない。でも、謝らなくちゃ……。

 ソファの真横に立ち、背もたれに掴まった状態で頭を下げる。

「ひどいことをして、ごめんなさい……」

 秋斗さんから返事は得られない。

 沈黙の中、緊張したまま頭を下げていると、

「俺の傷はさ、そんなことじゃ癒えないんだよね」

 やけに近くで声がした。違和感を覚えて顔を上げると、すぐそこに秋斗さんの顔があって――掠め取るようなキスをされた。

「また俺の彼女になって。で、俺の傷を癒して」

 口を押さえたまま何を言うこともできずにると、

「今のキスは軽いほうでしょ? もっと深いキスだってしたことあるでしょ」

 秋斗さんは淡々と口にして、私の肩を抱き寄せた。

「院内は空調が利いているから、ずっとここにいたら冷えるよ」

 夏なのに、あり得ないくらい自分が冷えていることに気づく。

 秋斗さんの手が熱い……。

 肩を抱かれたまま、点滴スタンドも秋斗さんに押されて廊下を歩きだす。

「あら、珍しいお客様ね? 来るのは明日じゃなかったかしら?」

 ナースセンターにいた藤原さんが席を立ち、

「どうかした?」

 カウンター越しに尋ねてくれたけど、私は何を返すこともできず、首を左右に振るのが精一杯だった。

「会長と静さんの許可を得たので、彼女の病室を十階に移します」

 えっ……!?

「あら、そうなの? どの部屋を使のか聞いているかしら?」

「第二病室です」

「じゃ、私は荷物を持っていくから御園生さんと先に行ってもらえる?」

「はい。じゃ、行こうか」

 私の顔を覗き込む秋斗さんはきれいな笑顔だった。きれいで……きれいすぎて怖かった。

 目を合わせることはできなかったけど、見なくてもわかる……。目は、きっと笑っていない――。


 今歩いてきた廊下を戻り、エレベーターホールへ向かう。

 さっきはお母さんと蒼兄を送るために歩いた廊下だけれど、秋斗さんと歩くだけで全然違う場所に思えた。

「翠葉ちゃん、知ってる? 十階は、藤宮の人間か藤宮とごく親しい人間しか入れないって」

 それは藤原さんから聞いたことがある。

 恐る恐る秋斗さんの顔を見上げると、秋斗さんはにこりと笑みを浮かべた。

「翠葉ちゃんは俺の大切な人だから」

 まるで邪気のない笑顔。でも、今まで私に向けられていた笑顔とは全く異なるもののように思えた。

 どこが、なんてわからない。何が、なんて言葉にできない。

 エレベーターに乗ると、近すぎるほどに顔を近づけられる。

 緊張して身体が強張り、耐えかねてぎゅ、と目を瞑った。

「安心して?」

 秋斗さんはクスリと声を立てて笑い、

「エレベーターには監視カメラがついている。そんなところではキスなんてしないよ」

 目を開けるとエレベーターのドアが開き、降りるように促される。

「でもね、この階は少し違うんだ」

 エレベーターホールの前にはガラス張りのドアがあった。

 入り口には物々しい監視カメラがついており、自動ドアは暗証番号をパスしないと開かないらしい。そこを抜けると正面にはホテルのロビーのような空間が広がっていた。

 セキュリティはそれだけでは終わらない。ひとつ目の部屋で指紋認証をパスし、ふたつ目の部屋で声紋認証、三つ目の部屋で網膜認証――それらをパスしてドアが開く。

 何、ここ――。

 九階とは異なる、病院とは思えない様相を呈していた。それはウィステリアホテルの廊下と見間違えそうなほど。

 インテリアが異なるというよりは、質が異なる。

 床はきっと大理石。照明カバーに使われている素材も見るからに高そうだ。

 そんな廊下を歩きながら、

「そこが警備員が詰める部屋。そしてここがナースセンターの代わりになる場所。翠葉ちゃんの使う部屋は現会長が奥さんのために改装した部屋だ」

 そう言って通されたのは、病室とは呼べない一室だった。

 九階の病室とは意味合いもランクも異なる気がする。九階の病室はそれでも病室に見えたのだ。でもここは――。

 クローゼットもチェストも、何もかもがこの部屋のために設えられた感じ。フルオーダー――そんな言葉が頭をよぎる。

「あのっ……」

「何?」

「私、九階の病室がいいですっ……」

「九階で受けられる治療ならここでも受けられるよ。この階には手術室だってあるんだ」

「そうじゃなくてっ……」

 こんな部屋、いくらかかるのか恐ろしくて考えたくもない。

「あぁ、個室の金額とか気にしなくていいよ」

 拒否権、なし……?

「この部屋ならネットも使えるし携帯の電波も入る。見てごらん?」

 右手に持ったままの携帯を取り上げられ、「ほらね」と電波マークを見せられる。

「そういうのが許可されている部屋なんだ。悪くはないでしょ?」

 どう反応していいのかがわからない。

「そんなに困ることじゃないと思うけど?」

 秋斗さんは変わらず笑顔だ。笑顔なんだけど、でも……。

 藤原さん、早く来て――。

「さ、ベッドに横になって」

 横になる気にはなれなくて、ただ浅く腰掛ける。と、

「俺の母親も司たちの母親も、この部屋で出産したんだよ。帝王切開にならない限り、この部屋で産むことができる。そういう設備が整えられている。……いつか、翠葉ちゃんがこの部屋を使うことになると嬉しいね。もちろん、俺の子どもを産むために」

 恐怖を覚えた直後、一瞬で唇を奪われた。

 唇が離れると、

「まだ足りない……」

 ボソリ、と零す秋斗さんの背後から、人の足音が聞こえてきた。

「御園生さん、あの荷物を全部運ぶのにはちょっと時間がかかるから明日にするわ。とりあえず、これだけあれば大丈夫かと思って」

 藤原さんは病室へ入ってくると私のもとまできて、タオルや携帯のバッテリー、基礎体温計が入ったミニバッグを見せてくれる。「それから」と私の隣に腰掛け、

「私が使っている部屋、この隣なの」

 その言葉は私に、というよりは、秋斗さんへ向けて発したような気がした。

「だから、何があっても大丈夫よ。秋斗くんも安心でしょう?」

 藤原さんは秋斗さんへ向き直る。と、

「……そうでしたか」

「えぇ。さ、御園生さんは寝る前の薬を飲みましょう」

 藤原さんはいつものようにポケットからピルケースを出すと、

「あら、お水を持ってくるの忘れちゃったわ。秋斗くん、持ってきてくれるかしら?」

 言葉だけを見れば尋ねているように思える。でも、明らかに命令を匂わす声音だった。

 秋斗さんは笑顔を崩すことなく、「えぇ、喜んで」と病室を出ていく。

 病室を出ていく秋斗さんを見送ると、「大丈夫よ」と藤原さんに肩を抱き寄せられた。

「私の雇い主は何もかもお見通しなの」

 藤原さんはいつもと変わらず余裕そうに微笑んでいるけれど、私にそんな余裕はなく、言われたことの真意を考えることはできなかった。

 藤原さんの存在にほっとして身体の力が抜ける。それと同時に、目に涙が滲んだ。

「少し私の話に合わせてね」

 不思議に思って藤原さんを見上げると、

「翠葉ちゃん、お水持ってきたよ」

「ありがとう」と答えたのは藤原さん。

「彼女、どうかしました……?」

「入院してからずっとなのよ。夜の病院ってあまり気味のいいものじゃないでしょ? それでこの時間には情緒不安定になるの。大丈夫よ、いつものことだから」

「……翠葉ちゃん?」

 秋斗さんの声にビクリ、と身体が反応する。

「ごめ、なさい……」

「……俺が聞きたいのはそんな言葉じゃないけどね」

「私の患者をいじめないでくれるかしら?」

 藤原さんが冗談ぽく口にすると、

「いいでしょう。今日のところはあなたに任せます。……また、明日来るからね」

 そう言い残して、秋斗さんは部屋を出ていった。


「さ、今度こそ薬を飲みましょう」

 渡された薬とお水を戸惑うままに飲むと、ひとつのカプセルが喉に引っかかって苦しかった。

「そんなに慌てなくても大丈夫よ。私が使っている部屋が隣というのは本当のことなの。もしそれでも不安なら、この部屋で一緒に寝るから安心なさい」

 藤原さんは立ち上がると、壁に付いていたハンドルを手前に引いた。すると、塗り壁のようなものがにゅっと出てきて、全部を引き出すと、壁に見えていた面がゆっくりと傾斜し始める。一枚の壁はベッドへと変化した。それは普通のベッドと遜色ないベッドだった。

「私のPHSにはちょっとした仕掛けがしてあって、エレベーターが十階に着いたりセキュリティが解除されると、誰が来たのか通知されるようになってるの。だから、あまり不安に思わなくていいわ。何があったのかは知らないけど、今の秋斗くんが御園生さんの毒にしかならないってことはわかったから」

 私が言葉を口にしようとしたら、

「今日は寝ちゃいなさい。話は明日聞く」

 と、唇に人差し指を当てられた。

「少し強めの睡眠薬を出したの。きっとそんなにかからず眠れるわ」

 点滴の滴下を調整している藤原さんの手元を見ていたら、知らないうちに私は意識を手放していた。

 ポツリポツリ、と落ちる点滴の水滴は、まるで人の涙に見えた――。

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