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光のもとでⅠ 第九章 化学反応  作者: 葉野りるは
本編
14/53

14話

「起こしましょうか?」

 藤原さんの、声……?

「いえ、きっと疲れているんでしょうから……」

 お母さんの声……。

「俺たちは時間がないわけじゃないんで……」

 蒼兄の声……。

「そうですか?」

「あ……大丈夫。俺、起きるおまじない知ってるし」

 唯兄……? おまじないってなんだろう……。

 不思議に思っていると、耳元で唯兄の小さな声が聞こえた。

「リィ、瞼がヒクヒクしてる。そのまま目ぇ開けちゃいな」

 えっ――。

「ほら、目ぇ覚ましたよ!」

 得意げな唯兄がすぐ近くにいた。

「おはよ」

 にっこりと笑われて、反射的に「おはよ」を返す。

「唯、そのおまじない、今度知りたい」

 蒼兄が真面目な顔をして口にすると、唯兄は「企業秘密」と答えた。

 なんだか、私の周りには「企業秘密」を標準装備している人が多い気がする。

 そんなことを考えながら、ベッド脇にあるリモコンに手を伸ばす。

 身体がきちんと起き上がるまでに目を合わせたのは唯兄だけ。

「気分はどう?」

 藤原さんに訊かれ、

「大丈夫です」

「それも直しましょう」

「え……?」

「私は大丈夫かが知りたいわけじゃないの。体調や気分がどうかを知りたいの。それは良いか悪いか普通か、そういう返事が模範解答」

「……普通です。でも、少し緊張しているから脈拍は速いかもしれません」

「了解。今度からもそういうふうに答えるように」

 藤原さんはそれだけで病室を出ていった。

 ソファセットにはすでにお茶の用意がしてあった。

 そんなどうでもいいことを確認してから、私はようやく蒼兄とお母さんを視界に入れることができた。

 避けているわけじゃない。でも……こういうのも避けていることになるんだろうな。改めなくちゃ……。

「……ごめんね」

 ほかに何を口にしたらいいのかわからなかったから、一言だけ口にした。

「お母さん、蒼兄、唯兄、ごめんね……」

「それは何に?」

 間髪容れず、唯兄に尋ねられた。

 唯兄のポジションは相変わらず私の真横で、しゃがみこんでベッドマットに顎を乗せているから、見上げるような形で私の顔を見ている。でも、さっきのような笑みはどこにもなかった。

「わがままだったこと。いっぱい傷つけたこと……」

「リィ、それじゃ抽象的すぎるよ」

「……うん、そうだよね。……会いたくないとか、仕事に行ってほしいとか、部屋から出ていってとか……たくさんごめんなさい」

 泣いたらだめ――。

 自分がいけないことをして今という状況があるのだから。

 傷ついたのは私じゃない。私は自分を守るために人を傷つけたのだから、痛いのは私じゃない。

「はい、よくできました」

 気づくと唯兄が立っていて、頭にポンと手が乗る。

「ほら、あんちゃんも碧さんも。いい加減こっちに来て何か話したら?」

 蒼兄とお母さんはソファに掛けるでもなく立ったまま。ふたりは笑うでも怒るでもなく、無表情のまま立っていた。

 そんなふたりを見るのは初めてで、私は歯の根が噛み合わなくなるほどガタガタと震えだす。

「リィ、大丈夫だから」

 手を握ってくれたのは唯兄。

「側に行っても大丈夫なのか……?」

 不安そうに訊いてきたのは蒼兄だった。

 頷いたら涙が零れそうで、顔すら動かせない。でも、声が出せるような状態でもなかった。そして、合わせた視線も逸らせない。

 お母さんは一サイズ以上痩せたように見えた。今日は普段着ないワンピースを着ているけれど、そのワンピースもどこかサイズが合っていない感じで、洋服の中で身体が泳いで見える。

 コツ、と音がして、お母さんがこちらへ歩みを進めたことがわかった。

「治療、つらくない? ご飯、食べられてる?」

 それが第一声。

「大丈夫……」

「リィ、不正解」

 え……?

 唯兄を見上げた拍子に涙が零れた。

 すぐに袖で涙を拭う。すると、いつの間にか近くに来ていた蒼兄にハンカチを握らされた。

「さっき藤原さんに言われてたじゃん。大丈夫っていうのは返事じゃないって」

 あ――。

「……治療はつらくないよ。ご飯も少しずつ食べられるものを食べてる」

「正解」

 唯兄はご褒美とでもいうかのように頭を撫でてくれた。

「お母さんは……? お母さんはもう身体大丈夫?」

 すごく心配だった。でも、電話すらかけられなかった……。

「今……」

「え?」

「今、平気になった」

 お母さんは涙を零しながら笑い、

「もう、やだ……」

 と、言いながらも止まらない涙をどうにかしようとしていた。

「これ、蒼兄のハンカチだけど……」

 自分に握らされたハンカチをお母さんに渡すと、お母さんはハンカチで目を押さえた。

「あんちゃん、どうする? そのハンカチ、かなりレアアイテムになったんじゃない? なんたってリィと碧さんの涙つきだよ?」

 唯兄は茶化すように話しては、「洗えないよね? ビンテージだよね」と口にする。

「唯、それは不衛生……」

「唯兄、それは不衛生……」

「唯くん、それは不衛生じゃないかしら……」

 微妙に重なった声たち。

 それを見て唯兄はクスクスと笑った。

「ほら、やっぱり普通に親子で普通に兄妹じゃん」

 カラッとした声を聞いて、ここに唯兄がいてくれて良かった、と思う。

「……唯兄、唯兄も本当のお兄さんになってくれるのでしょう?」

 訊くと、唯兄は一瞬目を見開いてすぐに細めた。

「リィが許してくれたら家族になる」

「どうして? 私、反対なんてしないよ」

「とりあえず、泣き止んでから言ってくれるかなぁ?」

 唯兄は病室に置いてあるティッシュの箱を私に向けた。

 蒼兄と唯兄はソファの方へ行き、お母さんはスツールに掛けた。お母さんはまだハンカチで目を押させている。

 そんなふうにみんなを観察していたけれど、私も人のことを言える状態ではない。ティッシュで何度涙を吸い取っても止まらないのだ。

「困ったわね……涙腺って壊れるのかしら?」

「私も最近同じことを考えていたんだよ」

 そう答えると、お母さんがふっ、と笑った。つられて自分の口角も上がる。

「やっと翠葉の笑顔が見られた」

「お母さんも笑ってる」

 ふたりして笑うと、いつしか涙は止まっていた。

「あのね、今の治療、明日までなの……」

「……神崎先生からうかがったわ」

 お母さんの表情が気持ち暗くなる。

「主治医になってくれる先生が帰国するまでの我慢だって」

 六日って言ってたかな……。

 正直、痛みは怖い。でも、六日でしょ……。入院するまでの地獄を思えばまだましだ。

 そう思うしか道がない。

「その期間、来てもいいのかしら……」

 お母さんが呟くように口にした。

「うん。でも――」

 最後まで言う前に、「わかってるよ」と蒼兄が口にする。

 視線を蒼兄へ向けると、

「父さんから聞いてる。どんなこと言われても一時間で忘れればいいんだろ?」

「ったくさぁ……人間そんな器用にできてたら苦労しないよ」

 唯兄だけが咎めるような口ぶり。

「でも、それでも平気よ……。そのときはそれが本音だったとしても、時間が経てばそれは本音ではなくなるのでしょう?」

「お母さん……」

「側に、いさせてね……? お母さん、そのくらいの仕事はしてきたんだから」

 どこか不安そうに笑う。

「……ありがとう」

 ちょっと不安定な空気のところへ、トン、と音がした。

 それは唯兄がカップをテーブルに置いた音。

「リィも飲みなさい」

 カップにはハーブティーが入っていた。

 家族でお茶を飲むのはどのくらい久しぶりだろう……。昨日、お父さんとも一緒に飲んだけど……。

 お父さんも一緒に、みんなでお茶を飲めたら良かった。それも全部、私がいけないんだ……。

 手の内にあるカップに視線を落とすと、

「悪いー、遅くなったー」

 えっ……!?

 病室の入り口に視線を向けると、そこにはケーキボックスを持ったお父さんが立っていた。

「なんだ? 翠葉、口をぽかんと開けて」

「……お父さん、現場に戻るって――」

 昨日、確かにそう言っていたのに……。

「無理やりな、一日延ばしてもらった」

 お父さんはにこりと笑ってベッド脇にやってきた。

「これなら食べられるんじゃないかと思って、静に頼んで作ってもらったんだ」

 テーブルに置かれたのはウィステリアホテルのケーキボックス。

「お父さん……ケーキは――」

 テーブルから身を引くと、

「ケーキじゃないんだ。桃のシャーベット」

 え……?

「藤原さんが、毎日いろんな果物の香りを病室に持ち込んでいたそうだよ。それで、桃とメロンは大丈夫みたいだって教えてくれてたんだ。柑橘系はすぐに顔が真っ青になるって言ってたかな?」

 嘘……。

「無理なら食べなくていいのよ?」

 お母さんがケーキボックスを開くと、シンプルなグラスカップにシャーベットが入っていた。

 蓋を開けるその瞬間までドキドキしていたけれど、漂ってくる自然な甘い香りに吐き気は感じない。

 スプーンで掬い口に入れると、シャーベットは舌の上でシュワ、と溶ける。

「美味しいか?」

 お父さんに訊かれ、すぐに「美味しい」と答えた。

「これ、須藤さんが作ったもの……?」

「あれ? 知ってるのか?」

「うん、お会いしたことがあるの。いつも食べやすいものを用意してくれる人」

 静さんにも須藤さんにも、みんなに感謝しなくちゃいけない。「ありがとう」を伝えたい。

 どうしたら伝わるかな……。でも、まだ私には謝らなくてはいけない人がいる。

 秋斗さんに、会わなくちゃ――。

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