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眠りの森の魔女  作者: 茉雪ゆえ
2/6

2 森の魔女と血塗れの男

 何度目を凝らしても、目の前の影は男だった。わたしより頭ひとつ分背が高く、肩幅も骨格も佇まいも、どう見ても女ではない。身体を覆うのは、動く為の作りと見られる暗い色をした体に沿う形の変わった衣類で、やはり暗い色のマントのような布を羽織っている。カンテラの灯りでははっきりと見えないが防寒具はそれだけのようで、この吹雪の中にふさわしい格好ではなさそうだ。

 魔力の流れは感じられないから、魔法使いではないのだろう。彼の周りは鉄サビの臭いがひどい。黒い液体は明るいところで見れば、赤いのかもしれない。


「この森に何の用?」

「*****」

「……あなた、どこの人?」

「********!?」


 ほんの少しの聞き覚えもない音が、男の口から飛び出した。何かをしゃべっているのだということは分かるが、意味は何一つ分からなかった。おそらくは言葉が、全く通じないのだ。

 どこか遠くの国から、魔法で飛ばされて来たのだろうか。――もしかして、あの綻びは。


「あなたひょっとして、『森への亡命者』? 結界を突き破ってきたの?」

「**! *******!!」


 駄目だ。全く分からない。私の知る言葉ではないようだ。

 わたしは一歩踏み出した。男は何かを叫び、手にした黒い筒をガチャガチャと弄っている。叫びは焦るように甲高くなり、悲鳴にも似てきた。――顔ははっきりと見えないが、意外と、若いのかもしれない。


「あなたが危害を加えないならわたしも攻撃しないわ。ねえ、あなた、怪我してるんじゃない?」

「***!!」


 できうる限り、優しい声を出してみたつもりなのだけれど、彼の恐慌は止まらないようだった。

 もし、飛ばされて来たのだというのなら、無理もない。突然吹雪のただ中に放り出され、身を守ろうと仕掛けた攻撃が全く効かなければ、わたしだって絶望するだろう。

 しかしこれでは、埒が明かない。


 森の魔女の魔法は守護と癒やし。その本質は『眠り』である。


「nmrns mrntsg」

「****!? **……」

「おっと……ぎゃあ!」


 (エル)で描いた子守唄は、彼に急速に滲みたようだった。おそらくは、身体が限界だったのだ。

 推定血塗れ。多分、魔力なし。周りは大吹雪。言葉は通じない。……そりゃあ、限界にもなるだろう。

 しかし。


「おっもい……!!」


 頭ひとつ分の身長は伊達ではなかった。

 眠りに落ちた身体を支えようとしたわたしは、思いっきり下敷きになって、雪の中へと潰されたのである。



 雪の中、根性となけなしの体力で男を庵に運び込んだわたしは、玄関先にへたり込んだ。

 重かった。とても重かった。とんでもなく重かった。

 ぜえぜえと情なく息を吐き、灯りの魔法でランプを灯すと、ようやくのことで押し込んだ男を見やる。


「……やっぱり」


 男を染めていたのは、べったりとした赤いもの――血液だった。もちろん、私の毛皮やローブにもべったりと付いてしまっている。鉄の臭いがひどい。月のものが来ていたって、こんなにひどい臭いはしない。

 わたしは気分が悪くなって、男を玄関先に放ったまま、とりあえず水を飲みに台所へと向かった。


「着替えは処置が終わってから……ついでにお湯沸かして、水汲んで……布とナイフと血止め草と糸と針……あとなんだっけ」


 黒の森は治癒と護りの森として、大陸中にその名を知られている。そのため、険しい山奥というたどり着くことさえ困難な地でありながら、切迫した状態で逃げ込んでくる人は珍しくない。

 そんな、深い傷や呪いを負い、庇護を求めて黒の森へ逃げ込んでくる人たちを、森の民は『森への亡命者』と呼ぶ。そして、亡命者を見つけた魔女は、その対象を保護し、治癒しなければならないと森の掟に定められている。

 なぜなら、森の魔女の魔法は護りと癒やしだからだ。それは第二の本能とも呼ぶべきで、『森の魔女』として森に認められた魔女たちは、まるで脊髄反射のように、亡命者の傷を癒やそうとする。傷を負って森に逃げ込んだものがなんであれ、癒やし、傷が癒えるまで守るのだ。

 この男が逃げ込んだ人かはわからない。けれど、怪我を負った人間が倒れていれば、森の魔女は治癒を施さねばならない。


 というわけで、わたしは運び込んだ男の治療を開始することにした。わたしはごく普通の森の魔女だから、当たり前のこととしてこの男を癒やさねばと思ったのである。

 疲れを振り切って手を洗い、湯沸かしの呪文を唱え(いつもなら火で沸かすのだかが、時間がない)、吹雪の前に洗っておいた手拭いとタオル、シーツをごっそり持って、わたしは玄関先に舞い戻る。そして、足元でだらりと横たわる男を眺めた。

 背は6フィートはあるだろうか。わたしは5フィート2インチなので、大きく見えるのも当然だった。肌を見る限りは若いようだが、顔に浮かんだ苦悶の表情が若者らしくなく、不気味だ。衣類は黒だと思っていたが、どうやらそれは血のようで、もとは枯れ草のような灰色だったらしい。血染めの上着にはなにやら魔術的な紋様が縫い取られていたけれど、わたしの知らない術式だった。きちんと解析すれば分かるだろうか。ああ、ひょっとするとこの男は魔力のない人ではなく、怪我のせいで魔力が著しく損なわれている状態の魔術師なのかもしれない。

 わたしは暖炉の前にシーツを広げ、男をズルズルと引きずって、その上に横たえた。服はナイフで裂くことにする。魔女のナイフは魔獣の皮さえ切り分けることができるのだ。


「うわ、ひどい」


 ぴくりとも動かない男をひっくり返し、やっとの事で上着とシャツを脱がせたところで、わたしはまたしても吐きそうになった。男の背には大きな傷が3つもついていたのだ。それは、剣や矢、魔力による傷とは違い、何かがそこに取り付いて爆ぜたかのように、皮膚と肉が深く抉れていた。傷の中には何かがめり込んでいて、よくぞ生きていたなといっそ感心する。

 沸かした湯で手を洗い、わたしは深く息を吐いて治療に取り掛かった。



 やっとのことで処置をした男は、それから三日三晩、高い熱が続いた。

 彼はちらと目覚めることもなく、時たま、微かな獣のような唸り声を喉の奥から切れ切れに漏らした。

 わたしはその度に、床に敷き詰めた厚い毛布の上で、酷くうなされる男の、汗と血のこびり着いた髪や肌を出来るだけ拭っやって、口には水を含ませてやった。熱が上がれば、眉間と鳩尾、それからへその下から、生命力を活性化する魔力を送り込んでやった。何度も何度も。赤子に乳をやる母親のように。男の大きな傷のほとんどが背中にあるせいで、うつ伏せに寝かせていたものだから、それは本当に大変だった。

 しかし、わたしの頑張りの甲斐あって、この冬一番の大吹雪がおさまる頃、男の熱はゆるゆると下がり始めた。血の足りぬ青白さと高熱の赤さが奇妙に同居していた肌の色も、ずいぶんと人間らしい色を取り戻している。こうなれば、これ以上悪化することもない。あとは意識を取り戻し、腹に食べ物を詰め込むだけだ。

 わたしはほっと一息ついた。


 そんな風に、ちょっと気を抜いていた時だった。

 5日目の夕方、鳥の煮込みシチューをぐつぐつと煮込むわたしのもとに、今までの呻き声なんてお話にならないほどの、雄叫びみたいな大声が聞こえてきたのは。


「どうしたの!?」


 火の処理さえも忘れて居間に駆け込んだわたしの目に飛び込んできたのは、手負いの獣のような呻き声を上げて、厚い毛布の上から転がり落ちている男の姿だった。——彼はどうやら、遂に目覚めたのだ。

 力が入らないのだろう。四つん這いでガリガリと床を爪が掻く。くしゃりと潰れた金の髪が汗ばんだ額に張り付き、その下には炯々と不穏に輝く瞳がある。わたしはこの時始めて、男の瞳が、目の覚めるような青であることを知った。

 なんて綺麗な。

 などと思ったその途端。ぐるりとわたしの視界が回って、ガツンと背中に痛みが走り、急に呼吸ができなくなった。思わずもがけば、一層に息が通わなくなる。……喉を絞められているのだ!

 一体どこにそんな体力が残っていたのか。単にわたしの力が弱すぎるのか。額に汗をにじませた男はわたしに馬乗りになり、その大きな手でぐいぐいと首を絞める。


「******!?」


 そうだ、彼は言葉が通じないのだった。しかし、返事をしようにも、喉を抑えられては声が出ない。


「*****!」


 ……しかし、森の魔女の魔法は音だけに頼るものではない。わたしは霞みかけの意識を振り絞り、男の青い目を覗いた。ひどく美しい、青玉のような瞳だ。美しいものはそれだけで、強い力を持つという。なれば彼が魔術師なら、優れた術者であることだろう。

 わたしは己の瞳に力を込めた。魔女としては珍しくもない、森と同じの緑の瞳である。緑の瞳は、古くは旧き森の民(エルフ)の血を引くものの証しであったという。それが転じて魔女の瞳と呼ばれるようになり、今では「嫉妬深い女性の象徴」などと言われることもある。失礼な話だ。

 しかし、森の色の瞳は魔女として、都合が良いのは事実である。親和性が高いのか、森の力を借りやすいのだ。

 にじむ視界にチラチラと金の光が混ざり込む。森の力だ。


(動くな)


 森の魔女と目を合わせてはならない。魂を縛られてしまうよ。


 ——(いにしえ)から伝わるこの言葉を、この男は知らないらしい。彼はその瞳を見開き、そこには驚愕の色が滲んだけれど、その時にはもう、わたしの術の中だった。

 優れた術師が相手なら、ほんの数秒しか持たない、「魔女の瞳」の呪いに落ちた男の下から、わたしはヨロヨロと這い出した。眼球さえも動かせない男から溢れ出す気配はおそらく殺気だ。深手を負った狼だって、手当をした人間に親愛を示すことがあるというのに、人間は獣よりずっと難しい生き物であると思う。

 ……さあて、どうしよう。

 わたしは男から距離を置いて腕を組む。


 わたしは森の魔女だ。この危険極まりない、わたしに対して敵意を剥き出しにする男を、雪深い森に放り出すというのは却下である。もちろん、他者に委ねるのもいけない。それは森の掟に背くことだ。

 ではどうしようか。ひとまず結界に閉じ込めることは必須だろうが、そろそろ食事を摂らなければ、いずれ飢えて死ぬだろう。まだ若いと見える男——たぶん、わたしよりも年下だろう——をむざむざ死なせるのは忍びない。

 わたしはひとつ息をついた。長期戦を覚悟せねばなるまい。


「……まあ、春はまだ先だものね」


 魔女すら引きこもる、黒の森の冬はまだ続く。男の傷が癒えたとて、旅立てはしないだろう。

 未だ動けぬ男の周囲に結界を施しながら、わたしは遠い春へと思いを馳せた。


……トリップものを書こうとしていたはずなのにおかしいな。

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