マンドラゴラの恋人
マンドラゴラって知ってる?
花芯が人の形をした花で、抜くと悲鳴をあげるの。
悲鳴を聞いては駄目よ、死んでしまうから。恐ろしい? 恐ろしいわよね。
……そんなマンドラゴラが、何故ああなのかしら。私にはわからないわ。
もっと経験豊富な人なら――女としてなのか、薬師としてなのかはわからないけど――わかるのかしら。謎だわ。
*****
アリアドネの町の北には豊かな森が広がっている。
しかし、森に入ることを許され、その恵みを得る事が出来るのは、領主に認められた僅かな人数だけだった。
まだ十七歳のアリシアはその僅かな人数の一人で、薬師だった。
「やあ、アリシア。今日もいい天気だね。素晴らしい日差しだ。そうは思わないかい?」
明るい日差しが降り注ぐ、森の奥にある小さな泉。
何時ものようにアリシアは泉のほとりにしゃがみこみ、籠を片手に薬草を摘み始めた。そこへほがらかな若い青年の声がかかり、アリシアは感情に乏しい表情で頷く。
「ええ、思うわ。もうそろそろ雨が降ってくれてもいい頃なのだけど」
「雨……それは嬉しくも悲しい、自然のハーモニー。雨は嬉しいはずなのに、君と会えないと考えると心臓が痛むんだ……」
「傷む? やっぱり大きいと傷むのも早いのかしら」
「お、大きいだなんて……破廉恥だよ、アリシア。いや、君が望むなら僕はいつだって全てを曝け出すつもりだけど……痛たっ」
「黙りなさい、この卑猥植物め」
「ぼ、僕の大事なところはちゃんと花弁で隠されているよ。アリシアになら見せても構わないけど……って、痛っ痛いって!」
アリシアは無表情のまま、手に持った木の枝で怪しげな発言を口にする植物を突いた。
そう、植物。
先ほどからアリシアの薬草採取を邪魔するお喋りな相手は、人間の男の姿をした巨大なマンドラゴラなのだ。
出会いは二年前。新天地を求め、この森に移動してきた彼が水不足で枯れかけていたところにたまたまアリシアが通りかかり、助けてあげた事がきっかけで懐かれたのだ。
全長二メートル近く。淡い金髪と鮮やかな翡翠色の瞳を持つ美形のマンドラゴラは、下半身を覆う薄紅色の花弁と根っこを見なければ人間の男にしか見えない。そんな彼は「エディ」と名乗り、出会って以来ずっとアリシアに熱烈なアプローチをかけ続けていた。
「アリシアってばひどいなあ、花は大切にするべきなんだよ? でも、そんなクールな君も好きだ。たとえ凍えても構わないから君の足元で咲いていたい」
「氷魔法は残念ながら使えないわ。使えたら夏場に便利なのに。あと、足元で咲かれたら踏むわよ」
「君になら踏まれてもいい!」
「枯れろ変態」
これは、そんな二人……いや、一人と一輪のささやかな物語。
*****
「……ただいま」
ぽそり、と呟きながらアリシアは自宅のドアを開けた。
「おかえり。グーネの葉は採れたかい?」
「ええ。ちゃんと数を揃えて採ってきたわ。エディも手伝ってくれたの」
「そうかい」
しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑う祖母に籠を手渡し、アリシアはフード付きのマントを脱いだ。
長い紅茶色の髪を三つ編みのおさげにした、飴色の目の地味な娘。それがアリシアだ。
アリシアは薬師である祖母に幼いころから師事し、一緒に暮らしている。離れて暮らしている両親はアリシアの事――主に婚期――を心配しているが、薬師という仕事に誇りを持ち、一生を捧げる覚悟を決めているアリシアは気にしていない。
今はそんなことより、祖母の体調が気がかりだった。
「おばあちゃん、後は私がやっておくから休んで頂戴」
「もう少しやってからね」
「駄目よ、さあ。お願いだから」
「……仕方ないねえ」
祖母は声に苦笑を滲ませながら立ち上がり、ゆっくりと寝室に向かっていった。その姿を見送り、アリシアは重い溜め息を落とす。
ここしばらくの快晴のおかげで祖母の調子も良いが、油断は出来ない。祖母は老齢で、時々寝込むようになっていた。
「……雨は降ってほしいけど、おばあちゃんの為には晴れていてほしいわ」
似たような事を言っていたマンドラゴラに向けて呟いて、アリシアは祖母がしていた作業の続きをするために机に座った。
雨が降りだしたのは、その二日後だった。
*****
そぼふる雨の中を、灰色のマント姿の少女が歩いている。少女は慣れた足取りで森の中を歩き続け、目当ての場所にたどり着いた。
「……あれ? アリシアじゃないか!」
心地よい雨にうたれ、うとうとと微睡んでいたマンドラゴラのエディは人の気配を感じて目を覚ました。そしてすぐ近くに立っているのが愛しいアリシアだと気付き、輝くような笑顔になる。
「……ご機嫌よう、エディ」
「勿論僕はご機嫌さ! この雨の中、君に会えたんだからね!」
「……そう」
「……アリシア? なにかあったのかい?」
アリシアはあまり口数の多い娘ではないが、今日は特に少ない。様子がおかしいことに気付き、エディは心配の色を翡翠の瞳に濃く滲ませた。
「……ごめんなさい、エディ」
「なにを謝るのさ、あ――」
アリシア、と続けようとしたエディの口が開いたまま固まった。フードを被ったアリシアがマントの影から取り出した物。それは鈍い光を放つ剪定用の鋏だった。
エディの秀麗な美貌が恐怖に染まる。
「ご、誤解だっ! あの時の蜜蜂はちゃんと撃退した! 君以外の誰にも受粉なんてさせないしする気もない!」
「なんの話なの」
思わず真顔で尋ねてしまい、アリシアはごほん、と咳払いをした。仕切りなおし、とばかりに目を伏せて話しだす。
「実は……祖母が寝込んでしまって。このままだと危ないかも知れないの。本で調べたら、あなた(マンドラゴラ)は滋養強壮に良いと書いてあったから……」
「なるほど……」
話を聞いたエディは迷いの表情で考え込む。その姿をアリシアが祈る思いで見つめていると、やがて小さく彼は頷いた。
「いいよ――アリシア、君のためなら」
「エディ……ありがとう!」
笑みを浮かべるアリシアをエディは眩しそうに目を細めて見つめる。そっと彼も微笑を浮かべたが、どこか寂しげなそれにアリシアは気付くことはなかった。
*****
持ち帰ったエディの根を煎じて与えると、祖母の体調は見違えるように良くなった。
エディから根を貰ってから数日たったある日のこと。アリシアは半身を起こせるようになった祖母に深緑色の薬湯を手渡していた。
「はい、おばあちゃん。残さず飲んでね」
「はいはい。……それにしても大丈夫なのかねえ」
「大丈夫って、なにが?」
「エディだよ」
こくり、と薬湯を一口飲み、苦そうに口をすぼめた祖母は、しばらくして再び心配そうに眉じりを下げた。
「根の一部をくれたんだろう? 花びらとか葉っぱじゃなく。他はともかく根はねえ……マンドラゴラだから普通の植物とは違うのかも知れないけど、大丈夫なのかと思ってね」
「それは……わたしも心配したけど、でも、いいよってエディが……」
一番滋養のある部分だからと、髭根の中でも太い根っこの一部をわけてくれたのだ。その時のエディの優しい笑顔を思い出し、アリシアはなぜか不安にかられた。
「そうかい。なら、平気なのかもしれないね」
「……うん」
きっと平気だ。いや、平気だったらいい。
……平気じゃなかったら?
かたん、と音をたててアリシアは椅子から立ち上がった。
「アリシア?」
「……ちょっと森まで行ってくる!」
アリシアは壁にかけてあったマントを掴むと、森に向かって走りだした。
*****
雨はまだ降り続いている。まるでアリシアの気持ちに呼応するかのように激しさを増す雨の中を、彼女は走った。
そしていつも陽気なマンドラゴラが寝そべっている泉のほとりへとたどり着いたアリシアが見たものは。
「エディ!」
土気色の顔色でぐったりと地面に横たわるエディの姿だった。
嫌な予感が当たってしまい、アリシアは震える手でエディを揺さ振った。
「ああ、なんてこと……! エディ、しっかりして。エディ!」
「……アリシア?」
ぼんやりとした声音でエディはアリシアの名前を呼び、ふと微笑んだ。
「すごい。なんていい夢なんだ。最後の最後に君に会えて良かった。僕が枯れたらせめて君が全て煎じて、有効活用してくれ……」
「しっかりして! 夢じゃないわ、ちゃんとここにいる!」
「アリシア……本当に、本物の?」
「ええ」
幾度かまばたきを繰り返し、エディは驚いた顔をした。
「アリシア……なぜ、ここに」
「……貴方の事が心配で」
呟くように答え、アリシアは今にも泣き出しそうに顔をゆがめた。
「ごめんなさい――やっぱり、根を傷めたのが良くなかったのね。傷口をみせて」
「……アリシア」
「はやく!」
強い口調で促されたエディは、渋々といった様子で根の一つを土から出した。その根は半ばあたりからぶにぶにと水ぶくれしていて、腐れかけていることが一目でわかる。
ああ、なんてこと。もう一度そう言いかけたが、アリシアはぐっと堪えた。今は、嘆くよりも行動するべき時だ。
「……少しだけ待っていて。剪定用の鋏と……いえ、鉈がいいかしら。とにかく切る物と魔晶石を持ってくるわ。エディ、わたしに貴方を任せてくれる?」
アリシアの言葉に、エディはいつもの笑顔で答えた。
「勿論。君になら、全てを任せられるよ。なんだったら人生……じゃなくて植物生? を任せたいくらいだ」
いつも通りの軽口だったが、アリシアには叱り付ける余裕がない。緊張している彼女に気付いて、エディは言った。
「ねえ、アリシア。今回の事で責任を感じているなら、それは違うよ。僕は僕がそうしたかったからやったに過ぎない。結果的にこうなったけど、全て自業自得なんだよ」
「……なんで、こうなるってわかっていたのに」
「根をくれたのか、かい? だってそれは当然だよ。君が君の大切な人を心配して泣きそうだったからさ」
「……それだけで?」
「僕にとっては、一大事だったのさ」
気障っぽく笑って言ったエディは、つと真面目な表情になり、アリシアの手を包むように握った。
アリシアは驚いて肩を揺らしたが、その手を振りほどくことはしなかった。
「……アリシア。初めて君に出会った時、僕は枯れかけていて、もう駄目だと思っていた。けれど君は水魔法を使って僕を助けてくれたし、重かっただろうに、この泉のほとりにまで引きずってきてくれた」
「あれは……たまたまよ」
「ふふ。そうかもしれないね。でも僕は嬉しかった。なんて優しい娘だろうと思った。最初はその程度だったのに、会う度に想いは育っていって、今ではどんな木よりも大きくなっているんだ」
「!」
エディは捧げ持つようにしてアリシアの手を両手で持ち上げ、その荒れた指先にキスをした。
「僕にとって君は、太陽で雨で肥料なんだ。君が笑っていてくれたら嬉しい――それだけが望みだった」
そこでエディは困ったような、嬉しいような表情になる。
「……僕の事で君がそんなに心配するとは思わなかったんだ。ごめんね」
「……ばか」
アリシアはなんて言ったらいいのかわからなくなり、真っ赤な顔でそれだけを口にした。
*****
傷の治療を始める際、万が一を考えて、悲鳴を上げないようにエディは猿轡を噛むことにした。
「たまにはこういうプレイもいい……ぐふぅっ!」
「さっさとしなさい」
腹に一撃をいれて準備は整った。
まずは腐れかけている根を切り落とし、丁寧に消毒する。人間にとっては腕か脚を一本失うようなものなのか、エディはひどく苦しみ、何度も気を失った。
アリシアも気を失いそうだったが、他に頼れる者はいない。必死で堪えて治療を行った。
そして、持ってきた魔晶石の出番である。
「魔晶石には魔力が込められている……マンドラゴラも魔物だもの。きっと、この魔力で回復するはず……!」
アリシアは気を失ったままのエディに向かって魔晶石の魔力を解放した。一つ、また一つと魔晶石の魔力が枯渇し、ただの石ころへと変わっていく。
「お願い、元気になって……お願い……!」
いったい何時間そうしていたのか。十八個目の魔晶石が石ころになった時、少しだけエディの顔色がよくなった。更にもう二つほど魔晶石を使い、エディの呼吸が整った事を確認して猿轡を外してやる。そして、アリシアはようやく安堵の息を吐き出した。
「良かった……エディ」
「ん……アリシア……」
まだエディの意識は戻らない。それなのにアリシアを探すようにその腕があがり、さ迷う。アリシアは微笑みを浮かべ、その手をとった。
ぐっしょりと濡れた体に今更ながら気が付き、小さくくしゃみをして空を見上げる。
雨はもう上がっていた。
*****
その後。エディは劇的に回復したものの、今度はアリシアが寝込んでしまった。長時間雨の中にいたせいで風邪を引いてしまったのである。
「ほら、薬湯だよ。残さずお飲み」
「……はーい」
元気になった祖母から薬湯を渡され、アリシアは複雑な気持ちで受け取る。祖母が元気になって嬉しい気持ちと、薬湯が苦くて辛い気持ちを混ぜ合わせた想いを、薬湯と一緒にぐっと飲み干す。
「ああ、それと、また花が届いていたよ。あんたの恋人から」
「ごふっ!」
思い切りむせた。
器官に薬湯が入って苦しむアリシアの背をさすり、祖母は呆れた顔をする。
「なにやってんだい。ほら、お水」
「あ、りがと……で、でも違うから。恋人じゃないから」
「おや、そうなのかい? なかなかいい青年……いい植物? だと思うけどねえ」
「植物だから! 魔植物なんだから、無理でしょう?」
「そうかい? 本人次第だと思うけどね。はい」
差し出された花は、薄い紅色の小さな花がたくさん咲いた可憐なものだった。
頬を赤く染めてその花を受け取ったアリシアは、森に居る陽気なマンドラゴラに想いを馳せる。
彼は元気だろうか?
いや、毎日花や木の実や薬草を届けてくれるのだから元気なのだろう。
……でも、寂しがっているかもしれない。
「……はやく良くなって、会いにいってやらなくちゃ」
そっと呟いたアリシアを見て、祖母はおやおや、と楽しげに笑っていた。
――そして再び、いつもの日常が訪れる。
「ああ、アリシア。今日も君は眩しいよ! 君という光で僕はさらに成長するかもしれない。いや、決して破廉恥な意味ではなくてね。って、痛いよ! 違うっていってるのに!」
「除草するわよ、この有害植物め」
今日も北の森では変わった組み合わせが見られる。陽気なマンドラゴラとちょっと無口で素直じゃない薬師の少女は、なんだかんだ言い合いながら、仲良く並んで薬草を摘んでいるのだった。