BLESS
バスに揺られながら思い出していた。
無理矢理浮かべたものではない、心の底からの笑顔に溢れていた日々。それは今までのいつよりも温かい人に囲まれていた。
どうぞと優しく差し出されたお菓子は何度か食べずに持って帰り、溜められていく。
不健康な生活が一変、すぐに眠りが襲う。過剰ではない疲れは心地良く、明日を拒むどころか迎え入れていた。
気紛れで赴いたそこは、噂に聞くよりずっと気さくな場所だった。私の築いたはりぼても、簡単に破られるほど。
バスはそこから遠ざかる。過去を置いて遠ざかる。硝子に映る私は泣きそうだ。
近所の話、お互いの話。混ざる訛り。少しの自慢。会話はテンポよく飛んでいた。
耳が捉える「見て見て」の声。目の端に映る、スーツを脱ぎ着する姿。時折聞こえる溜め息や、筋肉痛への懸念。人の声と往来で騒がしい空間も、いつの間にか居心地の良いものになっていた。
バスはもうすぐ目的地へ着く。居場所にしていたあそこを白紙に上書きして、再び零の地点へ。
野球の歓声がテレビから響く。見つめていた背中は、何を感じていたのだろう。チョコレートは、悲しい微笑みに溶けていった。
またいつか会えたら。お元気で。ありがとう。
飛び交う別れを告げる言葉にぶつかりながら日が沈む。沢山の感謝と思い出を抱えて、私はそこを後にする。
覗き見た横顔は、合わせたその瞳は、何を抱いていたのだろう。一礼して、私は扉を閉めた。
バスを降りて、家に帰る。
思い出していた。今までのことを、忘れていないか確認するように、思い出していた。
伝えたかったのに伝えきれなかった思いが、涙になって溢れかえる。
ピンはもうそこには立てられない。閉じられた世界、開けることない扉。鍵は返してしまった。
ある日私は夢を語った。もしかしたら、その夢は扉を開く鍵を生成できるかもしれない。記される名前は魔法のように、思い出をこじ開けるから。
目の前に輝く未来に過去を見出して、私はそれに手を伸ばす。
嗚呼、貴方の未来にも祝福を。




