上書き保存
少しずつ上書きされていく記憶。
この頭のなかに残っているどれだけのものが、これから先生き残っていけるだろう。
今見ている景色は、過去にも見た景色で。忘れたくないのに、少しずつ現在が侵食していく。
いつ見た?今年?それとも何年も前?
誰と?何処で?
全てない交ぜになって霞んでいく。
汗も涙も笑顔も声もぐちゃぐちゃに溶けていく。
記憶力は今も昔もとても悪い。
幼い頃の記憶なんて殆どなかった。
「覚えてない」そういって苦笑する。
皆覚えていることも、恐ろしいほど全く覚えてなかった。
下手をすれば昨日のことだって忘れてしまう。
何かに結びつけなければ、全て風に流れて消えていく。
だけど消えない記憶もあった。消せないもの、とも言える記憶。
きっと感情が覚えていたんだ。
悲しみが。
きっと光が覚えていたんだ。
ふと視線を反らした街の明かりが。
きっと匂いが覚えていたんだ。
甘いバニラの匂いが。
匂いは私の記憶を構成する大事なものだった。
匂いがあれば、大切な思い出は鍵を掛けたかのようにしまっておけた。
雨の匂いは少し悲しくて、孤独を示す。
甘い匂いは少し優しくて、安寧を示す。
汗の匂いは少し現実的で、興味を示す。
夜の匂いは少し寂しくて、別れを示す。
春の匂いは少し大人げで、幸せを示す。
そうやって小さく小さくまとめて、トンボ玉に入れて飾る。
匂いと聴覚がタッグを組めば、もっと鮮明に思い出せた。
だけど分かる。
少しずつだけど砂時計の砂のように零れていくのが。
そして次々に入れ替えられる砂。
それは異色だけど、ぱっと見た限りでは見間違えるくらい似てる色。
自分にしか分からないほんの少しの違い。
バレたら勢い良くぶちまけられて捨てられる、そんな記憶たち。
そんな記憶を私は恨むことは出来ない。だから大切に取っておきたかったのに。
消さないように必死で思い返して守ってる。
戻れないのが辛くて、泣いて「もう聴きたくない、嗅ぎたくない」って拒否しても。それでも思い出したくて。
今、匂いは2つの事柄を思い出させる。
新しい思い出も、古い思い出も大切にしたくて。
きっとこの新しかった思い出も古くなって、懐古するしかなくなる時期がくるから。
「忘れたくないよ」
(どんな自分も。)
って、泣きそうに笑った。
覚えてるのは、泣いた私と笑った私。




