なくせなかったもの
富豪が企業を買収する。
それを意のままに動かし世界を歪め、そしてまた力を付ける。
そんな富豪の顔色を窺わなければその椅子に座れない首脳たち。
彼らはこぞってその歪めを買い漁り自国にばら撒いた。
もうこの世に欲しいものはない富豪は、支配することにさえ魅力を得ず、ただ崩壊をもたらした。
自身を絶対的な安全圏に置いて、その阿鼻叫喚を笑い杯を傾けた——
ここ日本も例外ではなかった。
対外戦力を持たぬ日本にも、この国を良く思わぬ国々が、大国の陰に隠れ侵略を開始した。
夜だと言うのに眩耀な橙の光に、心を締め付ける轟音。
コレが戦争か——
対外国との争い……戦争など生まれるよりもずっと昔のこと。
と思っているのが大半の日本人にとって、それはあまりに重く冷たい日常となった。
「本当に燃えている、空に……」
黒い影が飛来していた。
新はカーテンを掴み、その手を、口元を震わせていた。
映画ではない、高価なプラットフォームを使ったゲームのCGでもない。
それを伝えたのは、ここまで伝わる熱とこの胸を打つ振動だった。
——千紗
よぎるその名にスマホを手にする新。
「繋がらない。戦争で電波が——」
違っていた。
通信はまだ生きていた。しかし、心なくも無闇にそれを使うものたちのためにキャパは崩壊していた。
これからのその心のように……
全てを受け入れられないように——
「行こう」
じっとしているのが苦手と言える新は予測不能な爆撃よりも、知らぬ間に終わりを告げる千紗の運命を否定したかった。
砕け散るかもしれないマンションに鍵をかける新。
エレベーターはまだ答えてくれるようだった。
エントランスを抜けた先には街灯に代わり、夜を照らす戦火が埋め尽くしていた。
轟々たるその赤にここからでもその熱量を感じ取っていた。
走り出す新に北西の風に混じり、時折けたたましい音と地鳴り。
そこから背を抜き去る熱い風。
今まで気づかなかったアスファルトの匂い。
倒れそうになっても、瓦礫が刺さっても止めることのできない足。
——無事な千紗を見るまでは
家の明かりは消えていた。
門扉のインターホンを押すが手応えがない。
この辺り一帯は停電なのか——
「千紗っ千紗ぁ!新だぁ千紗ぁ」
鳴り止まぬ轟音に逆らうその叫び。
2階の窓が開いた。
「新!」
「千紗——よかった」
日頃千紗の母が手入れをしていたであろう花壇にヘタレ込む新。
それにさえ嬉しさを感じる千紗は急ぎ下へと駆け降りるのだった。
「お父さんお母さんは?」
「2人とも今日は遅くなるって言ってたけど、連絡がつかないの」
「ああ、みんながかけまくってるだろうからな」
新の肩に手を置き頷く千紗。
「で、どうする。ここにいても危ないだろ?」
「うん、逃げたかったけど、どうしたらいいか……」
「行こう」
「どこに?」
焔の橙の光に青白く翳る横顔。
「分からない。でもどこかシェルターか何か……トンネルでもいいから」
新の言葉に縋るように走り出す千紗だった。
自分の家から10メートルほどのところはすでに類焼がおよび、その輻射熱で路地さえ通れなかった。
「待って!」
新の手を強く引き止める千紗。
咄嗟にキツい顔で振り返る新。
「子供の声が、泣いてる」
辺りを見回す新には、その声すら聞こえない。
「どこだ?聞こえない。早くしないと」
「でも、放っとけないよ」
泣き顔に近いその声。
苛立ちを抑えつつ千紗の周りを歩き子供の姿を探すのだが、やはり何も見つけられない。
「わからない、無理だ。行こう!」
見知らぬ子供より千紗さえ救えればと強く願う新は、また強く手を引き走り出した。
未練……
そんな言葉をそこに置き去りに振り返り振り返り走る千紗だった。
新の目的地はすぐそこに迫った。
「地下鉄に入るの?」
「ああ、あそこしか思い浮かばなかった」
新を頼る千紗に疑いなどない。
新の手の力のまま付き従い走るのだった。
地下鉄入口の手前は商店街が並んでいた。
——古いアーケード
新の手が不意に軽くなった。
振り返るその目に映るのは——
「千紗ぁぁ」
さっきまでなかったはずの、赤く焼けた鉄が、コンクリートが千紗を、その姿を塗り潰していた。
千紗を囲んだ焔は皮肉にも新の目に、爛々と美しく燃え盛るのだった。
膝を落とすしかできない新の目に、焦げたコットンのジャケットが酸のような刺激を与えた。
どっちにしても溢れる涙。
めくれ上がったインターロッキングを打ち付ける両の拳。
身の回りに落ち続ける焼けた残骸に、飛び散る火の粉。
それさえ見えない新はさらに頭を地につけるように泣き叫んだ。
「俺が——連れて来なければ」
そう思った時……
立ち上がった。
前へと歩き出す。
裾から入り込む熱気の鋭さ——それに動く心はもうない。
そして、ゆっくりとその千紗の焔の中へと入って行くのだった。
異臭を放つスニーカーのゴムと前髪。
「千紗ぁ、俺も、俺もぉ」
狂乱の目が焔を涼しく見せた時、その手首を掴むものがいた。
「やめろっ、何やってんだ」
新には逆らえないほどの力で、見知らぬ男に後ろに放り投げれた。
ゴロゴロと転がり、和菓子屋のシャッターに頭が鳴った。
バラバラバランと揺らした音が響いた時、新を投げた反動で火中に身を投じることとなったその男。
「あ!?」
無力に声を上げる新。
空から舞い落ちる赤く焼けた看板。
ガシャーンと音を立てたのが先か、細かな破片が飛び散るのが先か——
新の脳裏には、そのスローモーションが何度も何度も繰り返されていた。
我に返る新はシャッターを押しのけるように勢いをつけ男の元へと駆け寄った。
手を引き巨大な看板の下から引き抜こうとした。
「やめろ、まだ落ちてくるぞ」
新を気遣う男の叫び。
「でも、あなたが」
「いいから行け」
「何で……どうして」
「理由なんてない。さあ、お前はいき……」
押し潰すその重さに息を失った男。
手を離せず、そのオレンジの熱さを忘れ、燃えゆく男の姿を呆然とみつめるのだった。
ようやく意思を守り戻した新は、それでもトボトボと力を失ったように歩き、そして和菓子屋の隣のシャッターに背を任せ腰を落とした。
曲げた膝に頭を抱える両腕。
息を吸うたびに焼けた前髪が、今を運んで来た。
(なぜだ——誰なんだよあの人は……)
まだ消えぬ焔で目を焼き尽くした。
それでも頭に浮かぶのは最後の男の言葉だった。
そこに強さはなかった。
恨むような声色も、何かを押し付けるような目も何も——
(何がしたかったんだ……)
「何なんだよアンタは——」
空気を蹴るように押し出される右足。
自分を助けた男が向けた最後の瞳、声、そして音のない表情……
——ない
何も……
そんなわけが——
はっ、として焔の中にいるであろう男の姿を見る新。
もっと近くに行きたくて、、、
顎から先に歩くように近寄った。
——そうか
「ありがとう」
そう一言だけ呟くと、目指した地下鉄の入り口へと歩き出すのだった。
数日続いた地響きも入り口から入り込む熱もようやく収まった。
そして階段を登るとそこに焔とは違った、オレンジが空を西へと傾けていた。
あてもなく徘徊する新に、千紗との想い出を辿るような節は見られなかった。
ただ薄れゆく空の下、歩けるところを歩く。
そんな足取りで進むのだった。
そして、風が冷たくなった頃、
焼け崩れた街にただ清々しいほどの静寂を見る新。
月さえ失われたその世界に、ただ自分1人が立っている——そんな優越感とも言える焼土の匂いに、どこまでも溢れゆくカタルシスに浸っていた。
そして、暗い夜を払いのける陽は何があっても登ってくるのだった。
歩を進めるために入ってくる惨劇の証。
それに目を留めることなく、そしてそれを引き起こしたモノに押し付けることなく新はあてもなく彷徨うのだった。
またやって来る漆黒の静寂を待ち望むように——
蓄電システムによる作動。
岩に閉ざされていた厚い金属のドアが開いた。
外を警戒しながら溢れ出る数百の武装隊。
それに囲まれながらテレビで見た顔ぶれが太陽の白光に俯きながら姿を現した。
同じ日本人だ。戦争ももう終わったのだろう……
新は構わずその集団を無視するかのように歩き続けた。
それに目を留める1人の男。
「アイツは何だ?何をしている?何故生きていられたんだ?」
そんな声に一斉に振り向く一同。
「ああ、確かに何であいつはあんなに——」
普通でいられるんだ?
世界は崩壊したのだぞ——
「アイツは!?」
誰かが強く声を上げた時、心の虚無を虚栄を塞ぐようにその音は響いた。
——乾いた銃の音
ゆらめく黄色い煙。
地に臥す新——
ただ無情に見つめる群衆の目には、新の横に咲く小さな白い花がわずかに赤く染まっていた。
それを振り落とすように風に揺られながら……
完




