出会い
俺は前田蒼人、今年で25歳になったけど仕事が忙しいのもあって毎日特に遊びに行く事もなく、ここ桜新都で今日も変わらない一日を過ごしていた。
電車に揺られて会社に行き昼は社食、夜はコンビニで簡単にご飯を買ってまた仕事に行っての毎日なんの変わり映えもしない毎日。
そんなある日の会社の帰り道。ポケットに入れたまま、電池の消耗が激しくなったエコーリンクがわずかに震える。五年前に買ったその携帯は、もう画面も汚れてあちこち古く感じていた。
周りの若者とかは最新の機種を持っていて輝かしく見えた。
街頭の大型ビジョンには、きらびやかな映像が流れていた。
「明日から二日間行われるテクノロジーフェスの期間中に、この最新のエコーリンクを購入すると、最新の高性能AIを無料でプレゼント!皆様是非お越し下さい♪」
AIには興味がなかった。でも、最新のエコーリンクなら、電池の持ちもいいだろう。
明日は休みだし、イベントに行ってみるか。
そんな軽いノリで決めたことが、彼の人生を永遠に変える、最初の一歩だとは知らず。
**テクノロジーフェスに到着すると、**すでに人々の波がうねっていた。アスファルトに反射する夏の太陽が、さらにその熱気を増している。入口は人々の群れに埋もれ、遠くからは興奮したざわめきが絶え間なく聞こえてくる。
「人が多いな。やっぱり帰るかな……」
ふと、帰り道のことを考えた。しかし、時間を確認しようとポケットから出したエコーリンクは、電源が入っていない。画面は冷たく、ただ黒い鏡のように自分を映している。
何度電源ボタンを押しても起動しない。
「…こんな時に寿命か?もうちょっと頑張れよ。しょうがないけど、もう買うしかないな」
隣を歩くカップルは、手をつなぎながら嬉しそうに話している。「最新機種がさ」「AIがもらえるんだって」。その楽しそうな笑い声が、なぜかやけに遠く聞こえる。自分の日常が色褪せて見え、胸の奥でくすぶっていた虚しさが、静かに広がっていく。
(なんか俺以外みんな陽キャに見えるな……いつから俺はこんなに淡々とした日々しか過ごしていなかったんだ……って考えてもしょうがない。とりあえず冷静に。とにかく最新機種を買おう。いいじゃないか、元々買う気だったんだ。こんな行列、どうってことない)
そう自分に言い聞かせた途端、不思議と列が進む。まるで自分がこの場所に来るべきだったと、誰かに言われているみたいだ。
「どうぞゆっくりとお楽しみください♪」
入り口で優しい香水の匂いとともに、笑顔でパンフレットを渡してくれた綺麗なお姉さん。不意に頬が熱くなり、照れくさそうにぎこちない笑みを浮かべる。
(周りから見たらキモい奴かな?まあ誰も興味ないよな、俺なんて)
そう思いながらも、メイン会場の入り口から漏れ出る光と音に引き寄せられるように、人波の中へと足を踏み入れた。
メイン会場に足を踏み入れると、ひんやりとした空調の風が肌を撫でた。しかし、その涼しさもすぐに、人々の熱気にかき消されていく。
ステージには、華やかなドレスをまとった司会のお姉さんが現れた。彼女はマイクを手に、澄んだ声で語りかける。
「この度は暑い中、お集まりいただきありがとうございます!ですが今日は、曇りのおかげかいつもより暑くなくて良かったですね♪」
その言葉に、会場からどっと笑いが起こる。
「でもこの会場内の熱気だけは、外の曇り空も快晴に変えるくらいに盛り上がって参りましょう〜!」
司会者の言葉と同時に、爆発音のような派手な効果音が鳴り響き、ステージのライトがまばゆく点滅する。会場のボルテージは一気に上昇し、人々の歓声が大きな波となって蒼人を包み込んだ。
蒼人は一瞬、その熱気に気圧されながらも、周りの人たちにつられるようにして、思わず「オー!」と声を上げ、手を掲げた。
(何してるんだろ、俺……。なんか場違いな気がするぞ……)
顔が熱くなるのを感じながら、照れくさそうに周囲を見渡す。しかし、不思議と「もう帰ろう」という気にはなっていなかった。むしろ、この熱気の中にいるのが、少し心地よく感じられていた。
司会のお姉さんが「それでは今回のメイン、最新機種に搭載されるAIを開発したリーダーの神宮寺さんにお話を伺いたいと思います!」と紹介する。彼女の張りのある声が、会場に響き渡る。
「ではどうぞ、前にお越しください!」
その言葉に、少し照れくさそうにステージに現れたのは、黒髪で整った短髪で黒っぽいスーツをきちんと着こなした長身の男性だった。派手さはないけれど、どこか知的な雰囲気を漂わせている。年齢も自分に近そうだ。
(AI作ってる割には、まあ普通の開発者って感じか。……別に関係ないけど)
そんな風にぼんやり思っていると、神宮寺はマイクを手に、おどけたような調子で話し始めた。
「皆さん、もうAIには触れていただきましたでしょうか?いや、なんかおかしいですね。楽しんでますか?僕はAIを皆さんに提供できる、それだけで胸がいっぱいで、今にも泣いてしまいそうです」
彼の言葉に、会場から笑いが漏れる。蒼人もつられて少し笑ってしまった。しかし、その後の言葉で一気に興味を失う。
「そもそも僕がこのAIを開発しようと思ったきっかけはですね〜、今から10数年前の……」
(これは、校長先生の長い朝礼の挨拶に似てる……)
蒼人は心の中でぼやいた。話は幼少期からの人生を振り返るような、だらだらとしたものになりそうだ。これを聞いていたら、時間がもったいない。そう判断すると、蒼人はポケットからイヤホンを取り出し、慣れた手つきで耳に差し込み、音楽を聴き始める。
(付き合いきれん。早く買って帰ろう。今なら行列も少ないだろうし……)
蒼人は人波を抜け、エコーリンクの販売所へと向かった。案の定、そこはまばらに人がいる程度で、すんなりとたどり着くことができた。
「やっぱりな。想像通りだ。あのスピーチも結構役に立つな」
最新のエコーリンクにそっと触れてみる。
(全然違う……ツヤツヤしてる)
まるで別の生き物のように感じられた。最新モデルの洗練されたデザインに、妙に感動する。
(やっぱり色は黒だよな……)
手に取ったのは、つややかなブラックのモデルだった。それを手に受付へ向かう。手続きはスムーズに済み、データを移動させようという段階になったとき、ふと不安がよぎる。
「そういえば……電源が入らないんですけど、データの移動は大丈夫ですか?」
恐る恐る尋ねると、受付の女性は笑顔で答えた。
「一応確認しますけど、たぶん大丈夫ですよ!ご安心ください」
彼女は、古いエコーリンクと新型をリンクシステムの上に載せた。すると、眩い光が放たれ、電源が入らなかったはずの古いエコーリンクの画面が、まばゆく点灯する。
「データの転送を開始します。しばらくお待ちください」
機械的な音声が流れる。
(別に消えても困るデータはエロ画像くらいだけど……今までありがとう、エコーリンク。そして、こんにちは、新しいエコーリンク)
心の中でひそかに別れと出会いを告げる。データ転送はあっという間に完了した。
「はい、転送は完了しました!写真とか、一緒にご確認しますか?」
受付の女性に言われ、蒼人は思わず焦る。
「いえ、消えても困る物はないので」
蒼人は思わず、少し早口でそう断った。受付の女性は不思議そうに首を傾げたが、蒼人はそんなことには構わず、急いで新型エコーリンクの画面を覗き込む。
(大丈夫……か?連絡先は……よし。写真……は、見なきゃいいんだ。そうだ、見なきゃ大丈夫だ!)
画面をスクロールする指に力が入る。焦る気持ちを抑えながら、連絡先データが無事であることを確認した。
(あぁ、よかった……消えても困る物はないけど、見られて困る物はあるんだよ!)
心の中で叫びながら、蒼人は勢いよく顔を上げた。
「連絡先が大丈夫なのでもう大丈夫です!ありがとうございました!」
そう言って、そそくさと出口に向かおうとすると、背後から「あ!ちょっとお待ちください!」と呼び止められた。その声に、思わず肩が跳ね上がる。ゆっくりと振り返ると、受付の女性がにこやかに言った。
「最新AIのお受け取りは、そちらの受付でお願いしますね♪」
「は、はい……!」
蒼人は思わずそう返事をし、言われた通りAIの受付へと向かった。そこには、先ほどの神宮寺が熱弁を振るっていたステージよりも長い行列ができていた。
音楽を聴きながら待っていると、列は少しずつ進み、自分の番が近づいてきた。
(もうすぐだな。ちょっと長かったけど、まあいいか)
そう思っていると、突然目の前に人影が割り込んできた。一瞬、イラッとして眉をひそめたが、すぐに気持ちを鎮める。
(まあ、別にレアな商品でもないし、そんなに慌てることもないか)
蒼人は割り込んだ男性を無視し、再びイヤホンに意識を集中させる。男性もAIを受け取り、いよいよ自分の番だと顔を上げた、その時だった。
ドォォォン!
腹の底に響くような雷鳴が、会場の外から轟いた。ほとんど同時に、会場内の照明がすべて消え、人々のざわめきが驚きの声に変わる。
「え?今の音はなんだ?一体何が起こってるんだ?」
急な暗闇に、蒼人の心臓が激しく脈打つ。目の前は真っ暗で、人の姿がシルエットとして浮かぶだけだ。ざわめきがざわざわと耳に届き、誰かが叫ぶ声、物音、転んだ音…。混乱の空気が肌に触れるように伝わる。
(ちょ、ちょっと待て……このままじゃ何も見えないし、俺は一体…)
手に入れたばかりのエコーリンクを握りしめ、心の中で小さくつぶやく。パニックになりかけるが、すぐに冷静さを取り戻す。
非常用の照明が点き始め、会場は徐々に光を取り戻していく。
人々のざわめきも少しずつ落ち着き、どこからか「大丈夫か?」と声がかかる。
(よし…これで少し落ち着いたか。さ、AI受け取ろう)