七、魔女の履歴
桜庭凛は、かつて(といっても二十一世紀の未来であるが)東京で軍事科学省に努めるエリート科学者だった。だが極度に独裁的で抑圧的だった母親を殺害し、その愛情皆無の悲惨な育ちから世界への憎悪をたぎらせていき、科学省に入ると、秘密裏に殺人ロボットを制作した。それは人間の血が燃料というモラル的に最低最悪のもので、体内の血液が満タンからわずかでも減るや、腕から伸びる回転サーベルにより、その場の人間であれば誰だろうが見境なく殺して、その血液を口から採取し、エネルギーにする。女子高生ほどの背丈しかないので、すぐ満タンにならぬよう、ご丁寧にも足にいくつもあく微小な穴から血が漏れる仕様にしてある。満タンになると何もせず歩きまわり、また血が少しでも減れば殺人を繰り返す。
なんの軍事的目的もなく、ただ殺人しか存在理由がないという最悪の「兵器」だが、最悪であることこそが、凛博士にとって絶対に必要なことだった。人間を憎む彼女は、なんの才能も力もない孤独な男なら通り魔になるところを、その持てる力を存分に使い、怒りに満ちた自分の分身を作り上げた。痛みもなく、心もなく、倒すにはレーザーで焼き切るしかすべのない装甲を持つ無敵の殺人鬼。それがブラッド一号である。
最初は博士の思惑どおりに大量殺人にいそしみ、彼女の大学の同期で陸軍師団長の榊エリの妨害もすいすいとかわして、この最悪の生みの親を狂喜させた。だが結局、博士は追い詰められ、榊に何発も銃弾を食らって谷底へ落ちた。
榊がその死を確認しなかったのは、今から見れば、まずいことだったといえる。といって当時の榊は、あれだけ食らえば生き延びたはずもない、と気にしなかった。死体は発見されなかったので、もしや誰かが拾ってサイボーグにでもした可能性はあったが、その後、桜庭の姿はおろか噂も耳にしなかったので、そのこと自体を完全に忘れていた。
確かに、桜庭凛が東京に現れることはなかったが、全ての世界を総ざらいできる神ならば、たやすく見つけたろう。撃たれて谷へ落ちた瞬間、彼女の姿は遥かな過去へ飛んだ。それも1890年のトランシルバニアはブラショフ村の奥地に。榊たちがやってくる、ちょうど一年前だった。
村では山奥の城で怪しげな研究をしている変人と噂される、医者兼化学者であり工学者でもあるフランクリ博士は、城の敷地にある溜め池に突然どぼんと落ちたものを見て、目を丸くした。まだ若い助手と、老婆の使用人との三人暮らしである初老の博士は、あわてて助手を呼び、池からその女性を引き上げた。
城に入れてベッドに寝かせて驚いた。思わず丸眼鏡を拭いて目をこらしたほどに、全身に水滴の光る彼女は天使のように美しかった。髪の短い、見たこともないまっしろな上着(白衣)を着たその女性は、体に五発も弾丸を食らいながら、まだ命があった。弾は奇跡的に心臓をそれていた。
フランクリ博士は、急いで手術の用意を命じた。これは神が自分にお与えになった機会なのだと信じた。彼は長年、女性を介さずに生命を生み出す技術を夢見て、冒涜的だとして都心の大学を追われてからも、この田舎の城にこもり、村から来る機械修理や問診の仕事でなんとか食いつなぎながら研究を続けてきた。この瀕死の女性を救うことは、今までの研究の成果を試す、またとないチャンスだった。多くの傷と出血のひどさから、並みの医者なら、とうにさじを投げるレベルだが、私はちがう。たとえ悪魔とののしられようが、長年積み重ねてきた生命再生の技術を用い、この人を必ずや助けられるはずだ……。
果たして、その信念は見事に実を結んだ。桜庭凛は生き返った。今の榊ほどではないが、肉体の半分は機械である。
食堂で胸をあけてそれを見せると、ブラッド一号は目を見張った。
「あなたは、私と同じなのですか?」
両開きの蓋の中で動く歯車、めぐらされた白や緑のコードを見て聞く我が子に、母親はそっけなく言った。
「ちがうよ。榊に近いね、あそこまでじゃないけど。だってオツムも人工なんでしょ、あいつ。まあ、この時代は設備も道具も貧相だから、ここまで来るには苦労したけどね」
今までのいきさつを聞いたとき、凛は愉快そうな顔をした。まさか自分のみならず、榊や高見、そしてかわいい娘であるブラちゃんまでが、一年遅れにせよ、ここへ来ていたとは。だがその娘(本人は息子のようなつもりだが)の性格が時空のゆがみですっかり様変わりしていることには、言いようのない嫌悪を抱いた(最初は笑ったが)。
しかし同時に、これはまたとないチャンスだとも思った。日本で抱いていた人類滅亡の夢が、この過去の地で実現できるかもしれない。いや人類がどうよりも、今は最強の存在を作ることが自分の望みになっている。今こいつは以前とは比べようもないフヌケと化しているが、再び自分のために働いてくれる可能性は十分にある。見た感じ、あの頃の素晴らしい殺人マシンに戻りつつあるようだし、わざわざ改造する必要もないかもしれない。
ブラッド一号は時間移動の影響で人格が豹変したが、凛は何も変わらなかった(といっても榊たちもそうなので、人間には影響しないのかもしれないが)。生き返った彼女は、命の恩人のフランクリ博士に厚く礼を言い、二人目の助手になった。若い女嫌いの使用人婆さんを除き、二人の男には気に入られ、一年かけて研究をあらかた盗みまくったある晩、料理に毒を入れて三人とも殺した。死体は焼却炉で処理し、今度こそ「無敵の自分」を作るべく、研究室を片付けて階段を降りてきたところへ、「わが娘」が飛び込んできたのだった。




