表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

春、君の名前を呼んだ日

作者: 稲神蘭

春の匂いが混じる放課後の教室。

窓際の席に座る結衣が、頬杖をつきながら俺の方を見て笑った。


「ねぇ、奏。今日寄り道しない?」


いつもの誘いだった。断る理由なんて、俺にはない。


「いいよ」


それだけ言って、鞄を肩にかける。


俺と結衣は、幼稚園からの付き合いだ。家も近くて、小学校も中学校もずっと一緒だった。高校も当然のように同じところを受けて、同じクラスになった。


周りからはよく「付き合ってんの?」って冷やかされるけど、俺たちはずっと“友達”のままだ。…たぶん。


結衣の笑顔が、昔から好きだった。

元気で、よく笑って、誰とでも仲良くなれる。けどその明るさの奥に、たまにふっと影が差すのを知ってるのは、多分俺だけだった。


「今日、どこ行く?」


「んー、いつものとこ?」


「またあそこかよ」


小さな川沿いのベンチ。俺たちの秘密基地。

子供のころ、落ち込んだり嬉しいことがあったとき、必ずここに集まった。




他愛もない話をして、コンビニで買ったジュースを飲んで、くだらないことで笑って。

そんな時間が、ずっと続けばいいのにって思ってた。


季節は秋になって、文化祭の準備でバタバタしてたある日の放課後。


「ねぇ奏、文化祭終わったらさ、ちょっと話したいことあるんだ」


結衣がそう言った。


「なんだよそれ、怖いな」


「んー、秘密」


笑ってごまかすその顔に、ほんの少しだけ不安が混じってるのがわかった。

俺も、伝えようと思ってた。

ずっと言えなかった気持ちを。


でも、そのタイミングは結局来なかった。


文化祭当日。


クラスの出し物も盛り上がって、昼休み。

結衣が誰かと楽しそうに話してるのを見かけた。

相手は、隣のクラスの三浦。

背も高くて、成績も良くて、誰からも好かれるタイプ。


俺はその光景から目を逸らした。

いつもなら笑って話しかけに行くのに、なんでか足が動かなかった。


その日の放課後も、結衣からの誘いはなかった。




数日後。


「ごめん、最近忙しくて」


そう言って笑う結衣の後ろめたそうな目を、俺は気づかないふりをした。

距離が少しずつできていくのがわかった。

でも、どうすることもできなくて。


俺は、結衣の隣にいる資格がないんじゃないかって、勝手に思い始めた。

そんなことないって、自分でも思いたかったのに。


冬になって、駅前のイルミネーションが灯り始めた頃。


「奏、今日さ、久しぶりにあの川行かない?」


結衣から珍しく誘いが来た。


「…いいよ」


行くと、あの日と変わらない川の音がして、空気は冷たくて、でも結衣の横顔は優しかった。


しばらく沈黙のまま、コンビニで買った温かい缶コーヒーを手のひらで温める。

そんな時間も悪くなかった。


「私さ、転校するんだ」


ふいに結衣が言った。


「親の仕事の都合で、来月には」


頭の中が真っ白になった。

何か言わなきゃって思うのに、声が出ない。


「奏にはちゃんと言わなきゃって思ってた。でもなんか、言えなくて」


俺はただ、「そっか」ってしか言えなかった。


本当は、言いたかった。

ずっと、好きだったって。

お前が笑うたびに嬉しくて、誰かと話してるのを見るたびに胸が苦しかったって。


でも、その言葉は喉の奥に引っかかって、どうしても出てこなかった。


結衣も何か言いたそうにしてたけど、結局何も言わず、川の音だけが流れてた。


その日、帰り際。

いつもなら「また明日な」って笑い合うのに、その日はどっちも口を開けなかった。

ただ、手を振っただけ。


次の日から、なんとなくお互い避けるみたいに過ごして。

でも、どっちもそれを壊す勇気がなかった。




別れの日。


駅のホームで、結衣は最後まで笑ってた。


「奏とずっと友達でよかった」


そう言って、改札を抜けていく後ろ姿。


呼び止めることも、追いかけることもできなかった。

本当は、言いたかった。

「好きだよ」って。

ずっと隣にいたいって。


改札の向こうで振り返った結衣と、目が合った。

でも、言葉は交わせなかった。


ただ、お互いに笑った。

それが精一杯だった。


その瞬間、言葉にできない感情が胸の中を満たして、呼吸が少しだけ苦しくなった。


結衣はそのまま振り返って歩き出し、改札の向こうに消えていった。


俺はただ、その光景をぼんやりと見てた。




今でも、春の匂いがすると、結衣の笑顔を思い出す。


あの時、ちゃんと伝えてたら、何か変わってたのかな。

いや、きっとそんなこと考えても意味ないんだろうけど。


結衣がいない街で、季節は巡って。

あの川沿いのベンチも、今じゃもう少し古びていて。


でも、春の風が吹くと、決まって俺は思い出す。

あの日のことも、言えなかった言葉も、全部。


交差点の向こうで手を振る結衣の姿が、今でも目に焼き付いて離れない。


言葉にできない感情だけが、ずっと胸の奥で、静かに息をしている。


この気持ちは、きっともう誰にも言わないまま、俺の中だけで、生きていくんだろうな。

―終わり。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ