前世は悪役令嬢、現世は極道の若頭……最悪の組み合わせがここに爆誕
夜の街に血の匂いが滲み、雪がコンクリートを白く染めていく。白い息吹が闇に溶け、冷えた地面に赤い花を咲かせていた。
鬼頭組の若頭、逆鉾竜司は、その日、港の倉庫で罠に囚われた。敵の鉄砲玉を血の海に沈め、硝煙の幕を裂いて逃れたものの、迎えの灯と信じた舎弟の手に裏切りの刃が光っていた。今、彼は薄汚れた路地裏に膝を折り、腹に突き刺さったドスを静かに見下ろす。刺したのは可愛がっていたはずの若衆――その亡魂が、雪に紅を滲ませて横たわっていた。
痛みが脳髄を裂き、意識が白い霧に揺れる。竜司は震える指でポケットを漁り、潰れたタバコの箱を掴み取る。血に濡れた手が震え、冷気が骨を刺すが、一本を唇に咥えた。ライターの焰が雪に映り、儚く揺らめく。最後の煙を肺に沈め、吐き出した息が凍てつく夜に白い絲を引く。血が雪に染まり、身体の芯を凍らす寒さが命を削る。「もう助からぬ」と、竜司は自らの終幕を悟った。「わしは組からも見捨てられたらしいな」。掠れた呟きが雪に落ち、風に散った。
路地の闇が彼を包み、雪が舞い落ちて白い帳を織る。タバコの火が小さく瞬き、やがて静かに消えた。血と冷気が交わり、竜司の魂は暗い淵へと沈みゆく。薄れゆく命の灯が闇に溶け、身体が雪に沈む中、突然、竜司の脳裏に異界の幻が流れ込んできた。
それは絢爛たる貴族の館だった。シャンデリアの光が豪奢なドレスに金の糸を織り込み、笑い声が虚ろに硝子の壁を震わせる。だが、その中心に立つ深紅のドレスを纏った女は、氷のような眼差しで全てを見据え、傲慢に微笑んでいた。名門貴族の娘、エリザヴェータ・フォン・グランツェル。闇サロンを支配する悪役令嬢――そして、それはかつての竜司自身であった。「まさか前世で悪役令嬢だったとはな」。掠れた声が凍えた唇から漏れ、雪に消える。馬鹿げた夢幻か。だが、その記憶は血の脈を駆け巡るように鮮烈で、死の淵すら揺らがせるほどだった。
前世で、巧みな謀略と気品を刃に貴族社会を切り裂き、敵を陥れ、己の玉座を築き上げた。裏切りは蜜の言葉で誘い、毒は花のような笑みで隠した。そして今、その冷徹な才が、血と雪にまみれた極道の中で目を覚ます。
腹の傷が焰のように疼く刹那、竜司は無意識に手を翳した。「ヒーリング」。
異世界の呪文が自然に溢れ、淡い光が傷口を包む。血が止まり、肉が静かに塞がる。現代の闇に魔法が息を吹き込んだ瞬間だった。「少なくとも治癒魔法はこの世界でも使えるのか」。竜司は唇を歪め、雪に映る己の影ににやりと笑った。
死の淵から這い上がり、冷たい風が血とタバコの匂いを運び去る。地獄の門が閉ざされ、竜司の瞳には極道の闘志と令嬢の冷笑が宿っていた。雪が降りしきる中、魔法と暴力が新たな運命を刻み始めた。
雪が血を洗い流したあの日から、十年という時が流れ落ちた。
逆鉾竜司の魂にエリザヴェータ・フォン・グランツェルの冷徹な知恵と気高さが溶け込んだあの瞬間から、彼の運命は暗い焰を帯びて再び燃え上がり、夜の街を照らし始めた。ネオンの下で銃声が唸り、闇が蠢く中、竜司は次々と犯罪組織を喰らい、膨張していった。その影は黒い獣のごとく獲物を呑み込み、極道の地図を血と墨で塗り替えた。
その拡大は、難民と呼ばれる移民の潮と、社会の脆い隙間を突く狡猾さ、そして犯罪の絲が織りなす暗い錦だった。「手駒に移民を使おう」。竜司の唇から零れたその言葉は、氷の刃のように冷たく、夜の静寂に低く響いた。かつて庇護を求め、この地に正当な亡魂として流れ着いた者たち――その魂は竜司の手の中で闇に染まり、凶悪犯罪の駒へと変貌した。血縁の絆と忠誠を鎖に、彼らを操る術は、前世の令嬢が貴族の館で紡いだ策謀の残響だった。
運命の女神もまた、竜司に寄り添った。街を統べる者たちは寛容の仮面を被り、初期の焰を見過ごした。銃声が路地を切り裂き、血が雪に滲んでも、警察は移民差別の影に怯え、手を鈍らせた。「マヌケな奴らだ」。竜司は煙草の煙を吐き出し、嘲りの笑みを浮かべた。爆弾がコンクリートを砕き、死の音が響き渡っても、司法の取り締まりは遅れ、闇の隙間は広がるばかり。そこに竜司の刃が滑り込み、彼の勢力は天を衝く焰のように膨れ上がった。
十年後の今、雪は再び降り積もり、竜司の足跡を白く覆い隠す。彼の瞳には極道の野性と令嬢の冷やかな嘲笑が宿り、硝子の塔の最上階から街を見下ろす。移民を駒とし、社会の甘さを喰らい、犯罪の網を張り巡らせたその姿は、まるで異界から舞い戻った魔王のようだった。
「今回も私の勝ちだな」 その声は逆鉾竜司のものなのか、それともエリザヴェータ・フォン・グランツェルのものなのか。それは誰も判らない。見下ろす夜の繁華街は彼の掌の中にあり、血と雪が今日も新たな詩を刻んでゆく。