第26話 賄賂と酒と涙の評論家!
――酒場に現れる来客には、大きく分けて二種類いる。
酒を楽しみに来る者と、面倒を持ち込む者だ。
この日、酔いどれ亭の扉が静かに開いたとき、私は一目で分かった。
あ、これ絶対に後者だわ。
「…ここが噂の酔いどれ亭か」
低く響く声。黒のスーツをピシッと着こなした男が、店内を見渡しながらゆっくりと歩み寄ってくる。あまりに場違いなその姿に、常連たちの視線が集まる。
フォルクがジョッキを片手に首をかしげた。
「おいおい、なんだこの堅苦しいのは?」
「うーん、役人?税務調査?それとも……」
ジーナが目を細める。
男はカウンターの前でピタリと立ち止まり、腕を組んだ。
「私はヴァルター・クラウゼン。酒評論家だ」
酒場にどよめきが広がる。
「ヴァルター・クラウゼン!? あの、王都の評論家か?」
「おいおい、やべぇぞ。アイツに酷評された店は、すぐに潰れるって噂だぞ!」
ふーん。なるほどね。
「つまり、酒ギルドの刺客ってわけね?」
私がカウンターに肘をついてニヤリと笑うと、男の眉がわずかに動く。
「私は公正な評価をするだけだ」
…あ、はいはい。そういう体ね。どうせ「味が落ちた」とか適当なことを書いて帰るつもりなんでしょう? そんなの、こっちの酒を飲ませれば一発で解決よ。私は特別なボトルを取り出し、グラスに注ぐ。
《ルミナス・アンバー》――エルフの森でじっくりと熟成された琥珀色のエール。その名の通り、光にかざせば深みのある金色がまるで宝石のように輝き、グラスの内側にゆっくりと液体がまとわりつく。香ばしさの中に、森の果実のほのかな甘みが滲み、ほんのりとスパイスの温かみが鼻をくすぐる。
グラスを傾けるだけで、ふわりと広がる熟成された麦芽の香り。濃密な香ばしさの奥には、樹上で完熟した野生のベリーと、ほんのりとキャラメリゼしたナッツのニュアンスが感じられる。その複雑な香りが、じわりと舌の上で広がる期待を煽る。
「さあ、どうぞ。うちの酒、味見してみて?」
ヴァルターは慎重にグラスを持ち上げ、ゆっくりと口元へ運ぶ。一口。
――その瞬間、世界が止まった。
「…っ!!」
舌に触れた瞬間、芳醇な麦芽のコクがじわりと広がる。まろやかで深みのある甘みが口いっぱいに広がったかと思えば、続いて野生の果実のほのかな酸味がアクセントを加え、絶妙なバランスで絡み合う。そして、喉を滑り落ちた後に残るのは、スパイスとハーブの香りが織りなす、長く心地よい余韻。飲み終えた後も、その味わいがじんわりと体の奥に染み込んでいく。
フォルクがニヤつく。
「どうした? 言葉に詰まってんじゃねぇか?」
ヴァルターは震える手でグラスを置き、唇を噛み締める。
「…う、美味すぎる…ッ!!」
――ドサッ!!
男はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「私は…私は、今日、この店の酒を酷評するつもりだったのに…!賄賂まで受け取ったのに…!!」
「おっと、口が滑ったわね?」
ジーナが冷たく指摘する。
「くぅぅぅ!!私は、自分の舌に嘘をつくことができないぃぃぃ!!!」
店内、大爆笑。
「ちょ、こいつ面白すぎんか?」
「評論家って、意外と純粋なんだな?」
ヴァルターはボロボロと涙をこぼしながら、テーブルに突っ伏した。
私は新しいグラスにエールを注ぎ、彼の前に置く。
「さあ、今度は正直に味わいなさい」
ヴァルターは泣きながらグラスを持ち、ごくりと飲み干す。
「…やはり、最高だ…!!」
そして、静かに決意を固めたように立ち上がると、拳を握りしめた。
「私は…私は、もう酒ギルドに魂を売るのはやめる…!!」
「この店の酒こそ本物だ!!!」
バァン!!!!
勢いよく扉を開け、ヴァルターは飛び出していった。
店内に笑いが響く。
「さて、次の客は…って、あれ?」
私はふと、カウンターを拭く手を止める。
「…今の人、支払いしていったかしら?」
沈黙。
フォルクが、ゆっくりとジョッキを置く。
「…払ってねぇな。」
私は大きく息を吸い込むと――
「戻ってこーい!!!!」
扉の外に向かって叫んだ。こうして、酔いどれ亭は今日もドタバタ劇を繰り広げながら、にぎやかな夜を迎えるのだった。
─
「…影響力を借りる策も失敗か…」
夜の静寂の中、影の中で低く囁かれる。
「有能すぎるが故に、嘘をつけない…それもまた厄介な問題だな。」
闇の中で誰かが舌打ちする。
「本当にこの店を追い込むとなれば…それこそ、王侯貴族の影響力すら必要になるやもしれん…」
「…ありとあらゆる可能性を考えておかねばな。」
影たちは一瞬の静寂を残し、夜の闇へと溶け込んでいった。
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