元恋人の教え 気持ちは恋人と同じくらい。いや、それ以上。
「ミリアちゃん結婚したんだって?」
「相手の上司の栄転で勤務地が遠く離れる事が決まって、ついて行ったらしいな」
「……そうなのか?」
学生時代の友人の飲み会に参加したチェスターは、初めて聞いた友人達の情報に内心動揺して言葉を返した。
「チェスター、お前知らなかったのか?どれだけミリアちゃんに興味ないんだよ」
「聞いたぞ。あんなにミリアちゃん一筋だったのに、卒業してから気持ちが冷めたらしいな。別の可愛い彼女がいるんだろ?」
「別れるって教えてくれれば、俺もミリアちゃんに頑張ったのにな〜。俺だって可愛くて優しいミリアちゃんみたいな子と付き合いたい」
「お前がミリアちゃんに選ばれるわけないだろ?」
お酒が入っているせいか、何が面白いのか友人達がどっと笑う。
「そんな事より知ってるか?僕らの担任だった先生、学校辞めて店出してるみたいだぞ。そういうの憧れるよな」
ミリアの話題をそれ以上聞いていられなくて、チェスターは無理やり違う話題を振って、笑ってみせた。
ずっと結婚すると思っていたミリアは、あの男と結婚して、引越しまでしてしまったようだ。
もう偶然に会うこともないかもしれない。
久しぶりに会った友人達からも、チェスターはミリアへの気持ちはとっくに冷めていたと思われている。今までの飲み会で、好き勝手な事を話していたからだろう。
友人達の言葉の一つ一つがチェスターに刺さっている事は、誰も気づかないようだった。
6年間という年月に安心していた。
仕事に疲れて八つ当たりした時でも、いつでもミリアはチェスターを受け入れてくれていたから、『何をしてもミリアの愛は変わる事がない』と思い込んでいた。
「外食の方が美味しい」と言っていた言葉も本心ではない。
ミリアの料理が上手いのは明らかだし、あれはちょっとした八つ当たりのようなものだった。
嘘ではなく仕事で遅くなって疲れ果てて帰った時。
笑顔で「お帰りなさい」と迎えてくれるミリアに、『僕は仕事で大変なのに、気楽に仕事が出来る奴はいいよな』と荒んだ気持ちになる時があった。
そういう時は、ミリアの「温め直すね」という言葉に、「別にいいよ」と自分でそっけなく言葉を返しながらも、冷たい料理に苛々した。
それは「外の料理の方が美味しい」と言ってしまう時でもあった。
ただ仕事の疲れからくる言葉で、本気で言っていた言葉ではない。
ミリアなら言葉にしなくても本心ではない事は分かっているだろうと思っていた。
ミリアは自分の甘えをどこまでも受け入れてくれていたから、自分の方が立場は上で、それが当然だと勘違いを深めてしまっていたのだ。
あの日――ミリアが料理を作ってくれた最後の日。
週末のあの日は仕事を早く終わらせて、ティナと街で買い物をした後に食事に出かけた日だった。
家でミリアが食事を作って待っている事は知っていたが、ティナと会う事でミリアを待たせる事はいつもの事だったし、疲れた顔で「残業」と言えば済む話だった。
だけどあの日部屋に帰って会ったミリアはいつもと違っていた。
「今日は遅かったね。……もしかして誰かと一緒だった?」と暗い顔と暗い声が、チェスターを責めていた。
上手い言い訳を用意していなくて、勢いに任せて怒って見せたが、まさかそれが最後になるなんて想像さえしていなかった。
ミリアの事はよく知っていた。
たとえチェスターの方が100%悪くても、ミリアが謝ってくれるはずだし、いつでもチェスターを心配して世話を焼きにくるはずだった。
あれで機嫌を損ねたとしても、すぐにまた謝りにくるはずだったのだ。
「他にお弁当を作ってくれる女がいる」と匂わせて、元の生活に戻る機会を与えたつもりだったが、ミリアはもうチェスターのお弁当も料理も作ろうとしなかった。
ミリアが来ないので、洗濯も洗い物もたまるし、家も散らかっていく。
なかなか謝りにこない頑固なミリアに対抗するように、ティナに高価なアクセサリーをプレゼントしてみたりしたが、気は晴れないどころか散財していくだけだった。
安い惣菜を買うばかりの食事にも飽き飽きしていた。
だけど自分から会いに行くことはしなかった。
ミリアの方が会いに来るべきだと意地になっていたからだ。終わるはずがない関係だと信じ切っていた。
市場での出会いは、そんな意地を張っている中での、久しぶりの再会だった。
挑発的なティナに焦ったが、激情型のティナをあの場で怒らせたら、大騒ぎになってしまう。
ティナとはそろそろ縁の切り時だと思っていたので、『後でティナとの関係を清算してからミリアに説明しよう』とあの時考えたのだ。
――結局はミリアにすっきりとした顔で去られて、愛想を尽かされている事に気づいて終わっただけだったが。
あの後ティナを放っておいてミリアに会いに行った事で、ティナとの関係も微妙になった。
だけど金のかかるティナは、ずっと付き合える相手ではないし、このまま疎遠になっていけばいいと思っている。
他の話題で盛り上がってきた友人達に、チェスターはホッとする。
これ以上ミリアの幸せな話題を聞きたくはなかった。
別れてからミリアの存在の大きさに気づいたなんて、友人に話せるわけもない。
これ以上惨めな思いはしたくなかった。
チェスターとミリアは6年もの付き合いだった。
ミリアを見ればミリアの事は分かってしまう。
自分にもう気持ちが全くない事も。
今はもうあの男しか見ていないという事も。
――分かりたくないのに分かってしまった。
ミリアをちゃんと見ていれば、ミリアが自分の浮気を知っていた事も、自分から心が離れて行く事も気づけたはずだったのに。
ミリアを見ていなかったから気づけなかったのだ。
最後にチェスターは、幸せそうな二人を置いて逃げるようにその場を立ち去る事しかできなかった。
まだ二人が学生だった頃。
ミリアが男性の多い薬草会社に就職が決まった時、付き合う前はミリア狙いの者が多かったので、チェスターは不安になった事がある。
「僕の仕事が落ち着いたら結婚しよう。だから誰にも心を移さないでほしい」と願う言葉を、当時のミリアに伝えていた。
ミリアが笑いながら返した言葉を思い出す。
「私の気持ちはチェスターと同じよ。チェスターが私を想ってくれる時は、私もそれ以上にチェスターを想っているわ」
――そう話していた。
チェスターは少しよそ見をしただけで、それほど心がミリアから離れたつもりはなかったが、ミリアの心はチェスター以上に離れていた。
ミリアの気持ちはチェスターと同じ。
いや、それ以上の気持ちだった。
6年ごしの恋人の言葉が、今更ながらに重く刺さっていた。