6年間付き合った恋人は、僕の身になって考えろと話す
「僕の身になって考えてくれって言ってるだろう?こんな事をされても迷惑なだけだ」
ウンザリだと言うようにチェスターがため息をつく。
「ごめんなさい……」
ミリアは小さくなって謝ることしかできなかった。
――何がそこまでチェスターを怒らせたのか、実はよく分からないままに。
チェスターが怒る理由は分からないが、それでも彼を不快にさせていることは事実だ。
ミリアは溢れ出しそうになる涙をこらえながら謝って、それでも出来るだけ明るい声でチェスターに言葉をかけた。
「ごめんなさい。仕事で遅くなるから夕食は要らなかったのね。勝手に私が用意して、勝手に待っていただけだもの、気にしないで。あ……じゃあ私帰るね。この夕食は持って帰った方がいいかしら?」
「勝手にすればいいだろう?どうせミリアの金で買ったものだ。………そんな事いちいち聞かないでくれないか?
それより僕はもう疲れてるんだ。悪いけど早く帰ってほしい」
吐き捨てるように言葉をかけられて、ミリアはテーブルの上に並べた食事を急いで片付ける。
このままテーブルの上に料理を置いて帰っても迷惑なだけだろう。
チェスターは「夕食は外で済ませた」と言っていた。それなら置いて帰っても捨てる事になるだけだ。
『捨てる手間さえも彼にとっては煩わしいだろう』と、チェスターの家に置きっぱなしになっていた容器に、全ての料理を詰め込んだ。
本当は「日持ちのする料理は明日食べる?」と聞きたかったが、今そんな事を尋ねたらますます怒らせるだけだと、さすがのミリアも察している。
綺麗になったテーブルを見て、またチェスターが大きくため息をつく。
「何も全部持って帰らなくてもいいだろう?」
「あ、じゃあ―」
「もういい。今日はもう帰ってくれないか。これからはもう少し僕の立場に立って物を考えてくれ」
冷たい言葉に、ミリアは「ごめんなさい……」とまた小さく謝ることしか出来なかった。
チェスターの部屋を出て家に帰る途中、こらえていた涙が溢れてくる。
ミリアとチェスターは恋人同士だ。
学生時代からの付き合いは、もう6年にもなる。
学生の時はあれだけ優しかったチェスターは、仕事を始めると少しずつ冷たくなっていった。
昔は喜んでくれたミリアの手料理は、「外の料理の方が美味しい。もっと外食して、外の味を知った方がいいんじゃないか?」と言うようになった。
昔は色々出かける予定を考えてくれた休みの日は、今では「疲れているんだ」と出かけようともしない。
部屋を訪ねてくるミリアを鬱陶しそうに迎え入れて、部屋を片付けたり洗濯をしたりするミリアを気にする事なく、ソファーで横になっているだけだった。
だけどチェスターはミリアと違って「一生の仕事になるのだから」と、そんな彼をずっと応援してきた。
学生の頃の話になるが、「仕事が落ち着いたら結婚しよう。結婚したらミリアには仕事を辞めてもらって、家で僕の帰りを待っていてほしいんだ」と言われていた。
だからミリアは自分の仕事はただの腰掛けだと思って、たとえみんなが残業をしていても、自分の仕事だけ終わらせて定時きっちり仕事を上がっている。
そして何時に帰ってくるかわからないチェスターをいつでも待っている日常だ。
待つことは別に苦じゃなかった。
もちろん早く帰ってきてほしいけど、チェスターはミリアとの将来のために頑張っている。「寂しいから早く帰ってきてほしい。作った料理を温かいうちに食べてほしい」と、あまりしつこくは言えなかった。
責める口調にならないように伝えた言葉でも、「仕事なんだぞ?ミリアとは違うんだ。俺の立場に立って考えてくれよ」と返されて、何も言えなくなってしまっていた。
『今は仕事が大変な時だから。慣れるまではワガママは言えないよね』と自分自身に言い聞かせて、数年が経っていた。
待たされる日常が当たり前になってしまっている。
以前は対等だった関係は、一方的なものに変化していた。
休日前の今日は、確かにチェスターの仕事は遅くなることが予想できていた。ミリアの勤める仕事先だって、休みの前はみんなどこか焦りを見せている。
だけど今日チェスターの帰りが遅かったのは、残業なんかではない。
いつものように定時に帰ったミリアは、チェスターの家に向かうまでの街の中で、彼と可愛い女の子が寄り添うように歩いている姿を見てしまったのだ。
両手いっぱいの買い物袋を持った手が震えた。
「あの子かもしれない」
ミリアの勘が告げている。
最近特に帰りが遅いのも、休みの日に「仕事だ」と言われることも、チェスターの上着に入っていた流行りのカフェの二人分のレシートも、ミリアといながら誰かを思い浮かべるように口元を緩ませているのも。
全てあの可愛い女の子が関係していると、ミリアの勘が告げていた。
走って二人を追いかけて、激しく問い詰める事はできなかった。
今のミリアとチェスターの関係では、ミリアの勘が当たっていてもいなくても、そこで自分との関係は終わってしまう気がしたからだ。
だからといってミリアは自分のアパートへ帰ることもできず、いつものようにチェスターの部屋で料理を作ってチェスターを待つことしかできなかった。
ミリアができることは、いつもより心を込めて料理を丁寧に作ること、それだけだった。
遅い時間に帰ってきたチェスターは、少しお酒を飲んで機嫌が良さそうだった。
「あの子と、こんな時間まで一緒にいたの?」
そう問い詰めたかった。
でもそんな事はミリアには出来ない。
6年という年月を終わらせる勇気が出るわけなんてない。
ただ。
「今日は遅かったね。……もしかして誰かと一緒だった?」
そう尋ねるのが精一杯だった。
そして返ってきたのは、不機嫌なチェスターの顔と「仕事に決まってるだろう?同じことを何度も聞かないでくれ」という言葉だった。
「僕の身になって考えてくれって言ってるだろう?こんな事をされても迷惑なだけだ」
テーブルに用意された手の込んだ料理を見て、ウンザリとした様子でため息をつかれただけだった。