オウライテレパス
白い地面と空だけがどこまでも続く、無機質な部屋。いや、そもそも部屋なのかすら定かではない。
その中心部には、小さな机と向かい合う椅子、そして五つほどの観葉植物の鉢などの様々な物ががある。
そしてもちろん、その椅子には座っている人がいるわけで。
「転移?」
藻世本相慈は、彼の向かいに座る少女に対して聞き返した。
ニワトリみたいに尖った黒髪、細いけど妙に眼力のある三白眼、身長は百七十すこしで痩せ型。服装は制服である黒いブレザーとズボンである。
「ええ! 覚えてますよね、あなたトラックで轢かれて死んだでしょ?」
その少女はエイ。
白い髪に黒い空集合のような髪飾りがついている美少女……なのだが、その笑顔は妙に人をムカつかせる何かがあった。実際、相慈も妙に腹が立っている。
自称転生を担当するスーパーハイパー偉い神で、これまでに何百人も転生させた実力と実績があるらしい。
「なんかよく分らんけど、トラックで轢かれたの俺の友達の秋月だぞ」
「ゑ?」
「いや……俺と秋月が通学してたら、なんかトラックが突っ込んできて、俺はすれすれだったんだけどなんか秋月だけ吹っ飛ばされて、俺は突っ立ってただけ……みたいな」
「ゑゑゑ……チャレンジ! 映像確認を要求します」
「なんか映像が残ってるんならどうぞ」
どこからともなくエイはタブレット端末を取り出し、監視カメラか何かの映像を確認する。
仲良く話しながら通学路を自転車で走っている相慈と秋月。だが、その直後に向こうから車線を外れたトラックが突っ込んできて……相慈の言う通り、秋月だけがふっとばされた。相慈はと言えばよろめいただけで、止まっている。パニックになっているのだろうか。
「……ホントですね。しかし、困ったなぁ……一度こっちに呼び寄せちゃうと帰すのは大変なんですよね……」
「何してくれてんだよなんかお前」
「いや、エエト……このトラックの運転手が悪いと思います!」
「そりゃそう……じゃなくてお前に重大な過失あるだろ! あほか!」
エイは頭を抱えながら机に突っ伏した。謝罪の意思はないようだ。とりあえず相慈はぶん殴っておいた。
「ま、あなたが転移した後にその秋月サンの方も転移させれば万事解決ですよね! それじゃ説明しますよ! てやんでー!」
「なんか一回死んだほうがいいと思う、お前」
「私が死ぬと百年くらい地球は魔物が溢れますけど? いいんですか~? んん~――うぎゃー!?」
あまりにもムカついたのでエイの頭にハリセンを振り下ろす。かなり痛い音がしてのたうち回るエイ。ハリセンは、なぜか部屋に転がっていたのを拾った。
「なんか、はやく説明してくれよ」
「は!? 女の子に暴力振るっといてそれですか!?」
「いいからいいから。なんかお前嫌だからお姫様扱いしない」
「ええ!?」
「なんかめっちゃいい気味だ」
しぶしぶエイが席に着くと、二人の机にほぼ正方形の世界地図が映し出される。
「あ、間違えました。こっちの世界じゃないです! またおんなじミスを、てへぺろ☆」
そして切り替わる世界地図。こちらの方が若干細くなる。
中央に巨大な大陸がひとつ。それを取り囲むように、しかし付かず離れずの距離に四つの大陸がある。エイはそのど真ん中の大陸の、さらにど真ん中を指さした。
「転移先はここですね。神聖国マイスサミカ、まあ要するに宗教国家です! 私もめっちゃめちゃに崇められてるんですよー、はっはっは!」
「どうせなんか美化した神話とかだろ。そんなのお前と名前がなんか同じだけの創作キャラだよ」
「ええ!? そんなこと言ったら即・処刑! ですよ! 生きていたければ、くれぐれも言葉にはお気を付けください……フフフ……」
次に、その神聖国の周囲が大きく拡大され、いくつかの都市の名前も映し出された。なお文字はアルファベットだ。
「今は神聖国では教皇が娘に殺されて? しかもその娘殿下が冒険者と娘殿下の弟に殺されて、まあヤバイーなお祭りパニックパレードなわけですが、まあこれはいいでしょう」
「いいのか」
「この世界の人々が勝手に解決しそうです、てか解決済み! 弟君、カイマくんとかいうのですが、彼が新しい教皇になって頑張ってますよ。また二十にもなってないのに、健気!」
その代替わりの時にもかなりてんやわんやあったようだが、それはまた別の話。
エイは説明を続ける。
「で、なぜ転移してもらうかというと……妙な『ユガミ』ができたんですよねぇ。この神聖国のあたりに。まあ原因は分かってるんですけども」
その歪みは日に日に大きくなり、世界の裏側へ封じ込められた、古の悪魔の所へと繋がりかけている。その歪みが悪魔へと完全な道を作った時、それは復活を遂げるらしい。
「ちなみに私の上司のなんたらかんたらであるスーパー偉い神、M様が世界の裏側をいじくったせいなのですよね。コレ」
「なんでまたそんな面倒なことを?」
「イェスイェス、いい質問ですね。封じられたのはさっきの教皇の娘なんでです! ババン! えー、彼女はどうやら、何らかの世界の異常によって狂わされた、いわば被害者のような存在だったようです。その異常が伝播しないためにも、単なる殺害ではなく裏側への封印が必要だったのですが……Mさん割と大雑把なので、歪みが生じました! 大変ですよー!」
「ならそっちでなんか対処しろよ!」
ハリセンがまた振り下ろされる。
「うぎゃー! ……エート、神様のルールなんですよ! 干渉は特別な手続きをうんたらみたいな……でもまあ、M様は自由奔放なので縛られないのです。悪魔が復活したところで、長い封印で力がそがれてるしまあ最悪でも大陸が海に沈むくらいで済むので、神が干渉するくらいでもないかなぁという上の判断ですねー。で、そこを何とかするための救済措置として存在するのが、ジャーン! 勇者システム~!」
パッパパー! と大音量で響きわたるファンファーレ音。うるさかったので相慈は耳を塞いだのだが、ご丁寧に脳に直接響くタイプだったようで音は消えなかった。
「異世界から勇者を連れてきてですね、能力とかをあげて、それで解決させるんです。ゴッド様が直接介入するよりはるかに影響が少なく済むので、こういうシステムが取られてるんですよ。相慈さんには、これをやってもらおうかな! と思ってお呼びした次第。じゃ、スロットで固有魔法決めましょうかね! 出でよ能力スロット第十八号!」
壮大な地響きと共に地面から生えてきたのは、一メートルくらいのサイズを持つ巨大な機械だった。レバーとボタンが付いていて、ディスプレイには『コインを入れてね!』と表示がある。
「はい、コインです! 相慈さん、けっこうやってくれそうなのでコインをなんと特別に! 三枚お渡ししちゃいま~す!」
「なんかお前の顔が死亡フラグに見える」
「えっへん、よく言われます! ま、ゴミカス能力の方が結果的に強くなるってラノベに書いてあるでしょ? あれ、なかったっけ」
「……」
コインを一枚入れると、ディスプレイ上のスロットはすごい勢いで回転を始める。パッと見えたものは全部強そうな名前をしていた。
そして、十秒ほどでスロットは減速をはじめ……止まったのは『神伝想然』。表示されるのは名前だけらしく、エイが何らかの魔法で分析をしてくれる。
「ふーむ、『神伝想然』、ランクはF。能力は、『エイといつでも連絡を取れる』」
「なんかとりあえず死ね! ゴミ!」
「く、口が悪いし、いきなり能力をフル活用して私の脳内で叫ばないでください! 脳がうわぁああああ!」
阿鼻叫喚。
他の、これまでルーレットを回した勇者たちは『奏でる音楽で生命力を操る』とか『相手の魔法の挙動を操るコントローラー』とか、クセがあってもまともなものばっかりだったのだが、Fランクはこれが初である。というかCランク以下もこれが初である。
……とりあえず、相慈は二枚目のコインを入れた。
結果、『神伝想然』。重複で+1へランクアップ、生命力をささげることでエイにお願いができるようになった。
「……死ね!! クソゴミ!!」
「うわーハリセンやめてぇー!」
三枚目。
結果、『神伝想然』。重複で+2までランクアップ、エイの分身体には簡単な、または単純な頼みを聞かせられるようになった。
「死ね!」
「やめてください魔法のせいで本当に死にます!! ――ぐえっ」
相慈が無意識で『神伝想然+2』を行使したため、分身体だったこのエイは死んだ。すぐに新しいのが出現したが。
「くぅ、なかなか困りましたね。メダル三枚でこれですか……」
「もう一枚寄越さねえともう一回コロス」
「どうぞ」
四枚目の結果もお察しであった。分身体に聞かせられる頼みの範囲が広がった。
「死ねェエエエエ!!」
「相慈さんの叫びのせいで私に精神ダメージが伝播してきます! ぎゃー! 身体強化の祝福はおまけでつけますから許してうああああー!」
神聖国マイスサミカ。その中央には教会があるのだが、その近くの広い公園は、新たな教皇が即位してからもう一月ほど経つものの、未だにパレードが行われていた。
というより、代替わりのパニックが治まってきてようやく本気のパレードが始まったという感じである。
「にぎやかですねー。屋台で何か買います? ……奢りますよ」
「財布をくれればそれでいい」
「普段のあなたはそんな人間ではないはずです! 深呼吸し、自分を一度みつめなおしてみましょう」
「スゥー、ハァー……」
相慈の心はやや落ち着いた。
あの後、さすがに魔法で命令ができる相手がいなければ+3までランクアップした意味が無いというせめてもの慈悲で、相慈にはエイの分身体がひとりついて来ている。日常の手助けも戦闘のサポートもなんでもやってくれる、らしい。性格がアレなので手助けというものの水準がどれほどなのか不安があるが、仕方ないものは仕方ない。
コインはどんなにいい人でも五枚まで、という制限があるらしく、最後の一枚も回すことはできたのだが、両者ともに未来が見えたのでなにかしらの運がよくなるアイテムをゲットしてからにしよう、ということになった。
「よし、なんか買おう。適当に良さげなのをなんか見つけてくれたまえ」
「はーい! それじゃ、あそこのイモリの黒焼きが安いですよ!」
「……うまいのかそれ?」
「さあ? でも惚れ薬としては定評がありますよ! おひとついかがです?」
「余計なことすんな! てかなんでんなもん屋台で売ってんだよ」
あのホワイトスペース――正確にはエイの執務室第七号らしい――に置いてあったハリセンをもらっているので、それを振り下ろす。今回はシャッと避けられた。
「デートでお祭りにやってきた奥手な彼氏を夜の営みに連れ込むためでは?」
「お前は俺とその夜の営みをしようとしてたの?」
ため息をつくと、その近くにやってきて、上目遣いで相慈の顔を見上げるエイ。ご丁寧にも身長をちょうどよくするために微妙に魔法で背丈を変えている。
「相慈くんなら……い、イヤじゃ、ないよ?」
「うえっ、気持ちわる」
「ぷー。他の男ならけっこうこれでイチコロだったんですけどねぇ。最近は転生の仕事ばっかりで外に出てなかったから、誘惑スキルも鈍ったんでしょうか。それはともかく、ほら、ねぎまでもどーぞ!」
いつの間にか買ってきていたねぎまの串を受け取り、食べる。日本風のたれの味付けだ。
めちゃくちゃ広い公園内を歩きながら、エイが解説をつける。
「むかーしに転生者がねぎまエトセトラエーシーイーの串を作ってブームになったことがあったんですが、またブームなんですよ! さっき言った、新教皇の手助けをした冒険者がどっかの屋台でねぎまをいっぱい食べたらしいんです。それを見た人たちが自分も食べてみたらめっちゃおいしくて、再ブーム! みたいな」
「エトセトラはETCだよ。その冒険者ってなんか日本人とかじゃないの?」
「日本人かわかんないんです。たぶん異世界人じゃないかなーとは思ってるんですが、私の鑑定眼でもその素性はサッパリ! なにか、重大なミステリーの匂いがしました!」
「へー」
少し歩くと、最近新しくできたらしい、ぴかぴかの銅像が公園内に立ててあるのが見える。
ひとりは髪を短い三つ編みにした、幼さものこる少年の銅像。年にして十六、と言ったところだろうか。
もうひとりはまんまるな目がかわいらしい、猫耳とゴーグルがトレードマークの少女だ。蝶ネクタイに燕尾服、と音楽関係者な雰囲気がある。
「あー、あれです! あのちっちゃい女の子がその冒険者ですね! 強いんですよ、めちゃめちゃ!」
相慈はそれをみて少し首をかしげる。
「へぇ。なんかちょっと不穏な顔だな」
「そうですか? まあ、実際ちょっとヤバイーな人でもあるみたいですが」
神の視点でその少女の冒険を見る限り、人を殺すのも躊躇いはないとのことだ。そういう精神構造が一般人とはかけ離れた人がちょくちょくいるそうだ。
ちなみに、もうひとりの少年が新教皇のカイマ・マイスサミカらしい。だいぶしっかりした教皇で政治の手腕は高いようだが、ちょっと厳しいそうで大臣やらが教皇の命に口をはさむのが少し大変だそう。
「それはともかく、ちょっと天気が悪くなってきましたね」
「天気? そうだが……もう少し、なんかもっと本質的な――」
――ドッガァアアアアン!!
大きな爆音が周囲に轟く。公園の地面が大きく揺れ、土埃が立った。
まだ土埃のせいで周囲の視界がうまく見えないまま、その奥からギャリギャリギャリという金属音と声が響きわたる。
「フゥ……何年ぶりの現世か。小僧……ちょうどよい、いまがいつかを教えよ。答えれば命は見逃してやろう」
そして姿を見せたのは――黒い炎の体、らんらんと輝く目を持った悪魔だった。黒いスーツに身を包んでいるが、焼けないらしい。
それが指さした方向にいたのは、もちろん相慈である。
「なんか時間とか知らん」
こちらに来たばかりで当然時間など知らない相慈に代わって、エイが時間を教える。
「たしか一八七四年です! 今は七月の下旬」
「……なんだと!? 桁が! 桁数が変わっているゥウウウアアアアア! フゥーッ、ハァーッ……!」
めっちゃくちゃ血走った目になる黒い炎の悪魔。頭を掻き毟るような動作をした後、魔法を発動し、天に炎を打ち上げた。
「ガァアアア……! 勇者は、どこだ……! 我を封じた勇者を、殺す……!」
「それは……何て名前です?」
「どうせ英雄などと呼ばれておるのだろうなァ……! ウィルバード! 我を封じた者は『魔勇者』ウィルバード・セレスラグス!! 一時たりともこの名前を忘れたことはないッ! 小娘! どこにいる、斬り裂いてくれるわァアアア!」
ウィルバードの名を聞いた瞬間、エイは少し申し訳なさそうな顔になった。それを見て、こいつ申し訳ないとか感情あるんだ、と少しびっくりする相慈であった。
「彼は死にました。……いえ、死んだことになっています。どこかで生きているでしょうが、私たちはもう彼の居場所を知りません」
「……勇者ってことは、お前がこっちに転移させたやつじゃないのか? そのウィルバード? も」
「そうです。正確には転生ですけど。ですが、当時の魔王を倒してから十年後に病で死にました。……ですが、その魂は輪廻の輪には乗らず、何者かによって死体ごと連れていかれました。彼らはこの世界から出たため、私のできる探知が効かなくなったんです! だから、生きているんだったらたぶん別の世界にいます!」
と、ここまでエイが話したはいいのだが……エイが神だとは知らない悪魔は、その言葉を信用に足らないと判断したらしかった。
「小娘のくせに、たわけたことを。手始めに貴様から、地獄の業火で燃やし尽くしてやるわ! 『黒陥穽焔』ゥウウウウ!」
悪魔の両手から黒い炎が放たれる。
エイがびっくりしつつも障壁を展開し、その炎を抑え込む。
その隙に相慈は――地面から土を取り、全力で振りかぶって投げつけた! しかし当然のごとくそれは悪魔の腕で弾かれる。まあ当たったとしてもどうということはないのだが。
「邪魔をするなァ!」
「ちぇー、そうだよな。なんか予想はしてたぜ。やっちまエイ」
「人の名前をネタにするのよくないです! しかしやっちまエイますよっ!! スーパーゴッドホーリーウルトラ、ク、ク……クリーンウォーターッ!」
放たれたキラキラ光る水が黒い炎を消火してゆく。だが、悪魔の方も負けじと火の勢いを強めた。
それさえもエイはゴッドパワーで抑え込み、不敵な笑みを浮かべる。
「クオオオオ、小癪なァアアアア!!」
「えいや、そーれ」
相慈もなにか力になろうと、四方八方から泥団子をぶっつけて悪魔の集中を削ぐ。
そして一分間の拮抗の後――
「ぐぬぁ!? 力が、足りぬ……!?」
「魔力切れですね! フッ、しょせんはイキッてるだけの上級悪魔ですよ!」
「上級って結構すごいのでは……?」
性格云々はともかく、エイも魔法の腕ではさすが神というレベルのようだ。徐々に炎は押され始め――そして、ジュッ、という情けない音と共に悪魔は消え去ってしまった。
「ほー。水が弱点だったのか?」
「んえ? たぶん私のホーリーゴットセレスティアルパワーです」
「クリーンは出てこなかったのにセレスティアルとか難しい単語知ってるのな」
「えっへん。もっと褒めても……じゃなくて聞いてたんですか! うぅ、恥ずかしいです~!」
のたうち回りつつも、だんだんと悪魔が燃やして消し炭にしてしまった大地を修復していくエイ。ちょっと溶けていた新教皇の銅像もよりつるつるピカピカになって再生してきた。
そして、いつの間にか周囲には人だかりが。真昼間の公園でブラックファイアな怪物とドンパチ戦闘を行ったので、当然と言えば当然だ。
「オーマイガッシュ! エイちゃん人気者になってしまいます!」
「俺は避難」
面倒事の予感がしたので、相慈はそそくさとその場を離れ、一観衆として人だかりへ紛れ込んだ。
そして案の定エイに近づく人々が……。
「なんか逃げて正解だったな」
「うわー! ちょっと、頭ポンポンとかセクハラ! あ、友達の付き添いなので師匠にはなれませ、ちょっ、記者さん! 記者ですよね! 拉致しなくても話しますって! 放して! なんちゃって! いやまってくださいうわー!!」
その後、人ごみにもみくちゃにされるエイの悲鳴が公園内へ響きわたったのであった……。
日が暮れた後、先に適当なホテルに入っていた相慈と同じ部屋にエイがやってきた。あらかじめ相慈が魔法で連絡を取っていたわけでもないのに勝手にやってきた。
「なにあれ、民度おかしいです! くぅ、ここまで失礼な民になっていたとは……。一度天罰を与えたい」
「よう。天罰、もう与えてたよな」
あのもみくちゃにされた時にエイは魔法で周囲の人間をぶっ飛ばし、逃走を図った……のだが一瞬で再度囲まれてしまい、逃げられず。窓から公園の方を見る限りそれが四、五回あったようである。
だが、エイとしてはその程度天罰の内に入らないようだ。
「天罰ってゆーのはですね! そう、セイクリッドサンダーとか! ジャスティスターフォールとかですよ! 大勢の咎人を一撃で仕留め、残ったやつらに反省を促すのが! 天罰! なのです!」
「なんか止めてやれよ、かわいそうだろ。てかなんか別に重罪犯したわけでもないだろ……」
「う……それは、いや、不敬罪! 不敬なのですよ!」
「お前が神だってなんかわかってたらそんなことはせん」
「せ、説明しましたとも! やつらは信じなかった!」
「当たり前だろうが」
相慈がジト目で睨むと、エイはぶすっとした不機嫌顔で折れた。ホテルの洗面所で手を洗ってから机に戻り、買ってきたミートソースパスタを二人分、どこからともなく取り出す。
「ありがと。……でひとつ聞きたいんだが、さっきのが『歪み』のせいでなんか出てきたヤツでなんか間違いないか?」
「! そこまでわかってたんですね。さすが、もぐもぐ」
「常識的に考えればなんか分かるだろ。……いやー、あいつレベルのがなんかどんどん出てくるのかぁ。なんか、世も末だな。もぐ」
買ってきたパスタはまだぽかぽかしていておいしかった。日本のファミレスで食べたのと同じくらいうまい。
「あいつレベルというか、あれでもまだ弱い方ですよ! 世界の裏側に封印されるようなのは、だいたい何かしら世界の異常をもろに喰らって強くなっていますから。封印で力がそがれていたとしても、あれくらいが下限だと思います! たぶん、ばくばく」
「とんでもねーな。その、異常? を俺も受ければ強くなるのか?」
「うーん……」
エイはその質問に対し、一瞬悲しげな顔をした。
「強くなります。確かに異常なまでの力を手に入れます。ですが、その時点であなたの魂は歪みに歪み、もうあなたじゃなくなるんですよ。あなたのスガタと記憶をもっただけの、殺人人形になり果てます」
「そう、か……そんなんだったら、ならない方がなんかずっといいな」
夜は更けていく。
* * *
真っ青な世界。ここは、エイたちの言う世界の裏側である。
もちろん物理的な裏側ではなく、彼女たちがいる世界と対になるパラレルワールド、と言ったようなものだ。エイのいる世界の異常と破損をすべて詰め込んだような、気が狂うような壊れた世界なのだ。
そして、そんなところを二体の悪魔が歩いていた。
「フゥ……どんな様子なのだ、今の地上は」
片方は、青い肌と歪んだ大きな角を持った美青年の悪魔――その名をシンキガイ=モドソルズ。二つ名は『原初の悪魔』。
そして、彼こそが相慈たちの最終目的である古の悪魔その人だった。
「炎の字の視界を見るに、開きかけのゲートは神聖国ってとこに繋がってるらしいぜ! でも、初の字とかがいた時代よりだいぶ経ってる」
シンキガイに追随するもう片方は、ボロボロのジャケットを身にまとった、人間と言っても差し支えない見た目を持った少年の悪魔だ。いつごろからか、シンキガイのいるこの裏側へと封じ込められたらしいのだが、素性どころか名前もシンキガイですら知らない。だが協力的で強力だったため、外に出たい、という利害関係の一致で側近としている。
「それくらい承知済みだ。おそらくは八千五百年弱なのだろう?」
「あっちの現行の暦で千八百年……だから、まあだいたいそんなもんだな! よく分ってらっしゃるぜ、旦那」
「フン。で、どうやらあやつは死んだようだな……神の気配を感じる。乗り出してきたのか?」
先ほどの炎の悪魔を通じて地上の偵察を行っていた少年は肩をすくめる。何らかの力によって映像の傍受がプッツンと途切れてしまったのは、その神の妨害だろうか。
「しっかし、神に警戒されるとなると俺達そうとうツエーってことだよな! やったぜ」
「甘く見れば死ぬぞ。それに、神が出張ってきたのなら義体だろうが分身体だろうが圧倒的な強さを持つ。いくら我々がここで力を蓄えたとはいえ、出てすぐは本来の力を出すこともできぬ。最悪即死だ」
「わかってますよー旦那。俺もここまで強くなったのに出オチなんて御免だぜ」
「出……意味の分からん言葉ばかり使うな」
「おっと、出身地の癖がついつい!」
てへへと軽い調子で笑う少年だが……彼の脳内では、ものすごい勢いで計画を練りつつ、魔法の最適化の方法を模索していたりする。もっともそれはシンキガイも同様。圧倒的な力を持つ彼らは、思考を並列で行うことなど造作もない。
そして、徐々に彼らの目の前で歪みが広がっていく。シンキガイほどの力を持つ悪魔が出られるようになるのも、目前である……。
* * *
「変装完了! バッチリです……あ、口調も変えましょうか。えー、ごほん。相慈よ、我こそがこの世界の生きとし生けるもの、そして彼らの魂を司る転生神、エイである……」
「ぶっ。変装……ってレベルじゃないよな、なんか」
朝一でエイは魔法か何かを使い、威厳のある壮年の男へと変身した。声もしっかりと変わっている。ここまでくれば完全にまったくの別人である。
もう雑誌の記者やら弟子入りしたい人にもみくちゃにされるのは御免なようで、別人になって街を歩くようだ。
「フ……もし古の悪魔が現れたとしても、この我が真のエイであるとは気づくまい……。油断した隙を突き、一撃で捻り殺してやろうではないか」
「元の姿の方がなんかかなり油断されやすそうではあるんだが」
「そうか……え? 今、私が弱そうって言ったんですか? え……?」
「口調なんか戻ってるぞ」
マッスルな超強そうなおじさんが、かわいらしくて生意気な普段のエイと同じ喋り方をするものだから相慈は強烈な違和感を覚える。
エイ本人もなんだかむずがゆさを感じて元の姿へ戻った。
「うーん、演技はニガテなんですよね! じゃあもういっそ相慈さんのスタ○ドになりますか! スタ○ド! おらぁー!」
すっと透明になり、それからひょいひょいひょいっと姿を表したりまた消えたり。楽しんでいるようで何より、と相慈はため息をついた。
街を歩いている間も、エイは透明のまんまで歩いたり浮いたりして移動していた――相慈には見えるようにしてあるそうだが。必要に応じて先ほどの威厳あるおじさんへと変身し、屋台で串焼きなどを買ってくる。
十本目の魚の串をごみ箱へ放り投げたところで、エイがいきなり立ち止まる。なにかを感じたようだ。
「むむむ? ……うーん、変な感じがします……」
「世界各地になんか悪魔が出現してるとかじゃねーの。のんびり行こうぜ」
エイはうーんと唸った後、すぐすっきりした笑顔になった。
「ですね! 救世の仕事は私の本体に丸投げしましょう!」
「おう、ガンバレ本体」
天に向かって二人でサムズアップをすると、『神伝想然』の効果か不機嫌そうな意思が伝わってくる。
「ふっ、転生の管理任務でこき使ってくれた報いが――うゃっ」
「……」
エイが蛙が潰れたような声を出しながら吹っ飛ばされた。
いや、本体からの天罰とか報復とかではない。走ってきた二メートルほどの身長のある男にぶつかり、吹っ飛んだのだ。文字通り、五メートルほど。吹き飛ばされた衝撃で透明化は解け、普段のエイの姿が周囲の人の眼にも入る。
これなら、透明化していたエイにぶつかったためエイが十割悪いのだが――しかし、相慈は直感でこの男が何かしらの悪であると判断。エイに視線を送ると頷いて返された。
「オイオイ、待てよなんかでかいやつ。ぶつかったらごめんなさいだろ?」
「……」
立ち止まった大男は、振り向きざまに腕を大きく振るい、相慈へ攻撃を仕掛ける。
エイからせめてこれだけでもと貰っていた身体能力の祝福の影響か、迷わずエイを操って壁にした。あれを受け止める方法は相慈一人では何もなかったので、バリアを作ってもらう。
――ギィイイイイン!!
「うわぁ!」
「……」
大きな金属音を立てつつ削られるエイのバリア。やばいやばいと悲鳴をあげているがわざとらしいので大丈夫そうだ。
「いやあ相慈さん! しっかりと私の意図を読んでくれて嬉しいですよ! まったく血が滾っちゃうなぁ!」
「俺は強くないからなんかよろしく頼むぞ」
やっぱり問題なさそうだ。むしろすこし楽しそうである。
シールドが割れなかったため距離を取った男だが、あらかじめエイの展開していた魔法により空間が閉じられており、男は一定圏内の外に出ることはできない。
本来この魔法は攻撃魔法などが周囲へ流れないようにするものだが、空間を断絶する仕様を逆手にとって勝負を強制する使い道をメインにしていた。なかなか好戦的な神である。
「ご安心ください! 空間は切り取ってありますが、通常のものと違って結界に触れても手も体も消滅しませんよ」
「……」
相変わらず男は何も言わないが、地面を勢い良く踏み込み、エイに殴りかかる。
力に任せた強引な攻撃――ではなく、しっかりと体系づけられた『技術』である。人体を効率よく使い、最短の動かし方で最大のダメージを狙う優れた体術。
「スーパーミスティッククリスタルブレイク!!」
「……『無駄だ』」
ようやく男が最初の声を発した。いや――
「うぉわ!? それが魔法のトリガーですか! やるねぇです!」
魔力の水晶が放たれるも、男の魔法により一瞬で砕け、大気に溶け込んで霧散する。
さらなる水晶の攻撃を真正面から撃ち抜こうとする男だが――
「『チェンジ』」
「っ!?」
次の瞬間、水晶の代わりにそこにあったのは……相慈の姿だった。一瞬だけ拳の速度が鈍る男。
相慈は表情を崩さないまま、その腕と服を掴み――
「どっ……らァアアッ!」
「がはっ――!?」
まるでお手本のような、見事な一本背負いを叩き込んだのだった。魔法によって強制的に位置を入れ替えさせられたエイが、後方でぽかーんと口を開けている。
だが、意外な攻撃を喰らってもすぐに立ち上がろうとする男に、さらに相慈は抑え込みにかかる。
「なっ……ぐ……!?」
「へっ、なんか動けねぇだろ。やっぱりジャパニーズ柔道はつえーや……鍛えてたかいがあった」
そのまま、エイが先ほどの水晶攻撃と同じようなもので男の手足を地面に括り付ける。相慈がすっと立ち上がり、軽く息を吐いた。
「うぇー、相慈さん柔道できたんですね! すごい!」
「だいたいのスポーツはできるぜ? なんか中途半端だからその道の人間には負けるけど」
「へぁー」
驚きすぎて間抜けな声しか出ないエイ。
ピシッ、と音がして彼女の意識は現実に引き戻された。
「ぐぉおおおおおおおおッ!」
水晶で手足を地面に括って動きを止めていたのだが、はやくもその水晶が割れてしまいそうだ。しかし、エイはあえて、その水晶を消し去った。空間を断絶する魔法も同時に。
「足止め感謝するッ! 『泡沫狂わせの銛』!」
「がぁッ!?」
風と共に突っ込んできた警官服の青年が、魔法で薄紫の巨大な銛をぶっ放す。それは僅かに軌道を修正しながら男の腹を貫通し――バチバチッと紫電を放ちながら、縄に変化してその体を拘束した。
魔法の効果か、貫通していた腹に全くの傷はない。だが、男は麻痺して体が動かず、手足を厳重に縛られて身動き一つ取れない状態になった。
「九時十五分! 殺人未遂及び公務執行妨害で、このアガメムノン・マイスサミカが逮捕するッ!」
「おー」
アガメムノン、と名乗ったイケメンな青年警官が遅れてやってきた他の警官へ指示を出し、男を連行させる。
そして、彼は周囲を確認した後、相慈へ視線を向けたのだった……。
どこかのカフェ。
アガメムノンと相慈、エイはその隅の席に座ってそれぞれの好きな飲み物を飲んでいた。
「まずはお礼を言わせてもらおう。この度はこのアガメムノン・マイスサミカが悪党を逮捕するのに協力してもらったこと、感謝する」
「いちいち名乗るのなんか長いから省略していいぞ」
「そ、相慈さんの言えた事じゃなくないですか……?」
ことあるごとにいちいち『なんか』を連呼する少年へ冷静なツッコミを入れるエイだったが、アガメムノンは聞いていないのかおいしそうにコーラを飲み、相慈は首をかしげた。ツッコミが通じない。
「そ、それより。アガメムノンさん? はマイスサミカ姓……ってことはこの国の教皇の一族なんですか?」
そういやこの国は神聖国マイスサミカだった、と思い出す相慈。
「ああ、よく気が付いたな! このアガメムノン・マイスサミカは先々代の教皇様の弟の子孫だ。今は半分勘当された身で、ただの一警部をやっているがな」
「あらら、そうだったのですか。それはそれは」
若干馬鹿にしたような雰囲気が出ているが、本人に自覚はない。エイみたいな、少なくとも外見は純粋無垢な子供なので、アガメムノンも置いておくようだ。
「あー。俺はなんか相慈。ジャパニーズ柔道のなんかそこそこうまいやつだ。なんかあったら頼ってくれよ」
「ナンカソウジ殿? 変な名前だな……おっと失礼」
「何言ってんだ、俺は相慈だよ」
「それはもっと失礼したな。非礼を詫びよう。で、さっき見せた見事な体術がそのジャパニーズジュードーとやらなのか?」
「そうだな。柔よく剛を制す、ということで相手の力をなんかこう、見事に利用してなんか投げ飛ばすのさ。半分独学だから詳しいことは俺もなんか知らないが」
ジェスチャーで再現してやると、アガメムノンは「おおっ」と感嘆の声を発した。
「私はエイです! この相慈さんのおともだちで、相慈さんよりめっちゃ強いですよ!」
「先ほどの空間魔法もエイ殿のもののようだな。触れても死なない空間断絶魔法、誠に見事だった」
「……さっきもそんなこと言ってたけど、普通だったら死ぬのか?」
「ですね! 正確には、若干の虚無空間が間に挟まって壁となるので、その虚無空間に体を構成する情報を奪い取られてバラけて死にます」
「さらっとえぐい」
「なので基本的には何かを閉じ込めるために外側から使うのが主ですね。自分も壁に当たると死ぬので」
「へー」
情報を奪われて死ぬってどんな感じなんだろうと少し興味が湧いてしまう相慈であった。逆にアガメムノンはちょっと引いた顔である。
ともあれ、自己紹介を終えたのでアガメムノンが咳払いをひとつし、本題に入った。
「犯人の捕縛に協力してもらったこと、誠に感謝する。それで、しばらくすれば感謝状も発行されると思うのだが……ふたりは、昨日も戦って目立っていたな?」
「そりゃこいつだけだ」
「それもそうだな。なんかよく分からん敵を一方的にぼこぼこにして蒸発させたとうちの部下が言っていたぞ。で、その実力を持ちながら今まで全く知られていなかった……ということは、旅人なのか? それとも何か事情があるのか?」
コーラをごくごくと飲んでおかわりを店員に注文してから、なんと返事すればいいか困っている二人を見て、アガメムノンは顔の前で手を振った。
「いや、事情を言う必要はない。こういうのがたまにいるからな……配慮した方がいいか、しなくてもいいのかを聞きたい」
「一応してくれ。面白い事情はないが」
「相慈さんが言うならそれで!」
「分かった。感謝状交付の式はなしで話を通しておく。発行に二日ほどかかるから、予定が空いたら来てくれ。……まあ別に来てもらわなくとも、一年ほどは保存されるが」
「おう……おう?」
相慈が窓の外を見る。
「なんか騒がしいな」
「また何者かが現れたか? 最近は犯罪者が増えているんだよな……このアガメムノン・マイスサミカが逮捕せねばならぬほどの実力者も犯罪へ走るし、困ったものだ。それでは、失礼する」
そう言ってすっくと立ちあがったアガメムノンは、カウンターに「釣り銭は要らん」と言いながらお金を置き、足早に店を出て行く。すると、店の店員がさすがに申し訳ないと言ってエイにお釣りを渡した。かなりの大金だった。
* * *
アガメムノンはどこからともなくスケートボードを取り出し、それに飛び乗って先を急いだ。
このスケートボード、『収納』という付与魔法がかけられたもので、所有者であるアガメムノンの体内に魔力体として隠しておくことができる便利スケボーなのだ。
彼の移動手段は基本的に徒歩かスケボーである。
若干遅れて、腕に装着している鉄球のような魔道具が弱く点滅。事件発生の合図だ。
「もう発生してだいぶ経っているようだが……かなり遠いな。相慈殿の耳はかなりいいようだ」
火魔法と風魔法でジェットを作り、さらに加速。道の中をビュンビュン走っていても通行人に激突しないのは、アガメムノンの目が非常にいいからである。
風を受けてびっくりする通行人もいるにはいるのだが、だいたいは「おお、やってるなー」くらい。アガメムノンが自分の所属する部署にスケボーを導入してだいぶ経つので、最近はあまり驚かれなくなった。
腕の魔道具の色が徐々に赤へ近づいていく。
「そろそろ、だな」
スケボーを降りると、徒歩で騒ぎの聞こえる方へ向かった。
辿り着いた先、半分路地裏の開けた場所。そこにいたのは――
「悪魔、か?」
「うぉ、アガメムノンパイセン! そうなんよー、悪魔みたいなのがいて! ウチ光属性ニガテやからパイセン待ってたところやー」
この少女は、アガメムノンの部下である警部補のネストラ・シディア。なんらかの獣人だそうだが、耳もしっぽも隠しているためアガメムノンですらどの動物なのかを知らない。
その指さす先にいるのは、体を濁った水で覆っている悪魔だ。本体は人間そっくりなのだが、それを覆う濁った水がスライムのように形を変えているためなかなかぱっと見は人に見えない。
今は、ネストラが突き刺したらしい使い捨ての杭で動きを制限しているようだが、それもすぐ破られそうだ。アガメムノンの魔法の銛で貫こうにも相手はたいした傷を負っていないため、破られる可能性が高い。
「このアガメムノン・マイスサミカも光属性は得意ではないのだがな。まあ、いいだろう……『輝刃』」
「さっすがー」
放った輝く刃は濁流の悪魔の水を弾き、少しだけ傷を入れる。傷を入れたのは水が少し赤くなったのでわかった。
「どうやら、あの濁った水が光を吸収してしまうようだな……ふむ、蒸発させるか。手伝ってくれ……『燃焼』」
「期待せんといてよー! めっちゃ燃える炎や!」
アガメムノンとネストラの炎が濁流の悪魔を飲み込み、ジューと音を立てながら少しずつ水を蒸発させてゆく。だが、ただでさえ強力な悪魔の操る魔法を打ち消すのだ。アガメムノンはものすごい勢いで自分の魔力が消えていくのを感じていた。
だが、それでも二人で協力して魔法を放ち続け、三十秒ほどすると、手ごたえが薄くなる。
「やったようだな……」
「い、いや……気配がある……? っ、パイセン! 横やっ!」
――バキュゥウウウウゥゥン……ギャリギャリギャリィイイイッ!!
「くそッ、脱出されたのか! 『強風』!」
風魔法で視界を奪っていた水蒸気を吹き飛ばす。
ネストラはとっさに結界で攻撃を防いだようで、だいぶ疲弊した様子だったが問題はない。
しかし、濁流の悪魔は杭を破壊して脱出していた。体を覆う濁った水は少し減ったように見えるが、それだけだ。多少の傷も見受けられない。
悪魔は首をコキ、コキと鳴らした。
「魔道具技術も進歩したようだなァ。俺の生きてた時代といやァ、こんな悪魔特攻なアイテムなんぞなかったぜェ」
「……? 封印されていたとでも言いたいのか?」
「そうだなァ、まあその通りだァ。よくもあんなおっかねぇモン打ち込んでくれたなァ? 人間と悪魔、どっちが上か、再確認させてやるよォ!」
悪魔の狙いは杭を打ち込んだネストラのようだ。魔力の使い過ぎで疲労しているネストラをかばうように、攻撃のライン上にアガメムノンが火の壁を展開する。
力を封じる杭を破ったため、その水の刃の威力はかなり上昇していた。
「ぐッ……! あれで本気ではなかったか!」
「当たり前だろォ! この俺にかかれば、本気なんぞ出せなくとも一瞬で斬り刻んでやれるがなァ!」
「その割にはこのアガメムノン・マイスサミカの火の壁にてこずっているようだがな! 反撃をくれてやろうッ『炎槍』!」
隙を見つけて魔道具をテンポよく叩く。救助要請、そして特別プロトコルの送信。まあ、通行人が誰かしら報告などをしているだろうが、要するに悪魔が出たので専門のやつを送ってほしいということである。さすがに、アガメムノンひとりではネストラを護るどころか自分も生きていられるか怪しい。
「助けを呼ぶなんざァ、それでも男かァ? 人間は群れるのが好きだなァ」
「フッ、情けないからと女を見捨てることこそ男には似合わないだろう!」
「パイセン、悪いけどウチはパイセンのことそういう目で見てるわけじゃないんや……」
「安心しろ、このアガメムノン・マイスサミカも例えで言っただけだ!」
「それもちょい傷つくなぁ」
軽口をたたいてなんとか焦りを紛らわしつつ、炎の壁で攻撃を防ぐ。使用する魔力を最小限に抑えるため、展開する壁は最小に、そして短時間のみ。
少し間違えればアガメムノンはネストラと守るべき市民を巻き込んで一瞬で死ぬ。だから、攻撃は見極めなければならない。
「ククク……なかなかついてこれているじゃねえかァ。だがよォ、これならどうだァ?」
「くっ!」
地面を突き破り、巨大な水の棘が大量に出現する。とっさに『強風』で自分を転がさなければ貫かれていた!
「死ねやァ! それとも、まだ遊んでいくかァ!? どっちでも面白いからいいんだがなァ!」
「……!」
アガメムノンが腕につけている魔道具が点滅する。悪魔に対する増援がもうすぐ来る。それまでの辛抱だ、何としてでも犠牲者を出すわけにはいかない。
「悪いがね! こちらは死ぬ気で人を守らなくてはならないのさ! このアガメムノン・マイスサミカの命が燃え尽きるまで、付き合っていただこう!!」
そう叫び、全力で炎のハンマーを悪魔に向かって叩き付ける。
そしてついに、次の瞬間。
「――よく言ったねっ! さっ、蒸発させてやんよー!! 喰らえ『詩的な死の音』!!」
「遅れてスイマセン! 『遠距離煉哀』ぁああ!」
奥から飛び出した、二人の増援の姿を見て、アガメムノンはほっとその場に倒れこむのだった……。
* * *
一方、街を歩いていた相慈とエイの元にも、また新たな悪魔が出現していた。
「ウワー。なんかせっかくの柔道が通じねえや、よろしく頼むぜ」
「おお、『スライムの悪魔』ことトロンカ=クランスじゃないですか! 悪魔の中でも珍しい癒し要員です!」
その悪魔は人の形ですらなかった。黒く、ぷにぷにぽよぽよしたタールのスライム。てかてかしていて、妙にかわいい。
かわいいのだが、やはりエイによると悪魔で間違いないそうで、倒す必要があるのだ。
「エイの豆知識です! 一度以上の影響を受けると異常を他者へ伝播させないため封印する必要が出てくるのですが、ここまでくるともう体に歪みが馴染んでいるので普通に殺害しても何ら問題はありません!」
「あ、そうなの」
「コポポポ……」
スライムの悪魔が液体が泡を立てるような音を発するが、妙に不機嫌そうである。
「なんか、出てくるの悪魔ばっかりだけど他のやつってなんか封印されてないのか?」
「されてます。されてますが、うーん、どうやら悪魔のビッグボスが空いたホールを占領してしまっているようですね。まあ世界の裏側じゃ身動きも採りづらいですし、ビッグボスが出てしまってから自分たちも出ればいいと思っているのかと?」
「コポ……キューッ!」
今度はやかんが沸騰するような音を発した。どうやらお怒りが沸点に達したらしい。
「すいませんね。じゃあ、一瞬で消し去ってやりますよ! スーパーハイパーピュリフィケイションウォータージェット!」
「コポポォ……!」
お互いが同時に技を放ち、聖なるエネルギーのこもった清浄な水と、魔のエネルギーがこもった穢れたタールが衝突する。まき散らされたタールは酸のようにジュウッと音を立てながら周囲の地面を溶かしていくが、今度は清浄な水が大地を修復した。
状況はエイの方が優勢だが、なんとかスライムも踏ん張っている。
「なかなか耐えますね! それでは、一気にとどめを刺してやります! サンクチュアリアルティメットウルトラライト!!」
「お前、そのネーミングセンスなんかどうにかならんの?」
「コポポポポ、パッ!? キュー! キュー……!?」
天から降り注いだ美しい光に当てられると、徐々にスライムの悪魔の放つタールは威力を失い、押されていく。
「ポコ……キュー……」
「さぁ! 死ねぇ! ですっ!」
「キュゥ……」
かわいい声を出すものの、その体は一瞬で水に浄化されて消えた。
「なんかかわいい声だったな」
「そうですか? まぁ似たようなスライムなら街を歩けばいますよ。キューキュー言うのは、そうですねぇ、海神国とか?」
「分からん……と、今度はなんか柔道が効きそうなやつだぜ」
ドシン、と地響きと共に大きな音を立てながら、メタリックな人型のゴーレムのような悪魔が現れる。
「ええと、これも『魔勇者』ウィルバードに倒された『チタンの悪魔』と呼ばれるヤツです。正式名称は……たしかバッドッボとかそんな感じだったですかね?」
「ガガ……ガガ……」
「というかこいつのどこを見て柔道が通じると思ったんです……?」
「人型だろ」
「えぇ……」
チタンの悪魔はノイズのかかった雄たけびを上げると、何らかの魔法で自身の体のチタンを強化する。
「ゴゴゴ……」
「よし、かかってきやがれ! なんかぶん投げてやるぜ」
相慈の挑発に、やれるもんならやってみろとばかりに突進を仕掛けるチタンの悪魔。
「スーパーストロングオーラ!」
「うぉおおお巴投げェエエエエエエ!!」
付与された攻撃力上昇魔法の効果で、だいぶ重たいチタンの悪魔の体を持ち上げ、巴投げで上空へぶち上げる。
「よっしゃー、スーパーブチ上げクラッシュサンダー!!」
次に繰り出された雷攻撃によって中心部、四肢の先端を貫かれるチタンの悪魔。さらに、落下すると今度は真上から氷のハンマーを叩きつけられ、ひしゃげて地面へめり込んだ。
「さぁ次はこねーのか!? やってやるぜ! エイが!」
「まだいるんでしょ、ヤケクソですよ! やってやりますよっ!」
そして現れたのは先ほどの二者より最近に封印された、斬撃の悪魔。侍もどきのような見た目でひゅんひゅんと斬撃を飛ばしまくるが、エイのバリアに遮られ、相慈にぶん投げられて刀が折れ、敗北。
採掘の悪魔。ピッケルがよっつ連なってスリングショットもどきになった見た目だが、出た瞬間相慈に踏みつけられ、ひとつひとつ剛力でもがれて死亡。
テレパシーの悪魔。実体がなかったがサンクチュアリアルティメットウルトラライトに当てられると一瞬で消滅した。
「けっ、なんかキリがねー」
「他の所でもどんどん出現してるみたいですね……」
「メンド……。はやくボスが出てきてエイがなんかサクッとやってくれたら楽なんだが……」
* * *
「パイセン、これ夢ちゃうか」
「奇遇だなネストラ君。このアガメムノン・マイスサミカもそう思っていたところだよ」
ネストラとアガメムノンはさっきからスライムのような黒いやつを斬りまくりながら、のんきな調子でそう呟いた。
彼らの背後では、先ほどやってきた救援部隊――という名前の雇われ冒険者が濁流の悪魔をこてんぱんにしている。悪魔特攻の杭もなく、ただただ純粋な力量だけで。
おかげで、力がまだ及ばないふたりは他の所から湧いてきた、別の悪魔のものらしい握りこぶし大のスライム軍団を斬り裂くだけで済んでいる。
「こいつら、どっから湧いてきとるんやろか」
「物量で押しつぶす……にしては少ないし、小さいな。おそらく分体を飛ばして、各地で何かをするのか、逃げているのかのどちらかだろう。あちらには先ほど世話になった旅人がいるしな。彼らもまた強かった」
「へぇ、今日はパイセンは何人も世話になっとるんやなぁ。めずらしー」
「なんといってもこの異常さだからな……間違いなくなにかが起こっているのだろう、とこのアガメムノン・マイスサミカは断言する」
すると、ちょうど後ろの冒険者組は悪魔を倒したようで、わいわいと談笑が聞こえてきた。悪魔が何かしら道具を持っていたら売れるし――たいていは呪われているのだが――何らかの素材を落とせばそれも売れる。上級の悪魔の素材はめったに取れないため高価で、高い能力を持つ冒険者からしてみればいい収入となるのだろう。ネストラとしてはうらやましい限りである。
「こんな単純作業やったら誰にでもできるし、また救援でも……ん?」
「……空が、濁ってきた?」
水平線の向こうから、何かに侵食されるように青空が黒ずんでいく。それはみるみるアガメムノンのいる上空も黒く染め上げ――淀みが、不気味な顔の形を成した。
『初めまして、人間諸君。悪魔が世界各地に出現し、今頃は死の嵐となっているだろう。そしてすべて、我が仕組んだ事だ』
不気味な顔は、みるみる黒く、深くなる。
『まだこれらは序の口に過ぎない。我が直属の配下八柱を仕向けるとしよう……クク、勇者が討伐してくれるだろうか? 神が手を貸してくれるか? 残念だが――それよりも先に訪れるのは死だ。今から、この世は悪魔の時代が訪れる……』
――そして、地が爆ぜた。
「ネストラ君ッ!」
「パイセ――」
砕けた地面の下から無数の黒い腕が現れ、無差別に人間を引きずり込む。ネストラも、引きずり込まれた。
とっさにアガメムノンは剣に光の魔力を込め、伸びてきた腕を斬りつけ、弾く。
「救援の冒険者はッ!?」
「全員いる! いるけどなんか強いよ! せやぁッ!」
またしても大きな爆発が発生するが、これはどうやら冒険者が放ったもののようだ。地中の腕はダメージを受けたのか、ぶわっと霧散し、かわりに一体の巨大なナニカが現れる。
それは、漆黒の巨大な振り子時計のような悪魔だった。振り子は単調で、ゆっくりとしたリズムを刻みながら横に揺れている。
「うわ……! 原初七十二柱の一体だぁ……」
冒険者のひとりがそれを見て呟いた。
「第六位『時間の悪魔』ことボロックボーン・バドゥ。固有魔法は」
「――『時空の歪曲』」
時間の悪魔から、唸り響くような魔法の詠唱が行われ、地を震わせる。
そしてその魔法の効果は、
「あーあ。守るべき女も守れないで、何が男だ」
並行世界における相手を呼び出し、
「そんなお前に生きる価値など無い」
――戦わせる!
「『唯の夢幻』ッ!」
「『泡沫狂わせの銛』!!」
出現した、パラレルワールドのアガメムノン・マイスサミカはすぐに剣を生成し、音速の壁を破って飛ばす。
放たれた魔力の剣と杭が激突し、相互に相殺しあって消滅する。だが、どうやら連射の性能では並行世界の彼の方が勝っていたようだ。
すれすれで躱した剣は、奥にある地面へと突き刺さった。そして、次の瞬間周囲の地面が消滅する。
「な――!?」
「『唯の夢幻』は刺さったものを消し去る能力……数秒程度だがな。しかし、再出現した地面にお前は潰されて死ぬだろう」
手を伸ばすも、掴むべきものはない。並行世界のアガメムノンはふわふわと浮いている。
「う、ぉおおおおおおおおお!」
とっさに上空へ向けて放った『泡沫狂わせの銛』の銛。それを右手に掴んだまま、彼は急上昇する。
「ほう……躱したか」
「甘く見たなッ、躱すだけじゃあないぞッ!」
そして、銛の先端の向きを強引に変え、並行世界の自分目掛けてぶっ放す!
「『唯の夢幻』。これが反撃のつもりか?」
「いつ、銛は一つだと言ったよッ!」
「くっ!?」
予備で放たれていた四つの銛が、彼の心臓めがけて同時に四方から突き刺さる! 再出現した地面に、並行世界のアガメムノンは倒れ伏した。
だが、同時に銛を四つも放ったことでこの世界のアガメムノンも体に限界が訪れている。
「すま、ない……ここまでだ! 任せても構わないかッ!?」
そうアガメムノンは冒険者たちへ向けて叫ぶ。しかし、彼らは笑顔で魔法をぶっ放した。
「人手は多い方がいいぜ! さっさと時計を壊して彼女さんを助けないと」
「おお、回復してきた! 感謝する! あとネストラは彼女ではない!」
* * *
そんなこんなで、相慈とエイも現れていた『愛憎の悪魔』を殴り飛ばし、叩き潰して消し去った。
エイは光のレーザー魔法をどす黒い雲へ向かって放ちながら胸を張る。
「フフン。なんか強そうでしたが、私の前ではただのおさかなに等しいです!」
しかし、そこへエイでも相慈でもない声が降る。
「――我にとってみれば、貴様もただの人間と等しいのだがな」
「うわらば!?」
天から降ってきたのは――『原初の悪魔』シンキガイ=モドソルズであった。
エイは奇襲に対応できず叩き潰されるも、すぐに別の地点で再生する。
「悪の親玉みたいな顔だな」
「そうですよ! やつが『原初の悪魔』で、悪魔ナンバーワンの男です!」
「なんか強そうだ、おおっと」
放たれた黒い炎の矢をすいっと躱し、逆に踏み込んで肉薄。まずは一発目の殴打を、エイの補助付きで放ち……
「遅い」
「かはっ!?」
気が付いた時には、シンキガイは既に相慈の後ろに回り込み、その背を叩いて地へめり込ませていた。
相慈の口から血が零れる。
「この世界に顕現したばかりの我だ。それにも対抗できんのだ、力の差を思い知っただろう?」
「……まだです! 私も戦えますので!」
エイは相慈と自身の位置を入れ替え、至近距離からレーザーで不意打ちを狙う。
「フン、つまらん」
「今ですッ!」
「喰らえやッ!」
レーザーを片手で受け止め、さらに仕掛けた相慈の飛び蹴りも難なく躱すシンキガイ。すでに、エイは自身と相慈に強化・補助魔法を最大まで適用しているのに、だ。
「次は、こちらも仕掛けさせてもらおう。『審判を下す永久の永遠』」
パチン、とシンキガイが指を鳴らすと、周囲の影から液体のような歪な鎧が現れる。すべてを飲み込んでしまうような漆黒の鎧たちは、それぞれが剣や斧、弓などの武器を構える。
「この世の負の感情を我が兵と成す能力だ。『負永軍団』は一体だけでも我が七十二柱以上の力を誇る」
「チッ……!」
鎧が素早く相慈たちを取り囲んだ。最強の悪魔の最強の配下たちが、同時に二人へと襲い掛かる――!
* * *
――ボーン、ボーン、ボーン……
周囲一帯に振り子時計の規則正しい音が鳴り響く。
「くそッ!」
アガメムノンは悪魔へ剣の切っ先を向けながら、大きく悪態をつく。
彼の周囲には七十二柱の悪魔がいる。その数、四体。
先ほどの『時間の悪魔』ボロックボーン・バドゥはいまだ、数個の浅い傷が入っただけで何の問題も見受けられない。
そしてマントと鎧に身を包んだ、若い男のような姿の『勇者の悪魔』ヴォガイガ・AAAA・ドロデキシス。固有魔法『全てを護る為だけの剣』は優勢なら攻める力を、劣勢なら守る力を手にする。
体の一部が結晶化した妖艶な美女の姿を持つ『冬の悪魔』リリアスタル・メーザイル。固有魔法『あの日を封じた氷晶』は、指定した期間をかけて少しずつ生命力を奪っていく魔法。
そして最後に、次々に形を変化させていく黄金の液体金属、『世界の悪魔』オロノ。固有魔法『世壊』、この世界の根底に干渉し、ありとあらゆる操作を行う。
「この世界を在るべき元の姿へ戻すだけだよ、余計な傷は付けたくない。早く、どいてくれないか」
赤子に語り掛けるように、勇者の悪魔がアガメムノンへ話す。
「残念だが、退くわけにはいかない! こちらも意地があるんでね!」
「そうか……残念だけど、死んでもらおう」
振り下ろされた剣を見極め、必死に回避する。アガメムノンの剣が折れた。
なぜアガメムノンが四体もの悪魔と戦い、そして未だ生きているのか? それは彼の精神力が理由だった。
「凍りなさい」
「『燃焼』!」
放たれた圧倒的な冷気を炎によりほんの僅かに減衰させ、隙を見て効果範囲から飛びのく。
さらにオロノが『世壊』で世界改変を試みるも、剣の一閃で最低限だけ妨害する。
アガメムノンの剣、魔法の実力は並より上だ。だが、その程度に留まっている。エイのように上級悪魔を消し去れるほどの魔法も使えないし、先ほどの冒険者のような剣の実力もない。
取りえは多少回る頭と、強靭な精神力のみ。
「世界は言っているのさ! このアガメムノン・マイスサミカ、こんなところで死ぬべきではないとッ!」
その強靭な精神力で、常に極限の集中状態を維持し、圧倒的強者と渡り合うことを可能にしているのである。
「だが……どうするつもりだ……」時間の悪魔の唸るような声が響く。「この時空は我が魔法で切り出されている……救援など、来るはずがない……」
勇者と冬の苛烈な攻撃をぎりぎりでいなしつつ、アガメムノンは言葉を返した。
「ああ、ああ! 来ないだろうともッ! だから……ここは、このアガメムノン・マイスサミカの実力だけで切り抜けてやるッ!!」
「できるはずがないでしょう? 多少寿命が延びただけで調子に乗らないことね」
「できるとも! 人間に不可能はない! ……これは、人間の特権なのだよ! 冬の悪魔殿ッ!」
――バチンッ!
紫電がはじけた。
「な……え……?」
「なにか起きたようだな……! 何を隠そう、このアガメムノン・マイスサミカはこれを狙っていたのだよ」
「存在進化か……! だが、こちらもただの悪魔から存在進化を果たしているんだよ。ようやくこれで一対一では互角と言ったところかな」
存在進化。
それは、決して折れない意志、そして何者にも勝る強さを神に認められた者だけが得られる最上級の『祝福』とされている。存在進化した者は、種族という存在の根柢から変化して大幅に強化され、常人では到底太刀打ちできないような強さを手にする。
存在進化を果たした人間など、この世に数えるほどいないだろう。
「神人、超人、まあ何の種族になったかは分からないがね、あとで鑑定してもらえば済むだろう。ともかく、ここで重要なのはこのアガメムノン・マイスサミカが『神に認められた』という事だ」
「ハッ! そんな宗教の方便を信じているのかしら? その理屈で行けば、悪魔が存在進化なんてできるはずがないじゃない!」
「矛盾はないだろう。神が善の神だけだとどの宗教が語っているのかね?」
「う」
アガメムノン、過去最上級に冴えている。だが、この高揚感に任せてはならない。油断をすれば、失敗する。
「ともかく、正義は勝つとどの物語でも言われているものさ。つまり、この勝者はアガメムノン・マイスサミカに他ならない」
「……ならば、来るがいい……消し去ってくれよう……」
振り子時計のテンポが速くなった。
アガメムノンはそれを合図とみなし、折れた剣に魔力で刃を補完し、勇者の悪魔へと神速で斬りかかった――!
* * *
一方の相慈とエイは。
「スーパーシールド……」
「まだそんなものを。無駄な足掻きだ」
一方的に、ボッコボコにやられていた。
相慈の両腕、左足は骨折して使い物にならず、さらに体中に攻撃が突き刺さっておびただしい量の血が流れている。もうまともな戦闘は行えず、エイの防御に頼り切っている状況だった。
さらにそのエイも魔法の使い過ぎで魔力が底をつきかけており、命を削って強引に魔力を補填している状態だ。そう長くも持たない。
シンキガイ=モドソルズの『審判を下す永久の永遠』によって生成された闇の兵は倒してしまうことに成功したが、その後に待っていたシンキガイ本人との戦いは、到底まともにやりあえるものではなかったのだ。
「神というものも、この程度か?」
「よく知ってますね……。神の中でもとりわけ能力が低かったので、一般人の相手しかしないで済む転生神に割り当てられたのがこの私なもので」
「拍子抜けだ。たかが悪魔、などと以前の神々は言っていたが……ここまで落ちぶれたのか、それとも元からか?」
「さあ、知りませんね――がふっ」
エイが血を吐く。
それにより展開していたシールドにわずかな揺らぎが起き、シンキガイがあっさりとそれをぶち抜く。
「っ!」
エイはすんでのところで回避しようとするが、衝撃波により横へ吹っ飛ばされる。
「かはっ……『輝刃』っ!」
「効かん」
放った光の刃でコンマ一秒だけでも時間稼ぎをし、態勢を立て直す。
「まだまだ……ですよ!」
「ならばこちらもお遊びは終わらせてもらおうか。雑魚に付き合う暇はない」
「なっ――ぐうっ!?」
エイの首が見えない手に捕まれ、持ち上げられる。ギリギリと首が絞められた。
なけなしの魔法で酸素を生成し、窒息を少しだけ遅らせつつ頭を巡らせようとするも、疲労と低酸素で頭は働かなかった。
「相慈……さん……」
「…………え」
わずかに相慈の口が動いた。
「まだ生きていたか。……じきに死ぬだろうが、お前もとどめは――」
「――俺を、回復……しろ。エイ」
「!」
これは、『神伝想然+3』による『命令』だった。エイは否応なく体に残っている魔力を使い、相慈を回復させる。だがそれも微々たる効果。
「……もう休んでいい。俺がなんとかする――『神伝想然』」
次の瞬間、エイの意識は闇に沈む。
「……何をした? 介錯のつもりか?」
シンキガイはエイの首を掴んでいた手を消し、怪訝そうな目を相慈へ向ける。だが、相慈はといえば飄々としたものだ。
まだ満足に動かず、回復魔法でようやく肩程度だけ回せるようになった腕を持ち上げ、肩をすくめる。
「俺のなんか、固有魔法って言うんだったか? ソイツは、エイのコントロールだ。まあなんか範囲はあるそうだが……いけるだろ」
「無駄なことを」
「それしか言えねぇのかよ。――ガチャマシン、来い」
――ズゴゴゴゴゴゴッ!
地割れのような爆音を鳴らしながら、地面が裂け、相慈へ『神伝想然』を与えたスロットマシンが召喚される。そして意識を失っているエイは相慈の意思に従い、的確にメダルを投げてスロットマシンを動かした!
シンキガイが闇魔法でスロットマシンを破壊しにかかる。
「悪いが、それは壊れないらしい」
「なら貴様を一瞬で叩き潰してくれるッ!」
攻撃が効かなかったため対象を相慈へと変更し、一瞬で肉薄。拳が、彼の心臓へ迫る――その瞬間。
「俺は、神様にクソ好かれてんのかもな……」
「なッ!?」
相慈の腕が、シンキガイの拳を受け止めた。
「バカな……一体何が!?」
「このスロットマシンで当たったのはもちろん『神伝想然』だ。最大強化で『神伝想然+☆』まで進化したよ。だが完凸ってのは……クソ強いぜ――なんてったって、エイの本体とのステータス共有だからなッ!」
無尽蔵に溢れる魔力で以て一瞬で自身とエイの分身体の体力を回復させ、金色のオーラを纏い、シンキガイへ殴り掛かる。
「分身体ってやっぱ力が制限されるし、この世界に降りてくるときも体の制限で能力が下がるらしいんだよな。でも、俺はエイの能力をまるコピーだ。クソ強いぜ? これはよッ!」
「ぐぁッ!? がはっ、バカな……バカなッ!」
「舐めプとかせずに全力でやってりゃ良かったのにな。つくづく運が悪い悪魔のボスさんだ……ま、神々からすれば『たかが悪魔』という表現はピッタリ適切だったんだろうぜ。弱いって言ってたエイでも本体が動けば一瞬で死ぬもんな」
「くっ、『闇土隆起』!」
盛り上がってきた土の壁――動く跳び箱だと思えば難もない。
「『雷槍』ッ!」
雷の槍――キャッチボールの応用と、槍投げ。
「く、そッ――」
「間合いを詰められちゃあいかんぜ? 俺の得意技は――一本背負いだからなぁッ!!」
「がはぁッ!!」
シンキガイはまったくの予定外の出来事に、とっさに離脱行動をとる。
相慈の目の前から一瞬で消え去ったシンキガイだったが……神と等しい力を持つ彼の前では、もはや探索など呼吸に等しく行えるのだ。
戦闘のあった場所からはみっつ国を挟んだ場所に、全く同じ地点に同時に二人が出現する。
「逃げんなよー」
「なッ……! くっ……」
「人を撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだっていうしな。覚悟、できてるだろ?」
「ヒッ――」
シンキガイは最期に、自分の情けない悲鳴を聞いて、首を刎ねられた。ゴトリ、と重い胴と首が地へ落ちる。
そして、シンキガイの体は――ごうごう、と白い炎によって燃え上がり、一瞬で灰と化してしまうのだった。
「……!」
「やあ、やあ」
そして現れるひとりの少年。彼の両腕には、シンキガイを燃やしたのと同じ純白の炎が燃え盛り、まとわりついている。
黒髪黒目、相慈の持ち物と同じようなジャケットを羽織った少年。
「お前――!」
「相慈、久しぶりだね。といってもそっちにとっちゃそう経ってないかな?」
その少年は、相慈のかわりに撥ねられた、最高の親友である秋月ミントだった――。
「秋月……なんで、ここに」
「待った! 彼は『異常』の影響で変質してしまっています! ぜーぜー」
さらに、奥からわざとらしい息切れのエイが駆け寄ってくる。
「エイ……エイか?」
「おお! この私のフンイキの違いに気づきますか! さすがは私が選んだパートナーです、とそれよりも秋月さんですね」
エイがいつもより少し早口でしゃべる。見た目はまったく同じなのだがどこか違う……と、相慈は言い表しようのない違和感を感じていたが、このエイ本人もそれを隠すつもりはないようだ。とりあえずは目の前の課題に集中しておく。
「秋月」
「なんでここにって? 俺さ、なんか撥ねられてからなんでか転生したんだよね。……でも種族的には上級悪魔らしいし? さっき言われた通りこの世界の異常のせいで魂が歪んだとかなんとか……困ったものだよねぇ」
「……ひとつ聞いておきたい。お前は、俺の敵か?」
その質問に、秋月は懐かしそうな表情を浮かべる。
「そうだねぇ。相慈って割と未練なくいろいろバッサリ断てるタイプだしなぁ。単刀直入に言うと、たぶんそうじゃないかっていうのが所感」
「そうか」
「なんか、ちょくちょく俺に誰かが話しかけてくるんだよね、幻聴みたいな。ソイツの言う事にいろいろ従って動いてるのが現状だけど、今回はシンキガイとも協力関係を結んでたし、結局倒されたけどね。まだ、相慈と敵対しろと明言はされていないよ」
「お前は俺と敵対しろって言われても、従うつもりなんだな?」
「この体が拒ませてくれないんだよ。仕方ないだろ? スマホは電源ボタンを押されたら否応なく画面が付くのと同じさ、そこにスマホの意思なんて介在しない。あるか知らないけど。……でも、相慈と会えてうれしいよ。いろいろあって、俺はこっちに来てから何十年……百年くらいなってるかね。そのくらい経ってるしさ。知り合いが見れてひとつ安心だ」
そして、秋月の足元にぽわ……と白い魔法陣が浮かび上がる。どうやら攻撃するものではないようだ。
「俺の今できる範囲で、祝福を送るよ。敵同士になるとしても、相慈には元気でいてもらいたいものだね……それじゃあまた、いつか」
魔法陣が消えると同時に秋月の姿もかき消え、かわりに相慈の体へ温かい魔力が流れ込んでくる。
「祝福……?」
「本来なら神が授けるものなんですが……秋月さんが扱えるのは驚きです。でも、悪いものではないようなのでご安心を! それじゃあ、戻りましょうか。だいぶ離れてしまいましたし、壊された街をもとに戻してほしいので!」
「おう。……俺がやるのか? なんか面倒そうなんだが」
「私の力を借りパクできるんですよ、力には責任が付きまといますからね! というわけで丸投げで~す」
「……」
雰囲気が若干変わっても、エイはエイのようだ。
* * *
数日後。
「祝賀会を開こうではないか!」
「うわー!? 相慈さんまだ寝てますって!」
「うーん……うるせー……」
相慈と元に戻ったエイ――どうやらあの時は分身体ではなくエイの本体の意思が憑依していたようだ――のいるホテルの部屋に、アガメムノンが突撃してきた。早朝五時のことである。
「て、てかどうやってこの部屋を……? あ、どうぞ……」
組み立てていたトランプタワーをすんでのところで補強したエイが、震える声で質問を投げる。
「うん? 街を歩いている方に尋ねたらここの部屋番号まで教えてくれたが」
「その人の見た目は……?」
「赤と黒と白の縞模様の服を上下着た中年の男――」
「ウワァアアア私に付き合ってくださいとか言ってたストーカーだ! なんでここの場所まで!? 天罰、天罰を下さねば……!?」
「す、すまない……?」
一通り発狂してから、起きた相慈が差し出した砂糖水を飲み干し、エイはふぅ、と大きく息をつく。
「そういえば、アガメムノンさん、進化したそうじゃないですか」
「その通り、このアガメムノン・マイスサミカ……え? なぜそれをどこで聞いたのだ!? ネストラ君にしか話していないはずだが……!?」
「ふっふん、ゴッドパワーです! それより、はい、祝賀会行きましょ! おすすめのバーがあるんですよ!」
……という感じで相慈一行はエイのおすすめのバーへ足を運んだ。
「こんにちはー」
「失礼する」
「よう」
そこは大通りからだいぶ外れた、細くて寂しげな通りにある、小さなバーだった。やっているのかどうかすら分からないのだが、中に入ってみるとそこそこ賑わっている。
「空間拡張がされているのか?」
「ちょっと違うんですよ、それが! あ、マスターさん、おまかせを三杯」
カウンターは長いので少し離れた場所にいるが、マスターと呼ばれたクールな青年は、エイの注文に無言でうなずく。
「ていうか俺、酒飲んでいいのか?」
「大丈夫ですよ。マスターさんのお酒選びはカンペキなんです! なんでも固有魔法でピッタリなカクテルを見抜き、ブレンドと効果付与ができちゃうそうで」
「へぇ。なんか、いいのかと聞いてるんだが」
少しするとマスターは酒のグラスを十匹くらいいる黒いぽよぽよボールに乗せた。すると、こちらへそのぽよぽよボールがスライドしてくる。
「ん? あれ、何か見たことあるような……」
「奇遇だな、このアガメムノン・マイスサミカも既視感を覚える」
「うーん、スライムの悪魔?」
「きゅぴっ!?」
どうやら図星だったようだ。
事情の説明を、アルバイトの少女がしてくれる。
「どこかの誰かさんに消されたスライムの悪魔だけど、あらかじめ分体を残していたみたいで。十匹だけ残ったけど、それを私が拾ってきた」
「あーなるほど。かわいいです」
エイがぷにぷにぽよぽよとスライムの悪魔をつつく。グラスを置き終わったので逃げようとしていたのだが望みは叶わず、非常に悲しそうな雰囲気を出している。
なにか魔法でもかけられたのか、かなりキラキラした光属性を纏っており、悪魔の穢れとかそういうものは無くなっているらしい。
「きゅいい……」
「一匹持って帰っていいか?」
「駄目に決まっているでしょ。買うならいいけど、金はいくらあるの」
「ツケで頼む」
「駄目」
そんな会話を聞いて、既にカクテルを飲んでいたエイが笑顔になる。
「一匹買っちゃいましょうか! とりあえず手持ちに金貨が百枚あります」
「ふむ、それだけあれば十分ね」
「きゃぴゅ!? きゅう! きゅ~~~~!」
「なに、どうしたの、そんなに嫌なの」
「きゅう! きゅっ! きゅー!」
エイたちはよほどスライムの悪魔に怖がられてしまっているようだ。まあホーリーライトで消し去ったので当然と言えば当然だが。
「ところで、この街から離れるなら早く離れた方がいいと進言しておこうか。祝賀会でそんなこと言うのもなんだが」
「そもそもこれ祝賀会なのかよ。で、なんか理由があるんだろ?」
こくん、と頷いたアガメムノンは周囲を確かめてから顔を寄せる。空気を読んだアルバイトは他の場所へ向かった。
「今、悪魔を倒して街を修復までした少年と少女の目撃証言をもとに、我々の上が似顔絵を作っているのだ。なんでも教皇から、可能なら爵位をという話になったようなのだよ」
「「げっ」」
爵位なんて欲しくないというのがふたりの正直な感想である。
かたやこれまで自由フリーダムな生活をしてきた日本の高校生であり、かたやこの神聖国においての信仰対象である。特に後者は神が信者に平伏するとかいう意味の分からない図が生まれる羽目になるので、エイはすごく嫌そうだ。
それに、どうせのんびり活動するのであれば爵位などで一国に縛られず、冒険者のようにひょうひょうと過ごしていた方がいい。
「逃げるぞ。帰ったら荷物をなんかまとめないと」
「かしこまりです」
「ああ。一応感謝状はここで渡しておいても構わないか?」
「もらっておくぜ……ハァ」
面倒なことになった、と相慈、エイ、アガメムノンはそれぞれで頭を抱えるのだった……。
~質問コーナー~
Q. 秋月は口調がガラッと変わっているけど、何があったの? ミス?
A. 秋月の口調が最初のシーンと最後のシーンで大きく変化していますが、これは彼が歪みその他エーシーイーの影響を受けて不安定になっており、もともとのお調子者・演技上手な性格が一部激しくなっているためです。演技上手が暴走していて、自分でも気づかないうちに別の人間になりきっているようなカンジ。
Q. ファンタジー世界に警察ってなんか違和感あるくねぇですか?
A. 許してください。そういう、同じものを指すいくつもの名前を決めてしまうと僕がこんがらがってしまうので。
Q. ウィルバードって誰?
A. 『魔勇者』と呼ばれていた過去の勇者です。現在は『魔勇者』とかいう、ミックステープ楽団の先生(楽器を教えたり管理したりするスタッフ的立場)に就いています。ワトソンくんの友達。そのうち出てくるかも。
Q. ネストラは無事?
A. 無事です。振り子時計はあの後アガメムノンに木っ端みじんに粉砕され、引きずり込まれた人は全員救出です。なお冬は威力が爆上がりした爆炎に焼かれて死亡、世界は大きなダメージを負ってスリープ状態に入り停止しました。唯一離脱できたのが勇者ですが、重大な傷を負ったのでしばらくは行動できないはず。
ネストラ「悪魔も人間と共生すればいいのになぁ……」
相慈「なんか警察がロボみたいになってるぞ!」
エイ「写真を切り抜いてコラ画像を作ってしまいましょう!」
冬の悪魔「お可愛いこと」
アガメムノン「……何をやっているのだ……」