いぶし銀のポスター
鉄筆、計算尺、筆洗バケツ、万年筆のインク。
商店街の開業と時を同じくして祖母が開いた文具店には、時代に取り残されつつある品々が並んでいた。
積もったほこりを払い、メーカーに送り返せるものは箱に詰めて配達をお願いし、使えなくなった物はもったいないけど処分した。
週末ごとに訪れては、時折すっかり耳が遠くなった祖母に指示を仰ぎつつ、半年かかってようやくおしまいまでの目処が立ってきた。
「あたしが若い頃は、お昼過ぎになると、近くにあった小学校から、ランドセルを背負ったわんぱく坊やたちがわーっとやってきてね。それはそれは、にぎやかだったんだよ」
クッキー缶からセピアにあせた写真が出てくると、一枚一枚に夏祭りのおみこし行列やら歳末の福引大会やらでてんやわんやしてる様子が収められており、シャッター通りになっている今とは隔世の感がある。
ほぼほぼ敬老会となっている商店会も、半世紀前は十代二十代が中心で、連日にわたって更なる振興に向けての議論が重ねられたそうな。
わたしが生まれるよりはるか昔の話を聞きつつ、倉庫代わりになっている居間の整理をしていると、押し入れ上の天袋から古新聞で挟まれた画用紙の束が出てきた。
「おばあちゃん、この絵は?」
「どれどれ……ああ、これはクレヨン展だね。秋になると、写生大会で一番二番になった絵を、そこのガラス戸に貼って飾ってたんだよ」
「描いた子には返さなかったの?」
「取りに来た子には渡してたんだけど、絵が上手な子って、いっとう恥ずかしがりだからねえ」
出てきたクレヨン画は全部で十七枚。
表面に描かれているのは、コスモスだったり、川沿いの鉄橋だったり、近所の神社だったりで、対象物をよくよく見ながらクレヨンを走らせたのが伝わってくる力作ばかり。
裏面には赤茶けたインクの金賞・青黒いインクの銀賞というスタンプとともに、年月日付印、氏名、学年組、そして住所まで書いてあった。
いずれも昭和五十年代なので、おおよそ両親と同じくらいの世代になる。
この頃は、ずいぶん個人情報の扱いがおおらかだったんだな。
「この絵は、どうする?」
「そうだねえ……描いた子に届けてやりたいけど、所帯を持ったり、遠くへ行ったりしてるだろうから、やすやすとはいかないだろうねえ」
残念そうな祖母の表情を見ていると、わたしも本人の手元に戻してあげたくなってきた。
そこでわたしは、一枚ずつ表向きにイーゼルの上へ固定してはスマホで撮り、インターネットの力を借りることにした。
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昭和五十年代に○○県○○市の写生大会で金賞または銀賞を受賞した人をさがしています。
現存している作品につきましては、コチラの画像をご参照くださいませ。
お心当たりのある方、作品の返却をご希望される方は、下記の電話番号までご一報くださると幸いです。
○○文具店、電話○○○ー○○○ー○○○○
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最初の三か月は、なしのつぶて。
季節も変わり、そろそろ掲載記事を下げようかと思っていた矢先、三日続けて問い合わせがかかってきた。
その後も五日と開けずに電話があり、あっという間に残り銀賞一枚となった。
この調子なら大掃除までに片付くかと期待していたが、そこからぱったり連絡が来なくなった。
「ねえ、おばあちゃん。この人のこと、知ってる?」
「よく見せてごらん。ああ、○○ちゃん……かわいそうな子だよ、この子は」
「何かあったの?」
「駅前にあった町工場の裏手に住んでた子でねえ。大人しくていい子だったんだけど、中学に上がったぐらいの時だったか、工場で火事が起きてね。もらい火でアパートが焼け落ちて、工場長をしてたお父さんもなくして、お母さんの実家の方へ引っ越したはずだよ。それからのことは知らないねえ……どこでどうしていることやら」
春の縁側でする話題ではないと思い、その場では深掘りしなかったが、わたしは後日、図書館のアーカイブで当時の地方紙などを閲覧して手掛かりを探してみることにした。
ベテランの司書さんにも協力してもらい、何度も足を運んでは活字を追ってを繰り返していると、気になる記事を発見した。
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記者:――続いて、安定した銀行勤めをやめてアーティストに転身したキッカケを教えてください
ゲスト:小学生の頃に地元のクレヨン展で銀賞をいただいたことを思い出しまして、ン十年ぶりにクレヨンを握ってみましたら、童心に帰ったような気持ちになりましてね。こんなに楽しいことだったんだと、再確認した次第です。母も見送りましたし、これからは自分の好きなことをして生きて行こうと心に決めたんです。
記者:なるほど。銀賞の絵は、今もお持ちなのでしょうか?
ゲスト:いいえ、残念ながら手元には残ってないんです。市の表彰を受けたあとは商店街に飾られて、何度も受け取りに伺おうと思ったんですけど、同級生の目が気になって……ほら、わたしって奥手でしょう?
記者:奥ゆかしくてよろしいかと。さて、――
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これは、ひょっとして当たりかな。
該当ページをコピーしてもらい、雑誌に載っていた連絡先をメモし、さっそく祖母に報告した。
しげしげと虫メガネで近影を見つめる祖母から面影アリとのお墨付きをいただき、わたしもひと安心。
しかし、ひとつ気がかりなのは、この記事が出たのが三年前だということ。
ダメ元で写真を添付したメールを送ってみると、海外在住につき日本に一時帰国した際に伺いますとの返事がかえって来た。
ただ、マネージャーが代筆したとおぼしき事務的な文書だったので、あまり乗り気でないのかもしれない。
まあ、描いた人が確定できただけでも良しとしよう。
「いやあ、すっきりしたわ。お店もきれいになったし、家の方も片付いて。ほんとにありがとね」
銀賞の絵の件を除いて、文具店はあらかた片付き、ついでに台所や内風呂の掃除なんかも済ませて、住まいやすくなった家に祖母も満足しているようだった。
在庫の山に埋もれていた足踏みミシンが使えるようになったことで、ホームソーイングの楽しみもでき、こころなしか祖母の表情も明るくなったようにみえる。
針の糸通しを手伝うついでに、わたしも体型を強調しないAラインのワンピースや、顔が小さく見えるカラーの大きなブラウスを作ってもらっちゃった。
お昼が済んだら国道沿いに新しく出来た手芸店を行ってみようか、なんて他愛無い話をしていると、電話がかかってきた。
「――わかりました。駅の方までお持ちしますので、……テラス席? ああ、○○ベーカリーのカフェですね。では、のちほど」
「誰からだい?」
「○○さん。銀賞の絵を受け取りにきたから、駅まで持って行ってくるね」
「そう。ねえ、あたしもおともしていいかしら?」
「もちろん、いいよ。おばあちゃんも一緒に行こう」
カフェに着くとすぐ、いかにもアーティストらしい芸術的なスーツケースが目に入った。
わたしたち二人の姿を認めるやいなや、すぐに立ち上がって駆け寄って来られたので、本当は心待ちにしていたのかもしれない。
小一時間ほどお茶した後、画用紙を入れた袋を大事に抱えた彼女を改札まで見送り、わたしと祖母は手芸店へと向かうことにした。
「いいお嬢さんだったから、ずっと気になってたのよ。元気そうでよかったわ。昔のことを無かったことにするんじゃなくて、ちゃんと向き合った上で再出発するなんて、なかなか出来ないわよ」
「そうね、おばあちゃん」
彼女の絵に描かれていたのは、在りし日の町工場の外観と、看板の横で仲良く作業着を着て立つ夫妻の姿。
茶色や灰色が多く使われていて決して派手な絵ではないが、家業への誇りが伝わってくる一枚だった。
「お店を畳んじゃったこと、すごく残念がってたね」
「そうねえ。でも、お客さんたちの思い出の中には、いつまでもきれいな形で残ってるでしょうから、それで良いの」
「そういうものかな?」
「そういうものよ。あんたもこんなおばあさんの面倒ばっか看に来ないで、いい人つかまえて来なさい」
「もう、おばあちゃんったら」
時代も変われば、街も、人も、価値観も変わってくる。
それでも、どこかに変わらないものがあって、それは、とても大事なもののような気がする。
それが何かは、きっと、もっと大人になったらわかるんだろうな。