3 プーセ離宮
高速で地上へ向かう二人の目に、広い敷地を持つ屋敷が見えてきた。どうやらこれがプーセ離宮らしい。マザーダリアン号が停まっているところからは雲に隠されて見えなかったのに、こんなにぴたりと上空に停められるのはリジェくらいだろう。
庶民の二人は広すぎてどこが玄関か分からなかったので、一番大きな建物の入り口付近にふわりと降り立った。
「く、曲者―!!」
降り立った途端、武装した衛兵に囲まれた。当たり前である。
「なんだこいつら、やんのか?」
目をぎらりとさせる短気なリンクをまあまあ、となだめつつ、ハトバは声を張り上げた。
「運送屋のザンベラでーす!ナターリア王女様にサシトラの朝摘み花をお届けに参りました。お目通り願います!」
すると衛兵のうちの一人が心得顔で走っていき、数分後に玄関の扉が開いて上品な老紳士が現れた。
「どうも、風の民のお方ですかな?」
「はい、運送屋のザンベラです。お届けに参りました」
「商品を検めさせていただいても?」
そう言われたので、リンクは箱から花を出し、老紳士に見せた。
老紳士は思わず、といった様子で目を丸くした。
「確かに、これはジオーランですね。サシトラの砂漠の中のオアシスにしか咲かず、一度摘めば夕刻には枯れてしまう。お見それしました」
「これはナターリア王女に直接渡すって依頼だから、会わせてもらってもいい?」
「はいはい、ではこちらに」
そう言って、老紳士によりリンクとハトバは家の中へ招かれ、応接間に通された。
そもそも庶民で、しかも最下層の生活をしてきた彼らには、見たこともないような煌びやかな内装に豪奢な調度品で、芸術品のようなソファに座ってよいものか、目を白黒させながら座り、王女を待った。
しばらくして、がちゃりと扉が開いたかと思うと、王女…ではなく、若い男が入ってきた。
誰だこいつ…と怪訝な顔をして男を見ると、男は妙に尊大な態度で二人を見下ろし、こう言った。
「お前たち、なかなか良い乗り物を持っているようではないか。さっき窓から飛んでくる様子を見ていたが、あれは素晴らしいものだった。私にあの乗り物を献上する名誉を与えよう」
リンクとハトバは、こいつは何を言っているんだ…と思いつつ顔を見合わせた。今まで身分の高い人が身分の低い人に接する様子すら見たことがなかったので、この人は馬鹿なのだろうか、と思ったのである。
「ゆすり…?」
「それにしても遠回りすぎてわかんね」
ゆすり扱いされた男は笑顔のまま固まった。今まで自分がこう言えば、欲しいものが恭しく差し出されていたので、こんな反応を返されるとは思わなかったのだ。
「無礼な!この私が、直々にお前たちの持ち物を気に入って、所望しておるのだ。名誉であろうが!私は第二皇子ぞ?」
「…そう言われても、俺たちルドラシア人じゃねえし、王様の家族構成とか知らねえし」
リンクとハトバはシルバルク国出身のシルバルク人で、しかも下層階級なので、シルバルクの王族の名前もよく知らないくらいである。ましてや、他国の皇族の名前など知るわけもない。
「…無礼者め!」
男の頬にさっと朱がさしたところで、コンコン、とノックの音が聞こえ、先ほどの老紳士に伴われて上品な少女が現れた。どうやら彼女がナターリア姫のようだ。
「お待たせいたしました…って、ダビデお兄様、何をなさっているのですか?この方々はわたくしのお客人ですよ?」
怪訝そうなナターリアに対し、ダビデと呼ばれた自称第二皇子の男は
「こんな無礼な下賤の民の、何が客人か。皇家の品位を落とすでないぞ、エリナ」
愛称なのか、エリナとよばれたナターリアは首を傾げ、それからころころと笑った。
「あらお兄様ったら。彼らは下賤の民ではなくて風の民だわ。帝国に忠誠を誓っている我々の臣下とは違うのですから、そのように無茶を仰らないで」
ナターリアの一言に、ダビデはリンクとハトバを一睨みすると、足音を立てながら部屋を出ていった。
「従兄が失礼をしました。遠いところを、お届け下さってありがとう」
ナターリアが柔らかく微笑み礼をするので、リンクとハトバも慌てて立ち上がって礼をした。
「いえいえ、こちらこそ、ご依頼ありがとうございます。育ちが悪いもんで、貴人様の挨拶はわからねえんで、気楽にしてもらえるとありがたいですねー」
「構わないわ」
ナターリアは鷹揚に頷く。
「じゃあ早速なんですけど、これがご依頼の商品です」
リンクが箱から再び切り花を取り出す。
「わー!本物のジオーランだわ!きれいねえ。あら、他にもお花があるの?」
「ああ、王女様に献上するって言ったらね、花屋が、すぐ枯れちまう花だけじゃ寂しいからサシトラ名産の花を紹介したいってんで、いくつかサービスでつけてたんですよ。だからお代は送料とジオーランの分だけで結構ですよ」
「あら、そうなの?お花屋さんに悪いことしちゃったわ。もっといろいろ注文すればよかったわね」
「その分、今後も花屋と運送屋ザンベラを贔屓にしてくださいね」
申し訳なさそうな王女に、ハトバが人畜無害そうな営業スマイルですかさず売り込む。
「ええ、そうね。そうさせていただくわ」
ナターリアは花の綻ぶような微笑みで答えた。
王女への売り込みが成功し、では引き上げようかとしたとき、外から男の野太い声が聞こえた。
「ぎゃあああああ!!」
驚いて窓から外を見ると、先ほどの男―――ダビデが宙をぐるぐると舞っていた。竜巻に巻き込まれたかのような動きだが、よく見ればリンクの乗ってきたツバサを装着している。
「あの野郎!俺のツバサじゃねえか!作ってもらったばっかりだってのに壊しやがったら許さねえからな!」
そう言いながら、リンクは駆け出した。ツバサは二台とも、家の玄関で使用人に預けておいたのだが、その上で盗むなんて、この家のセキュリティはどうなっているのだ。
玄関にはツバサを預けた使用人がいたので、リンクは頭にカッと血が上って怒鳴る。
「…てめえ!客のものを勝手に引き渡すたぁ、いい度胸してんじゃねえか!この家は家ぐるみで泥棒なんか!?ああ!?」
下町の不良の怒声など浴びたことのない育ちの良い使用人は顔を真っ青にして頭を下げる。
「お客様、申し訳ありません!!ダビデ様が、それは自分に献上されたものだと、おっしゃったものですから…!」
あいつ性根が腐ってやがる、とリンクは舌打ちすると、後ろから走ってきているハトバに声をかける。
「ハトバ!お前のツバサをちょっと借りるから、状況に合わせて頼むぞ!」
「はいはーい」
流石、物心ついた頃からの相棒。傍から聞いていると何の話か一切分からないが、何かを理解したらしく気軽に答える。
リンクはツバサに跨り、ふわりと浮いたかと思うと急加速して、ダビデを追いかけた。
ツバサを御しきれないダビデは、振り回されるような不規則な動きをしているが、リンクもそれに合わせて不規則な動きをしながら、ダビデの横にぴたりと付く。
「わああああああ!!わっ、私を助けに来たのか!?早くしろ!早く助けろ無礼者!」
それを聞いてリンクはすうっと半眼になると、デビドの首根っこをつかんでハトバのいる方向へ操作し始めた。
「ハトバ!いくぞ!」
「あいよー!」
二つのツバサを低空飛行させてハトバのいるあたりまで行く。ハトバは心得た様子でリンクのツバサに飛び乗った。
ハトバが乗ってきたので、リンクはダビデの乗っているツバサに移ると、ダビデに声をかける。
「おい、お前、操縦バーから手を離せ。俺が運転するから」
「ひいっ!」
ダビデは何かに掴まっていたいのか、操縦バーから手を離そうとしない。しかしこのままダビデが操縦バーを握っていれば、ツバサを正常に運転できない。
「畜生、鬱陶しいな」
リンクは舌打ちすると、ダビデを思いっきり殴って気絶させた。意識のなくなったダビデがツバサから落ちたが、低空飛行していたので大したけがはなかろう。
そうして無事主導権を取り戻し、ハトバのいるあたりで着陸した。
ちなみに、一人で二つのツバサを操ったり、ツバサから別のツバサに飛び移ったり、二人乗りをしたり、といったことは、普通はできない。リンクの運動神経が異常にいいのでなんとなくできてしまっただけである。
二人のいるところに、ナターリアと老紳士が焦った様子で駆けてくる。
「…お怪我はありませんか!?乗り物に破損はございませんでしょうか!?」
慌てた様子のナターリアは息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。走りなれていないのだろう、大した距離を走ったわけでもないのに死にそうな顔をしている。
「…大丈夫だけど、何なのこの家?王様の別荘だと思ってたのに泥棒がいるわけ?」
答えるリンクは不機嫌である。せっかく作ってもらったばかりの自分専用のツバサに人が乗った上、制御しきれずに壊れそうになっていたのだから、不愉快に思うのも無理もない。
「…申し訳ございません。あの従兄は皇帝陛下の次男でして、皇位継承権第二位の権力者なのです。家の者も、逆らいきれなかったのでしょう」
すまなそうに、畏まった口調でナターリアは言う。ハトバと同い年の彼女は現在十七歳のはずで、対するダビデはどう見ても二十代半ば。ナターリアに彼を監督する責があろうはずがない。彼女を責めるのは筋違いというものだ。
「あなたが悪いわけじゃないから、謝らなくていいよ。しかしあの野郎腹立つな」
横目に見ると、ダビデは屋敷の衛兵に救護されているところだった。
「本当にごめんなさい。依頼料よりも多めに払わせていただくから、これからも使わせていただけると嬉しいわ」
「いいの?やったー」
空気を読んだハトバは呑気そうな声で無邪気に笑う。
「でもさ、あの人、いっつもここにいるの?だったら毎回こういうことになりそうで怖いんだけど」
ナターリアは首を横に振る。
「いいえ、彼はいつもここにいるわけではないわ。今は夏の休暇で避暑に来ているの」
「王女様はいつもここにいるの?」
「ええ、私は体があまり強くないものだから、今は主に田舎で静養生活なのよ」
「そうなんだー。あの人がいないならまた来るよ!可愛い王女様にも会いたいしねー」
そんなことを言いながらハトバはにこりと笑う。ハトバはいつもこんな感じで息を吸うように女性を口説くので、そんな彼のことを昔の仲間は「天然女たらし」と呼んでいた。
そうしていったん屋敷に戻り、色を付けた依頼料を貰ってから、彼らは離宮を後にしたのだった。