1 空翔ぶ兄弟の成り立ち
あまり知られていないことだが、実は空にも島があるのだ。
空の島は浮石と呼ばれる鉱石の上にできた島である。浮石が何なのかはあまりわかっていないのだが、とにもかくにも浮石はある法則を満たせば浮かぶようにできており、その浮石の操ることに長けた者たちが、何百年もかけて島を空に浮かばせた。彼らのことを「空の民」という。今でも、飛行機や飛行艇の類は浮石を使って浮かせているのだが、その使い方に関して空の民の右に出る民族はいない。当然のことながら地上の民は空の民に教えを乞うが、空の民はその技術を秘匿し、易々と教えてはくれないのだった。
空の民は明るく社交的で、赤紫色の髪に紫がかった茶色の瞳と浅黒い肌色が特徴である。世界中の空のどこかを漂う、いくつかの空の島は、意外と長い歴史を持ち、古いものだと五百年前の文献にも見られる。飛行機乗りの宿場町であり、運送業の要でもある。島はどこの国にも属さず、独自の言語を使うが、住民はどこの国の言葉も堪能に話す。島には通貨がなく、物々交換が基本なので、島を利用する飛行機乗りたちは、毎年決められたものを島に納めている。
そんな空の島の一つ、レイハン島には、エリート公務員を養成する学校がある。その学校には、各空の島の選りすぐりの優秀な人材が集まり、空の島を運営するノウハウを学んでいる。ハード面では、島のメンテナンスを担当する機械科、公衆衛生を担当する環境科、島の運転を担当する気象科があり、ソフト面では、行政を担当する政務科、司法を担当する法務科、流通を担当する経済科がある。学校で学んだ学生たちは、修了後各々の島に帰り、島のために働く。
小さな孤島であるがゆえに、空の島は完結したエコシステムを持つ。どの島も上下水道が完備されており、ごみは極力リサイクルされるが、どうしても出るごみは島の中央に集積され、海上で投棄される。そのシステムを学ぶのが環境科である。
また、島は常に水不足なので、雨雲を追いかけて動く。その気象を読む勉強をするのが気象科である。
そして、地上の人々が最もほしがる知識である、浮石の操り方とメンテナンスを教えるのが機械科である。
どれも町役人になるには必須の知識・技術であるので、空中の島から役人志望の若者が集まり、学び、巣立っていくのである。
レイハン島の娘、ダリアは、機械科・環境科・天候科の学生が通うキャンパスの寮で寮母をしていた。もともと近所の旅館の娘で家業を手伝っていたのだが、人手不足の学生寮から要請があり、十六歳のときに就職したのである。
寮母の中でも若くて可愛らしいダリアは学生によく口説かれていて、十八のときに出会ったユリウスという機械科の学生と恋に落ちた。ユリウスが卒業して自分の島に帰ったあと妊娠が発覚し、男の子を出産した。
帰島して一年後にダリアに会いにきたユリウスは、そこで初めて自分が父親になっていたことを知り、ダリアと結婚しようと心に決めるが、島違いの男女が一緒になるのはなかなか難しく、暫く定期的にユリウスが通う形の通い婚状態となった。ダリアの方も、すぐに一緒に住むのは難しいことが分かっていたので、息子に兄弟が欲しいとユリウスに相談し、年子でもう一子設けた。
こうして、レイハン公務員学校の寮には、リジェウスとセリメニアウスという兄弟が住むようになったのだった。
というわけで、リジェとセリの兄弟はエリート養成学校の寮で育った。父親がエリートであるせいなのか、二人は無駄に優秀だった。教えたわけでもないのに、門前の小僧のように学校での教えをこっそりマスターしてしまったのである。リジェが環境科と気象科の知識を習得する一方で、セリは機械科の技術をマスターしたうえ、自分で改造ができるほどの逸材に育ってしまった。こっそりと。
通常、この学校に入学するのは十八歳以上の成年であるが、彼らは十二、三歳のころには大体のことが分かり、できるようになっていた。
二人は島の浮石を使って小さなボートを作り、レイハン島の周りを漂う大きめの浮石のところまで飛んで行って改造を施すようになった。そして二人がそれぞれ十五歳と十四歳になるころには、二十人程度住むことが可能な飛行艇が完成していた。二人はこの船を、母の名前から「マザーダリアン号」と名付けた。
そのころ、ようやく父と母の結婚が成立することとなった。父は三か月に一度はレイハンに来ていて、島違いの遠距離カップルに必要な結婚の要件は満たしていたものの、エリートなうえ元の島では有力者の息子だった父に、なかなか島の人が婚姻の許可を下ろさなかったらしい。父の島が閉鎖的だったというのも大きな原因である。あまりにも時間がかかるので、二人は別れていた期間もあったし、他の人との結婚を考えていた期間もあったくらいである。しかし結局元の鞘に戻った後は話が早かった。島違いの男女の結婚に間が開くのは珍しくないものの、中でも遠距離状態が長いカップルであった。
というわけで、母はレイハンを離れて父のもとへ行くことになった。この頃、父も出身の島を離れて地上に暮らすことが決定していたのだった。リジェとセリは成年ではないもののいい年になっていたので、この際親から独立することにした。父母にだけ自分たちで作った「マザーダリアン号」を紹介し、これを使って空を旅しつつ、運送の仕事をしようと思う、と打ち明けた。
父母は息子たちの天才っぷりに驚きつつも、空の民らしく、息子たちの自由と独立を認めた。ただし、運送業に関しては、心配なので最初は目の届く範囲でやってくれと言い、父母の伝手を最初の顧客として、二人は仕事を始めたのであった。
そんなわけで、船出したリジェとセリは気ままにぷかぷかと旅をしていた。
リジェは船の舳先に立って、宝石のようにきらきらした瞳で行く末を眺め、セリは甲板で新しい小型舟を作っていた。二人は似たような顔をしているが、見た目から受ける印象のまったく異なる兄弟だった。
二人ともなんとなく母親似の顔だちではあるものの、快活で社交的なリジェは、伸びた背筋やまっすぐな視線、爽やかな笑顔によって、相手に好ましい印象を与えるのに対して、職人気質で内向的なセリは、どこか影のある印象を与えるのだった。
そんな対照的な二人だが、幼いころから興味の対象が「外の世界を見てみたい」「もっとすごい船を作りたい」と共通していたため、喧嘩することもなく仲の良い兄弟であった。
「できた」
セリが珍しく嬉しそうな、はしゃいでいるような声を上げたので、リジェは弟のほうへ寄る。セリが島を出たときから丹精込めて作っていた、一人乗りの舟が完成したらしい。
「それで完成なんだ。軽くて速そうだけど、バランスとるの難しそうだな」
新しい舟は、座席のない斜めのバイクと形容したらいいのか、そのような形をしていた。
「最初は立った姿勢で、だんだんレバーを倒して寝転ぶ姿勢になるようにしてみた。ちょっと飛んでくる」
そう言って、セリはマスク付きゴーグルと耳あての付いた帽子を装着し、外套を着てボタンをしっかり閉めると、舟に乗ってふわりと浮き上がり、そのまま勢いよくマザーダリアン号から出ていった。
「はやー」
思わずリジェも目を丸くする。今まで使っていた自転車っぽい小型船はと比べ物にならないスピードなのは初見で分かった。
試運転を終えたセリは、戻ってくると、ちょっと息切れしながら、「リジェも乗ってみてよ」と兄に舟を渡した。
リジェは目を輝かせて早速舟に乗ってみたが、速い上風の抵抗をもろに受けるのでとても御しがたく、うっかり墜落しそうになった。
戻ってきてリジェは言った。
「これ、難しいわ…。結構練習しないと危ないかもね」
「そうだよね」
そう言うということは、セリも落下しかけたのだろう。そんな乗り物だと分かっていながら兄に試運転をさせるとは、鬼畜な弟である。
「でも飛んでるとき、自分に翼が生えたみたいで楽しかったよ」
「だよね。じゃあ、この舟は『ツバサ』って名前にしよう。リジェの分も作ってあげるね」
そう言ってセリは微笑んだ。基本的に無表情な奴なので、よっぽどツバサの完成がうれしかったようである。
その後、セリが二人分のツバサを完成させたので、彼らは他の追随を許さないほどの機動力を誇る運送屋となった。
基本的に、地上の父母のところから依頼を受けるが、どんなに遠く離れた場所へもマザーダリアン号は高速で移動し、目的地に近づいたらツバサでさらに高速でお届けするので、とても配達が速いと話題になり、最早『空の民』というより『風の民』だ、と言われるようになった。
そんなふうに『風の民』として名を馳せた彼らの力を得ようとするならず者もいるもので。
「なあー、セリー、俺のツバサできたー?」
独立から二年後のマザーダリアン号には、男が二人増えていた。