6.帰る場所
「まったく人間というものは、いつまでもそれを教えてはくれないね」
ぞっとする美声だ。
ヴェールを取り去った求愛の魔女は、こてりと首を傾げる。
幼い仕草なのに、王妃殿下とは比べるべくもない品格があった。
「せっかく協力してもらったのに、ごめんね。侯爵。ぼくはまだ探さなくてはいけないみたいだ」
「いいえ、殿下。とんでもございません。あなた様の旅路をお手伝いできた幸運に、感謝いたします」
「困ったことがあったら、風に頼るといい。きっとぼくまで届く」
「はい。我が一族の忠誠はあなた様に」
公の場所で堂々と何一つ恥じることもなく、侯爵は魔女にひざまずく。私に駆け寄ることもせず、目を白黒させているだけの補佐官にはできないだろうな。
羨ましい。
その別れに水を差すのは忍びないけれど、私はそっと口を挟む。
「この国を去られるのですか?」
「うん。そうするつもり。君は?」
「厚かましいことは承知の上で、送っていただければ、と」
魔女は微笑んだ。
「もちろん、いいよ。君はそうしたかったんだろうと思ってた。だからこの国へ来たんだ。あの子たちは君の記憶を封じてしまったけれど、それは奪いたいわけではなかったんだよ。与えたくて、そうしたんだ」
「わかっています」
私の、ぼくの大切な魔女たちは、ぼくに未来が……人として生きる選択肢があるのだと本当に思っていたのだ。結果として、ぼくは彼女たちの優しさを無駄にしてしまったわけだけれど。
「……怒られるでしょうか?」
「ふふ。かもしれない。でも、君だってちょっと怒っているでしょう。こわい顔はしないであげてほしいな。あの子たちはあの子たちなりに、君を大切にしていたんだよ」
求愛の魔女は歌うように流れるように教えてくれた。
大切に、なんて。
当たり前の言葉みたいに言ってくれるから、ぼくは魔女を怖がったりできないのだ。
「……ぼくはもう、赤い瞳ではないけれど」
「続きは君の魔女に言うといい。太陽の魔女に、直接ね」
小さな子どもを諭すように、彼はそっと爪先立ってぼくの頭を撫でる。
「さあ、行こうか」
風が吹く。
燭台の火が揺れ、ヴェールが舞い、人々の影がざわざわ形を崩した。
ぱちぱちぱち。
まるで拍手のようにまじないが弾ける。
風に怯んで閉じたまぶたを、人々が恐る恐る開いた時、二人の「王子」はすっかりいなくなっていたのだった。
初めて目にする魔女の森は、思っていたよりずっと明るくいきいきとしていた。
針のように尖った背の高い木々や、人を拒む茨、怪しい色のきのこ。「怖くて悪い魔女」の棲みかにふさわしい植物たちに、求愛の魔女が声をかける。
「やあ、こんにちは。アサヒとユウヒに届け物があるんだけど、伝えてくれる?」
茨の門がしゅるりとほどけ、木々は枝を揺らし陽の光で道をつくった。きのこにいたっては、紳士のようにかさを取っておじぎまでした。おまけにぴょこっと立ち上がったので、ぼくは思わず声を上げてしまった。
「ふふ、驚いたかい? この森は意外とおちゃめなんだよ」
「……時々、ぼくを引っ張り起こしてくれていたのって」
「そうだね。多分この子達だね」
きのこがえっへんと胸? を張る。
そうとも、褒めてくれていいんだぞ。
こんな声が聞こえてくるようだ。森の主の片割れによく似ている。
「ありがとうございます」
礼の言葉がするりと出てきた。
さあ行こうと求愛の魔女が呼ぶ。遠くで鳥たちが羽ばたいた。
ありがとうございました。次回は25日です。