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明日の風に・中世追憶編  作者: 風城国子智
第一章 遺されたもの
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1-9

 その、次の日。玄理げんりとエクサは無言で、朝食を取る為に三叉さんさ亭への道を歩いていた。


 夏至が近づいている所為なのか、それとも神殿文官が着るよう定められている毛織りの黒衣が気候に合っていないのか、日はまだ昇ったばかりだというのに汗ばむほどに暑い。まだ慣れない天楚てんそ市内の大通りや路地を、エクサの背を見失わないように歩く玄理の脳裏に浮かぶのは、やはり、禎理ていりのこと。昨日の夕方抱き締めた、禎理の身体の冷たさから考えられることは、ただ一つ。エクサの言葉通り、禎理は既に亡くなっていて、その身体だけを、卑劣な輩が利用している。禎理を連れ去った仮面の男は、おそらくその計画の一員、あるいは首謀者なのだろう。しかしながら、エクサを襲っていた禎理の身体に玄理が触れた瞬間に、禎理が動きを止めた理由が、分からない。歩きながら、玄理は無意識のうちに唇を歪めていた。


 エクサも、玄理と同じ思考にふけっているらしい。昨日玄理を自分の下宿に案内したときも、朝玄理が起き出してきたときも言葉少なで、額に深い縦皺を作っていた。


 と。


「……エクサ」


 憎悪に満ちた声に、思考が破られる。玄理が顔を上げたときには既に、エクサと玄理は黒いローブをまとった複数の人間に取り囲まれていた。服装から考えると、彼らは玄理達と同じ神官または僧侶。おそらく、昨日エクサが言っていた「神派の違いについて変な言いがかりを付けるので公衆の面前で論破してやった」人達、なのだろう。皆憎悪に満ちた視線で、玄理の前方に佇むエクサを見詰めている。裏通りの所為か、既に人々はそれぞれ自分の仕事を行っているからなのか、玄理達が立っている路地には他に人影は無い。法力と、禎理から習った少しの体術しか使えない玄理と、魔法以外全くダメなエクサで、複数の人間の暴力から逃れる術は? 玄理が咄嗟に思考を切り替えた、次の瞬間。


「目を瞑れ!」


 エクサの声より早く、目をぎゅっと閉じる。目を閉じるか閉じないかのタイミングで、目蓋の裏に多量の光が走ったのが見えた。おそらくエクサが、得意とする光の魔法を使ったのだろう。咄嗟の判断で助かった。目を瞑ったまま、玄理はほっと息を吐いた。だが。


「三叉亭で会おう!」


 次に耳に入ってきたエクサの声に、はっと目を開ける。まだ残っていた光に目を瞬かせると、何とか、辺りの様子を見ることができた。玄理とエクサを囲んでいた人達は全員、路地の石畳に無言で伸びている。そして、エクサの姿は、何処にも無い。おそらく先に逃げたのだろう。とにかくこの場から離れよう。伸びている人達を迂回して、玄理は小柄な身体に任せて素早く別の路地へ入り込んだ。


「……さて」


 一息ついてから、辺りを見回す。前を見ても振り返っても、天楚市特有の、一階部分が石造りで二階以上が木と漆喰の組み合わせで建てられた、尖ったスレート葺きの屋根を持つ建物が並んでいる光景しか、見えない。完全に迷子だ。玄理は正直途方に暮れた。昨日の今日で、天楚市の地理なんて覚えられるわけがないだろう。なのに。エクサに対する罵りの言葉を、玄理はかろうじて飲み込んだ。怒りは、正当。しかし怒りは判断を狂わせる。悲しみも。ボルツァーノ師匠の言葉を、玄理は何とか思い出した。とにかく、広場に行って、行商人の誰かに聞けば三叉亭への道は分かるはずだ。禎理の言によると、三叉亭は天楚でも評判の良い冒険者宿であるのだから。禎理のことを思い出し、玄理の胸はちくりと痛んだ。


 と、その時。玄理の前に、ふわりと人影が立つ。先程玄理達を囲んだ人々の一人か? 全員エクサの魔法で倒れていると思って油断した。玄理は思わず一歩下がった。次の瞬間。にゅっと伸びた腕が、玄理の襟を鷲掴みにする。為す術も無く、玄理の足裏は地面から離れた。息が、できない。自分の呻き声に顔を上げると、昨日黄昏の光の中で見たものと同じ、白い無表情の仮面が、ぼうっとした玄理の視界すぐ側に映った。この人は、禎理を連れ去った……。


「玄理!」


 甲高い声と共に、目の前の影が横様にすっ飛ぶ。腰から地面に落ちた玄理が息を吐くより先に、玄理と人影の間に敏捷な影が立った。この影は。


「玄理、大丈夫?」


 この声は、知っている。


かさね


 昨日知り合った、玄理と同じ禎理の名付け子の名前を呼んでから、玄理はよろよろと立ち上がった。左手が、痛い。どうやら尻餅をついた時に捻ってどこかにぶつけたのだろう。


 玄理が立ち上がるのとほぼ同時に、玄理と累の前に居た、累が飛び蹴りで倒した人影も立ち上がる。石畳に転がった割れた仮面に気付いたのか、影は意外に小さい掌で顔を隠し、玄理達を一睨みするなり一瞬にして玄理と累の前から消えた。


「……あの人」


 しばらく経ってから、累が口を開く。


「ああ」


 累の言葉に、玄理は呆然としたまま頷いた。あの人影の手は、禎理と同じように小さく柔らかそうに見えた。そして、仮面の下にあった男の顔は、確かに、禎理に瓜二つ。

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