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明日の風に・中世追憶編  作者: 風城国子智
第一章 遺されたもの
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1-6

 ようやく辿り着いた、三叉さんさ亭の両開きの扉を、大円たいえんが開ける。ぴたりと止まった話し声と、無意識に大円の背に隠れた玄理げんりかさねを見詰める無遠慮な視線に、玄理は全身が震えるのを感じた。薄暗く感じる部屋の中に見えるのは大量のテーブルと椅子、そしてテーブルの上に所狭しと並んだ美味しそうな食物を頬張る様々な人々。まだまだ伸び盛りの玄理より小柄な髭面の男も、大円よりも大柄な影や背の高い影も見える。そして。話し声が止まっても、騒がしさは部屋の中に残っているような気がする。こんな喧噪の中で、禎理ていりはどうやって暮らしていたのだろうか? フビニの丘の静寂に慣れた玄理には、この騒がしさには恐ろしさしか感じない。


「大円」


 入り口から奥へと伸びるカウンターの向こうが、ゆっくりと動く。


「どうした?」


 大柄でも小柄でもないが、何処か威厳の漂う感じの男性が、玄理達の前に現れた。


「禎理の名付け子を、連れて来た」


 大円の言葉に、再び始まりかけていた騒声がぴたりと止む。


「そうか」


 大円の言葉に、カウンターの男性はにこりと笑うと、カウンターから出て玄理達にその大きな手を差し出した。


「ようこそ、三叉亭へ。私は、この冒険者宿の主人六徳(りっとく)


 差し出された手を、握り返す。天楚てんそにある冒険者宿三叉亭と、その主人六徳のことも、禎理から聞いて知っていた。冒険者の質の良さと、主人六徳が出す料理の美味しさで、冒険者宿の多い天楚市内でも屈指の冒険者宿、それが三叉亭。そして。


「この少年は、お前の知り合いか、エクサ?」


 累とも握手を交わした六徳が、カウンターの奥に座っていた小さな影に声を掛ける。宿の喧噪など我関せずとでもいうようにシチューらしきものを頬張っていたその影は、嫌そうに玄理達を見、そして呆れたように肩を上げた。


「来たのか」


 この声は、知っている。神官国家フビニの正式な神官であることを示す黒いローブを適当に着た小柄な影の形も、昔と全く変わっていない。ただ、玄理も身に着けている、フビニの神官であることを示す灰色の肩布が、彼の肩から消えていた。エルミの丘を追い出される原因となった、友人の髪で作った髪飾りも。彼の名は、エクサ。玄理がお世話になった師匠ボルツァーノの学舎の、年上だが玄理の後輩にあたる青年。魔法力が高く早々に神官の位を授けられたにも拘わらず、エルミの丘の片隅でよく分からない実験に明け暮れたあげく、ボルツァーノの補佐をしていたフレネーという青年の死の原因となった青年。そして、フレネーを蘇らせるという禁忌の実験に手を出し、エルミを追い出された青年。エクサの追放が決まったとき、ボルツァーノ師匠は、助けを求める人に手を差し伸べずにはいられない禎理の性格を見越してエクサを禎理に押しつけた。エクサについて玄理が知っていることは、ここまで。しかし天楚でも、エクサが他の人々に多大な迷惑を掛けていそうなことは、人の多い冒険者宿で孤立していることで明らか。やっぱり、エクサはエクサだ。エクサを見、玄理はエクサに分かるように肩を竦めた。そして。


「話の前に何か腹に入れた方が良いだろう」


 六徳に促されるまま、累と共にカウンターに腰を下ろす。すぐに、良い匂いのする深皿が二つ、玄理達の前に置かれた。


「禎理から聞いてるだろ。三叉亭名物のシチュー」


 エクサの声が聞こえてくると同時に、エクサの方から黄色い塊が玄理達の方へと転がってくる。この、塊は。エルミの丘にいたときよりも少し大きくなっている。そんなことを思いながら、玄理はその柔らかい塊を優しく撫でた。


模糊もこ


 玄理の言葉に、黄色の塊は玄理の指の匂いを嗅ぎ、そしてすぐに誰か分かったのか、今度は自分から玄理の手にすり寄ってきた。間違いない。禎理が常に連れ歩いていた魔物、キイロダルマウサギの模糊、だ。常に禎理にくっついていた模糊が、エクサと一緒にここに居るということは。……確かに、禎理は亡くなったのだ。頬を流れる涙を、玄理は止めることができなかった。


「禎理の、名付け子、かぁ」


 その玄理の背後で、親しげな声が響く。振り向くと、くたびれた鎧を着けた大柄な男と、敏捷そうな狐目の男、そして黒い布で全身を覆った人物が、一つのテーブルを囲んでいるのが見えた。エックとアルバとチユ。六徳がそう紹介してくれる。三人はこの冒険者宿の古参で、禎理とも何度も冒険を共にしているとも。


「いやいや」


 六徳の言葉に、アルバという名の狐目の男が首を振る。


「俺達は助けられてばっかりだったから」


 その横にいたエックという名の大柄な男の言葉に、他の二人が同時に頷く。やはり、禎理は禎理だ。やっと禎理らしい話を聞くことができた玄理はほっと胸を撫で下ろした。それでも。


「あの」


 唾を飲み込んでから、カウンターの向こうの六徳に話しかける。


「禎理は、本当に、貴族や冒険者や襲っているんですか?」


「ああ、そうだ」


 玄理の質問に答えたのは、六徳ではなく、テーブルでエールを空けていた冒険者の一人。その冒険者に火を付けられたかのように、部屋中の冒険者達が一斉に話し始めた。


因帰いんき伯の暗殺には、目撃者が多数居るんだろ?」


「俺も、禎理に危うく刺されそうになったぜ」


「刺されて死んじまった奴も居るんだろ?」


 次々と出てくる言葉に、耳を塞ぎたくなる。そして。


「早過ぎた埋葬の所為なんじゃないかって、言われてるよな」


「埋められた場所から何とか這い出したけど、気が狂ってしまったとか」


「自分を埋めた奴に復讐する為に冒険者や貴族を片っ端から殺して回ってるって」


「禎理の死は、俺と須臾しゅゆ千早ちはやが確認した!」


 冒険者達の間から出てきた台詞に、エクサが激怒して立ち上がる。


六角ろっかく公須臾に文句が有るのか!」


 エクサの言葉に、部屋の中は一瞬にして静まりかえった。だが。


「エクサが禎理を殺したって言う噂もあるよな」


 部屋の奥から、小さな声が響く。次の瞬間。耳を劈くような轟音と、目が潰れるような多量の光が、同時に玄理を襲った。咄嗟に、隣の累を庇うように腕に抱えてカウンターの下に隠れる。人の庇い方は、禎理を見て覚えた。


「……全く」


 六徳の舌打ちが、聞こえてくる。そろそろと顔を上げると、部屋の所々から小さな煙が出ているのが見えた。そして部屋に居たはずの人々の殆どが、消えている。


「何処に飛ばした?」


 全くの平静な調子で、水の入った桶をカウンターに置いた六徳が、再び自分のシチューと向き合ったエクサに問う。


「市門の外」


 エクサの調子も、普段のまま。この調子で、エクサは禎理を振り回していたのだろう。エクサに対する嫌悪を感じ、玄理は慌てて首を横に振った。今は、それよりも。桶を受け取って部屋の消火を始めた累に習い、玄理も六徳から水の入った桶を受け取った。


 と。


「また今日も派手にやったわね」


 呆れた感のある明るい声に、顔を上げる。柔らかく、そしてふくよかに見える影が三叉亭の扉を開けて中に入ってくるのが見えた。踝を隠すぶかぶかの灰色の上着が、大きく膨らんだお腹の上でゆらゆらと揺れている。女性だ。しかも妊娠している。灰色の頭巾で髪を隠しているから、誰かの喪に服しているのだろう。


「大丈夫か、七生ななお?」


 危なっかしげな様子で空いている無事な椅子に腰掛けた女性に、心配そうな声で六徳が問う。


「ええ」


 対して七生と呼ばれた女性の方は、余裕の笑みを浮かべていた。


「私だって医術を習ってる。自分の不調ぐらい分かるわ」


 その七生に、好奇心を隠しきれない瞳で累が近付く。


「もうすぐ、産まれるのですか?」


「まだ。もう少し先ね」


 ある意味不躾な累の問いに、七生は笑って答えた。


「双子だから」


 そして。


「禎理みたいな子が、産まれてきてくれたら嬉しい」


 小さく呟かれた七生の言葉に、はっとして消火の手を止める。まさか、七生という名のこの女性のお腹の中にいるのは……!


 七生のことは、禎理から聞いていない。おそらく禎理がエルミの丘から天楚に帰り着いた後で知り合ったのだろう。禎理も男性であるから、好きになった女性が居ることに何ら問題はない。だが、何故か寂しさを感じてしまう。玄理は無意識に首を横に振った。


「累と玄理」


 戸惑う玄理を、六徳が七生の前に押し出す。


「禎理の名付け子だ」


 六徳の言葉に、七生の顔が上気するのが、分かる。そして。唐突に、七生の腕が玄理と累を抱き締めた。


「そうなの。禎理の……」


 今まで嗅いだことの無い、花のような良い匂いに、鼓動が早くなるのを感じる。だが。


「禎理が生きていれば、お腹の中の子達の名前も付けてくれたかもしれない」


 聞こえてきた七生の、涙ぐんだような声に、玄理は思わず下を向いた。やはり、禎理は、もう……。


「まあ、それはそれとして」


 その玄理の感傷を逆撫でする声と共に、エクサが玄理と累の間に割って入る。


「こいつら今日何処に泊める?」


「禎理の部屋が、まだ空いてるけど」


 しかし七生の言葉に、玄理は好奇心が芽生えるのを感じた。禎理が話してくれた、魔法陣に囚われた魔物が居るという部屋を見てみたい。できれば泊まってみたい。


「私、禎理さんの部屋に泊まりたい!」


 しかし玄理が希望を出すより早く、累が玄理と同じ希望を出す。女の子と一緒の部屋に泊まるわけにはいかない。玄理はゆっくりと口を閉じた。

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