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「大丈夫?」
長櫃の上に座ってしゃくり上げている累の横に、そっと座る。
大声を上げる累を平騎士と共に宥めながら何とか、平騎士達の休憩所である城門横の小さな部屋まで運んだところである。一緒に来た平騎士が水差しから水を注いだカップを二つ、玄理に渡してくれる。そのうちの一つを、玄理は累に差し出した。
「大丈夫?」
玄理が差し出したカップを、累は首を横に振って拒否する。
「信じない。絶対信じない」
小さな声が、累の口から漏れた。
「禎理さんが、死んでしまったなんて」
累の言葉に、玄理の胸が冷たくなる。玄理も、信じたくはない。せっかく会いに来た、玄理の名付け親である禎理が、既にこの世を去ってしまっているなどということは。しかし。顔を上げると、玄理にカップを渡してくれた平騎士が、首を横に振るのが見えた。
「せっかく、会いに来たのに」
玄理と同じ言葉を、累が呟く。豊かな銀色の髪が、玄理の鼻先で揺れた。
「禎理は、『風神の花嫁』だった私を拾ってくれた、人なのに。お礼も、言えないなんて」
風神の花嫁。その単語に、禎理の顔を思い出す。禎理の出身一族であり、大陸中を放浪し芸能や巫覡で身を立てて暮らしている『流浪の民』の風習の一つとして、銀色の髪の女の赤ん坊を人気の無い場所に捨てる風習があるという。その捨てられた女の子が『風神の花嫁』であり、その女の子を見つけた者が、その子を育てる風習があるという。禎理が十二の時に流行病で亡くなった一つ上の姉も、禎理の父と母が拾った風神の花嫁であったという。そして、禎理自身もまだ少年の頃に、森で泣く銀髪の赤ん坊を拾い、子供を亡くしたばかりの夫婦に預かってもらうことにしたという話を、玄理は禎理から聞いていた。もしかしたら。そっと、俯いたままの累の顔を見る。彼女が、禎理が話していた銀髪の赤ん坊だろうか? 玄理はそっと、首から提げていた、木片を削って作られた小さなお守りを取り出し、累に見せた。
「それ」
ぱっと、累が顔を上げる。同時に、首に掛かっていた細い鎖を累はもどかしげに引っ張った。その鎖に繋がっていたのは、玄理が持っているものと同じ形の木片。木の色と、彫られている文字が異なるだけだ。
「あなたも、禎理の?」
累の問いに、無言で頷く。次の瞬間。玄理の全身を温かさが包んだ。玄理の胸に、累の、まだ膨らみが固い胸が当たっているのが分かる。累の腕は、玄理の背中だ。玄理の肩に顔を埋めて泣き続ける累の声を、玄理は黙って聞いていた。玄理も、泣きたい。玄理と同じ名付け子が居たこと、恩人である禎理が亡くなってしまっていること、そして、この部屋に累を運ぶ途中で平騎士から聞いた、禎理に関する一つの物事が、玄理の泣きたい気持ちを抑えつけていた。
「こいつらか?」
不意に響いた、太い声に、思わず累の腕を振り払う。顔を上げた玄理の前には、陽気な髭面をした、がっしりとした中年の男が立っていた。着ている制服は、先程まで玄理の周りに居た平騎士達と同じもの。しかし纏っている雰囲気は、どこかしら威厳に満ちているような気がした。
「俺の名は、大円。天楚の治安を預かる第九平騎士隊の隊長をしている」
玄理と累の前で、男は丁寧に自分の名前を名乗る。
「お前達のことは、部下から聞いた。禎理の名付け子だそうだな」
はっきりとした大円の言葉に、玄理も、横にいた累も、こくんと頷いた。その玄理と累を、大円の太い腕が抱き締める。
「禎理のこと、残念に思う」
短い言葉でも、大円の気持ちは十分に伝わってくる。
頬に零れ落ちた涙を感じ、玄理はそっと目を閉じた。