断章-8
身を包むような温かさに、そっと目を開ける。目の前に見えた、柔らかい金色の髪に、開理は静かに微笑んだ。望んだ通り、憶都の傍に居る。開理の横で眠っているその華奢な身体に、開理はそっと腕を伸ばした。憶都も、開理自身も死んでしまったのだから、ここは、禎理の話に時折出てきた、死者の魂が次の生に向かう前に憩う冥界なのだろう。抱き締めた憶都の身体の意外な温かさに戸惑いながらも、開理はほっと息を吐いた。とにかく、守りたかった存在はここに居る。そのことが、嬉しい。
と。
「俺のベッドでいちゃつくな」
聞き知った声と共に、後頭部に衝撃が走る。
「なっ」
憶都から腕を離し、上半身を起こして振り向くと、切り揃えられた黒髪が、見窄らしい木の壁を背にして揺れていた。
「エクサ?」
天楚の冒険者宿三叉亭の常連、魔導師であり、そして禎理の友人であった者の名を、呼ぶ。
「そうだけど」
開理の言葉に、開理の後頭部を殴るのに使ったと思われる羊皮紙の束を傍らのテーブルに置いたエクサは傲岸にも見える顔で頷いた。
しかし何故、冥界にエクサが居る? 殺しても死なない人物だと、叔父の五次はエクサを軽口混じりにそう評していた。そっと首を動かし、辺りを見やる。冥界にしては、この場所は現実的すぎるような気がする。では、ここは何処だ? 混乱が、開理を支配した。
「驚かせて済まなかったね、開理」
涼やかな声が、耳を打つ。振り向くと、開理が座っているのと同じベッドの上で、憶都が静かに微笑んでいた。憶都の肩には、禎理がいつも連れ歩いていた魔物、ダルマウサギの模糊の黄色い姿が見える。ここは、やはり、冥界では無い。それを認識した開理の口から漏れたのは、安堵の息。
憶都の乳母が開理の首を締めたことに戦き、王宮を飛び出し天楚の街路を闇雲に走っていた憶都は、偶然通りかかったエクサに捕まって三叉亭に連れて行かれた。三叉亭の主人六徳は憶都の心の具合を一目で察し、憶都を王としての重圧から解放する為の策をエクサに授けた。開理が運河から引き上げ、葬られた憶都の亡骸は、エクサの魔術による幻。そして、開理の父である須臾にも協力を仰いだ上で、エクサはそのうち隠居するつもりで『蛇神の森』の奥深くに建てていた庵に、憶都を匿った。憶都の墓所から離れようとしない開理に無理矢理薬入りのワインを飲ませ、仮死状態にした上で庵に隠したのも、父須臾とエクサの仕業。禎理を助けたことよりも危険に晒したことの方が多い人物だから、父はエクサをどちらかと言えば忌避していた。その父が、エクサと協働するとは。信じられない思いで、開理はエクサを見た。
「あいつが生きていたら、あいつがやったんだろうけど」
その開理の視線を避けるように開け放たれた扉の向こうを見やり、エクサが呟く。扉の向こうにあったのは、蛇神が守ると云われている鬱蒼とした森の木々と、その前にひっそりと佇む小さな岩。あの岩は、知っている。一度だけ、父に連れられてこの場所に来た。誰にも利用されないよう、その身体は燃やされ、残った灰は風が運び去るにまかせられた為、禎理の身体はあの岩の下には眠ってはいない。だが、それでも、禎理が幼い頃家族と共に過ごした場所に、禎理の友人達は小さな墓を作った。その場所を守る為に、エクサはこの場所に庵を結んだ。
不意に、開理の眼前に白いものが飛んで来る。布巾だ。その白いものの正体を確かめるまで、開理は自分が涙を流していることに気付かなかった。
「こんな小さい者に、全てを押し付けるなって言ってさ」
開理にその布巾を投げつけた張本人であるエクサが、開理と憶都を一瞬だけ見詰める。そしてすぐに二人から目を逸らしたエクサに、開理は感謝を込めて頭を下げた。




