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明日の風に・中世追憶編  作者: 風城国子智
断章 その、物語
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断章-2

 激しい揺れに、はっとして目を開ける。


「大丈夫ですか、開理かいり様?」


 上から降ってきた、父である六角公須臾しゅゆの従者の声に、開理は大丈夫だと言うように上を向いて頷いて見せた。


 そっと、辺りを見回す。馬上から見える景色は、まだ暗闇の中に有る。しかし夏の空は、既に微かに明るくなっている。確か、昨日は、夏至祭の日だったはずだ。酷く揺れる視界に、開理は思わず唇を歪めた。


天楚てんそまでもう少し掛かります」


 再び上方から、従者の声が降ってくる。急いでいますから揺れは我慢してくださいね。従者の言葉に、開理はもう一度上を見上げて頷き、そして揺れによる気持ち悪さを抑える為に目を閉じた。


 急いだ様子で馬を操った父の従者が、開理が療養していた六角郷に現れたのは夏至の陽がすっかり落ちてしまった頃。留守を預かる家令に二言三言話すや否や、従者は用意された六角郷一の駿馬の背に開理を押し上げた。そして今は、天楚への街道を夜通し駆けているところである。何が、あったのだろう? 馬を最大限まで急がせる従者に、首を傾げる。しかし従者が口にするのは、開理への気遣いの言葉のみ。天楚に着けば、理由が分かるだろう。それまでは、我慢しよう。開理は一人頷くと、腰に挿した古ぼけた短剣に右手を添えた。


 先の冬、天楚と六角郷を流行病が襲った。その病の所為で、開理は冬中ずっと床についていた。熱の所為でうつらうつらした意識の中で感じていたのは、開理を看病してくれる様々な温度と柔らかさを持つ手。その手の中には勿論、春になってすぐに天楚市に戻った母の細い手も、薬草の匂いがする禎理ていりの小さく柔らかい手もあった。そして。ある冬の夜明け。ふと目を開けると、薄暗い空間に禎理が居た。


「禎理。名付け親のお土産、持って来てくれた?」


 開理が寝付いている間に、誕生日は過ぎてしまった。だが、約束を守った禎理が何を持って来てくれるのか、それが、いつの間にか開理の楽しみになっていた。その思いが、言葉に出る。そして。いつの間にか再び眠ってしまっていた開理が次に目を覚ました時に、枕元には今開理が腰に挿している、禎理が大切にしていた短剣が置かれていた。禎理が戦う時に必要なものであるはずなのに、何故禎理は、この短剣を開理の枕元に置いて行ったのだろう? これが、何処にでもありそうなこの短剣が、開理への名付け親からの贈り物だというのだろうか? 疑問が、揺れる開理の頭の中を何時までもぐるぐると回っていた。


 と。走る馬の速さが、急に落ちる。どうしたのだろう? 首を傾げた開理の目に映ったのは、薄暗い空間に聳える天楚市の南門と、無言でその門を通り抜けるたくさんの人々。蝟集するその群衆を避けるように、従者が操る馬は器用に門を通り抜け、押し黙ったままの人々が連なり歩く大通りを人を避けて走った。


「止まれっ!」


 鋭い声に、馬が嘶く。馬の前にいたのは、天楚を守る平騎士隊の上着を着た大柄な男と、そして。


「母上」


 小さな声が、開理の口から漏れる。戸惑うままに、開理の身体は馬上から母の腕の中に移されていた。母が着ている灰色の荒織りの服地がちくちくと開理の頬を刺す。それでも、呻くのを堪えた理由は、開理を抱き締めた母の気配に、そして無言のまま天楚の広場へと向かう人々の圧力に空恐ろしさを感じたから。


 開理をぎゅっと抱き締めた母は、大通りを歩く人々と同じように押し黙ったまま、人々と同じ方向に開理を連れて行く。幾許も無く、開理を抱いた母は天楚市の真ん中にある広場の入り口に辿り着き、そして広場に集まった群衆の背中に進路を阻まれた。


「名付け子が名付け親に会いに来ました。通してください」


 凛とした母の声が、静寂を破る。母の声に、人々が道を空ける、人々のその行動に驚くより先に、母が発した言葉の内容に、開理は戸惑いを隠せなかった。禎理に逢う為に、開理はわざわざ夜道を馬で運ばれたのだろうか? しかし何故? 禎理なら、天楚に居る。遠くへ冒険に行かない限り、逢おうと思えば何時でも逢える、はず。その疑問を、母に問うより先に。開理の眼前に、大きな薪の山が現れた。


なお


 母を呼ぶ父の声が、開理の耳に響く。母の腕から父の腕に移された開理は、父と共に、広場に設えられた薪の山に向かった。昇りかけた太陽が、広場の様子を少しずつ映し出す。薪の山の傍には、天楚を統治する王活破かつは七世の小柄な姿が見える。そして、薪の山の上に横たえられていたのは。


「禎、理?」


 小さい声しか、出て来ない。しかし、薪の山の上、天楚王の紋章が刺繍されたマントの下に横たえられている、骨が見えている部分もあるその物言わぬ身体の持ち主が禎理であることは、開理にはすぐに分かった。目を覆いたくなるほどに様変わりしていても、いつも飛びついていたあの小柄な背中を、忘れるわけがない。


 その禎理が、微動だにもせずに薪の山の上に横たわっている。そして、開理を抱いた父が薪の山から離れた後、天楚王自身が薪の山に火を付ける様を、開理は身動きもせず、凝視していた。


「嘘つき」


 小さな声が、開理の口から漏れる。禎理は、開理に、約束だった『名付け子への贈り物』をくれなかった。約束を破ったまま、開理の許を永遠に去ろうとしている。だから。


「嘘つき!」


 燃えさかる炎に向かって、今度は大きな声で、開理は叫んだ。




 開理の許に短剣を置いてすぐ、禎理は六角郷の北にある『蛇神の森』で命を落としたこと。その禎理の亡骸が、天楚と天楚王に害を為そうとする人々によって利用されてしまったこと。それでも天楚を救った禎理の亡骸が二度と悪意有る者の手に渡らぬよう、遺体を荼毘に付したこと。全ての真実を開理が知ったのは、ずっと後になってからのことだった。

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