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天楚に一人で入るのは初めてという少女と共に、市門から伸びる列に並び直す。石造りの頑健な市壁でがっちりと守られた天楚市内に初めて入る者は、市を守る平騎士隊の面接を受けて通行証を得る必要があるらしい。天楚市は大陸でも屈指の市である上に、大陸東方を支配する大国天楚の首都。市の東側にある丘の上には、代々の天楚王が住まう堅固な城もある。市内に出入りする人間に対する監視が厳しいのも、ある意味仕方が無い。長く見える行列に、玄理は小さく溜息をついた。早く、禎理に会いたい。神殿文官になった自分の姿を見て欲しい。微かな焦りが、玄理の心を心地良く支配していた。
「私は、累」
その玄理に、一緒に並んでいる件の少女が笑いかける。天楚市の西、四路河の西方に広がる蛇神の森に住む『流浪の民』出身だと、少女は名乗った。禎理と同じだ。少女の言葉に思わずにこりと笑う。禎理も確か、自らの力を頼りに大陸を放浪することを定めとする『流浪の民』だと言っていた。そして。
「大人になったから、名付け親に会いに来たの」
日差しに光る銀色の髪を揺らしながら少女が口にした、天楚に来た理由に、玄理は再び親近感を覚えた。玄理と、同じだ。禎理も、名前の無かった玄理に『玄理』という名前を付けてくれた。
そして。同時に思い出したのは、この世界に居ない神、風神についての『流浪の民』の禁忌。銀色の髪を持つ女の子は、生まれ落ちると同時に、風神に捧げる為に人の居ない場所に捨てられる定めだと、哀しげな顔をした禎理から聞いたことがある。この少女も、おそらく、一度捨てられた少女なのだろう。そして、自分と同じように、良い名付け親に出会った。
禎理と玄理が初めて出会ったのは、玄理が五歳の時。冬を越す為にエルミの丘で臨時の神殿武官となっていた禎理は、上司であるボルツァーノの命により神官候補となる子供を探す為に玄理が住んでいた村近くを彷徨っていた。木々に隠れた村を探すのに手間取っていた禎理が雨宿りの為に飛び込んだ洞窟に、生みの親から虐げられていた玄理は独り隠れていた。名前すら無かった、風の日生まれの禁忌の子を、禎理は半ば強引にエルミの丘に引き取った。そしてそのまま冬が過ぎ、春になるとすぐに、禎理は自らの放浪の心に従い、玄理を置いてエルミの丘を去った。それから十年。今度は玄理が、禎理に会いに天楚までやってきた。禎理があの村から連れ出してくれなかったら、おそらく玄理は、飢えか虐めで命を落としていただろう。禎理には感謝してもしきれない。それが、玄理の正直な思い。
それにしても。玄理の前で揺れる銀色の髪に、静かに息を吐く。エルミの丘には男性しか居なかったから、玄理が同じ年頃の女の子と話すのは実はこれが初めてだ。女の子とは、もっと話し難い存在だと思っていたのに。おそらく自分と同じ境遇に親近感を覚えているからだろう。それでも、頬が熱いのは、女の子と一緒に居ることに緊張を覚えているからだろうか、それとも、禎理にやっと会えるという期待からだろうか?
「暑いわね」
しかしながら。夏至に近い午後の、雲が掛かった空を見上げて息を吐いた累の言葉に、緊張が緩む。神殿文官の制服――長袖の白チュニックの上に半袖の裾の長い黒く重い上着を着ている――の所為で、夏の暑さを余計に感じているだけだ。累には見えないように、玄理はそっと、微笑んだ。