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明日の風に・中世追憶編  作者: 風城国子智
第一章 遺されたもの
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1-12

「済まんな」


 突然天楚(てんそ)王が現れて吃驚しただろう。夕方の道で大円たいえんが笑う。


「でも、お前達の話をしたら、どうしても逢いたいと」


 天楚王活破(かつは)七世を六角ろっかく公の天楚屋敷に連れて来たのは、大円。そしてその大円に、三叉さんさ亭まで送ってもらっているところである。禎理ていりは、天楚王の命をも何度か救ったことがある。帰り道で大円はそう、玄理達に話してくれた。


「だから、誰が何と言おうと、俺は、禎理が自分の意思で因帰いんき伯を刺したとは信じない」


 天楚と、天楚に棲む者達を大切に思っていた禎理が、常に公正な判断を行い、そして天楚のことを考えて行動していた因帰伯を弑するわけがない。そう話す大円の言葉は、玄理げんりを心から安堵させた。やはり禎理は、誰かに操られているのだろう。しかし、誰が? あの仮面の男? 安堵はしかし、再びの暗雲に飲み込まれる。あの仮面の男が、禎理ならば、禎理は自分の意思で因帰伯を殺し、自分に似た者を操って他の貴族や冒険者達を傷付けていることにならないか? 玄理がそこまで考えた、丁度その時。


七生ななおさん!」


 かさねの声が、玄理の思考を現実に戻す。丁度横の路地から出てきたらしい、緩やかな灰色の服に身を包み、左手に重そうな鞄を提げた七生が、玄理達に向かって右手を挙げたのが見えた。


「玄理達も、三叉亭に行くの?」


 累の横に立った七生が、玄理達を見て微笑む。七生の方は、天楚のあちこちにいる、三叉亭の近くに診療所を構えるゆづるや七生が世話をしている患者のところを回って歩いた後らしい。汗で張り付いた赤い前髪を整える七生を見詰めてから、玄理は黙って七生の持つ鞄に手を掛けた。妊娠している人に、重そうな鞄は良くない。


「ありがとう」


 玄理を見て、七生が微笑む。禎理は何故、七生を大切にしていたのだろうか? 不意にそんなことを思い、玄理は下を向いた。おそらく、今の玄理の感情と同じように、七生の笑顔が眩しかったからだろう。玄理は何となくそう思った。


 と。


「下がれっ!」


 突然の大円の大音声に、思考も身体も硬直する。玄理の前に立った大円が、下から突き上げられた鋭い切っ先を腕に付けた鉄の手甲で留めたのが、黄昏の光にはっきりと、映った。


「禎理!」


 大円の前に居た小柄な人影に、七生が震える声を出す。玄理と同じように硬直した七生の身体を、累が後ろに引っ張った。


「逃げましょう!」


 禎理が向けた刃を留めている大円の腕が押され、震えているのが見える。累の言う通り、ここは七生を守って逃げなければ。息を吐いて気持ちを落ち着かせると、玄理は七生の鞄を道に落とし、七生の柔らかな腕を掴んだ。次の瞬間。


「なっ!」


 大円の腕から外れた刃が、滑るように大円の横を通り抜ける。夕日で赤く染まった刃が、大円の後ろにいた七生と累の身体に向かう様が、玄理の目にははっきりと、見えた。止めなければ。一足で、刃を突き立てる禎理の腕と、大きく目を見開いた累の間に割って入る。目の前に迫った禎理の虚ろな瞳を覗き込むと、玄理は影になった禎理の小柄な身体を抱き締めた。やはり、冷たい。腕の中の禎理の身体には、生きている者の気配が感じられない。感じるのは、ただ、……悲しさだけ。


 横からの蹴りが、玄理から禎理を奪う。


「玄理!」


 累の声が、ずっと遠くに聞こえた。


 何故か横倒しになってしまっている、霞む視界で、禎理を探す。濃くなった夕闇の奥に、動かなくなった禎理の身体を抱え上げた仮面の男が、その無表情な面を玄理に向けているのが見えた。


「待てっ!」


 仮面の男が、くるりと玄理に背を向ける。一瞬にして視界から消えた仮面の男を追う大円の声を、玄理は遠くに聞いていた。


「玄理! 玄理!」


 何度も玄理を呼ぶ、累の甲高い声も、小さい。


「血を、止めないと。……うっ」


 不意に青ざめてお腹を押さえた七生の方へ伸ばそうとした玄理の腕は、しかし力無く石畳の上に落ちた。

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