王子直属の泥棒
朝と昼の間。客がまばらな食堂で、派手な銀髪の男が自身の髪を一束つまみ、くるくると弄んだ。
木製の丸テーブルに椅子。大衆食堂のはずだが、少し暗めの店内は整然としており、失礼ながら人気は無さそうである。もちろん昼になれば客は増えるのだろうが。
男は出入口間近の席に座り、視線はずっとカウンターだった。中にいる店主は昼の準備をしているのか、何やら鍋をかき混ぜている。
「なあに。考えゴトー?」
「ああ? いーのいーの。お前はそんなこと気にしなくて」
隣に座るしなを作った魅惑的な美女。それを適当にあしらって、その男──クロードは目の前のサンドイッチを口に放り入れた。
それからそう間を置かずして。
がしゃーん、と大きな音がして粉々に割れた窓ガラスが、クロードのテーブルへと飛び散った。直前で空にしたバスケットにももれなくである。「きゃああああ!」と女が叫ぶから、仕方なく肩を抱く。彼女には傷一つない。
銃と長い鉄の棒を持った男が三人、スイングドアを押し開けて店内に雪崩れ込んできた。
(あ~、めんどくさ)
一人だったら楽勝だったのに、と一番後ろのはち切れんばかりの腹の男に手を伸ばした。背後から腰のベルトを切ってやれば、ストンと下がったズボンで足を引っかけ、入ってきた勢いそのまま盛大に床へ突っ伏した。突然のことに受け身もとれていない。
(はい、一人目)
クロードは動いた素振りもなく、転んだ男を指差した。
「おっさんたち、そこでコケる? 窓ガラス割って登場して? あは、笑える」
「……クソガキが」
「きゃあああああああ!」
男の睨む顔がよほど恐ろしかったのか、美女は叫び声を上げてくれる。それに内心ほくそ笑んだ。
(あっは、やっぱ俺を助けてくれる女ってのはいいよなあ)
美女の叫び声に一瞬たじろく襲来者たち。本来堅物な役所勤めだ。胸元が大きく開き身体のラインを強調したワンピース姿の女に免疫がなかったのだろうと思われた。
この襲来者たちは戦うことに別段慣れていないのだ。ズボンで倒れた男はパンツまるだしのまま、いまだ立ち上がれていない。
(といっても、俺も戦えないんだけど。ま、どうにかするでしょ。おっさんたちはできれば、このまま帰ってもらえるとありがたいんだけどなあ)
一人転がしてみたものの、あまり目立つのもな、とクロードは思いとどまった。転がす代わりにと煽ってみたが、その後のことは考えていなかった。女をさも守るように立って状況を見守るだけ。
男たちは本来の目的を思い出したのか、クロードの煽りにはこれ以上反応を示さなかった。転んだ原因がクロードであるという考えは微塵もなく、残念ながら帰る気もなさそうだ。
「俺たちはここの店主に用がある! 巻き込まれたくなかったら今すぐ出ていけ!」
天井に向けて発砲し、ぱらぱらと木くずが落ちた。威嚇である。
ただでさえ客入りの少なかった店内がさらにがらんとした。
残されたのは、クロードと連れの美女、黒のスーツ姿の男に、店主だ。
結末を見守りたいクロードは、女が恐怖で動けなくなったという様子で隅っこに居座った。
「お前……! 俺の娘をどこへやった!」
悲痛に顔を歪ませて、襲来者は店主へと銃を向けた。
どうやら恨みがあるようだ。すぐに見て取れるが、店主はというと柔和な微笑みで向かい合っていた。
「私の大事な店を壊して、何を言うかと思えば、娘? そんなこと知りませんよ」
当然の言い分に思えた。けれど店主は笑っている。大事な店を壊されたくせに笑っているのだ。
「そんな話が通用すると思っているのか!? 俺の娘だけじゃない、こいつの娘も、こいつのもだ!」
「……みなさんで家出ですか?」
「みんな、お前の店に行くと言い残して消えている! それでお前が関係していないわけがないだろうが!」
「……ああ! そういえば最近女の子にお菓子をあげる約束をしたことがありますねえ。その子のことでしょうか? 約束の時間になってもこないので心配していました。もしかして、くる途中に事件や事故に巻き込まれたのでしょうか、父親なら心配ですよね」
父親たちの憎しみを受けてなお、店主の笑みは崩れない。にやにやと笑うそれは悪の親玉のような顔である。
(十中八九、クロ──ま、証拠がねえけど)
店の隅っこで見守るクロードの目が細くなるが、店主はべらべらと話し続けた。心配そうな口ぶりであるにもかかわらず、穏やかな顔は鼻につく。
「捜索願は出されました? いつからいなくなったのでしょう。早く見つかるといいのですが」
「お前……!」
「ああ。それでもまだ私が犯人だとでも?」
怒りに任せて突撃する男たちに向かって店主はより一層笑みを深くした。
「──そんなこと、許すわけがないでしょう」
そしてカウンターで佇むスーツ姿の男を指す。
「ここにいるカゲがな……!」
(──はい、クロ確定っと)
瞬間、爆音とともに一つの店が焼失した。
◇◇◇
書架で囲まれた小さな執務室。ここは王宮内の一室、けれど間取り図には記されない、隠された場所である。
見つけたのは偶然だった。が、自分たちのためにあるかのような部屋に、入り浸るようになった。
おそらく秘密裏に会合や逢瀬をするための場所だったのだろう、誰の目にも触れずに王宮の外からも入れるのだ。
クロードはいつもの定位置にある椅子へと腰を下ろしていた。不満たっぷりに口を尖らせた。
「あれ、やりすぎだろ? なあ?」
あれ、というのは昼間にいた店の事件の話である。
逃がした客が武器を持った襲来者がいたと証言しており、警備隊が配置されるわ、検証チームが組まれるわと大事件となっている。そしてそれは未解決事件となることが決まっているから、少し後ろめたい。
「そうでしたか。力の加減が難しいですね。……君が煽るからですよ」
「そんなしおらしい顔しても駄目だって。しかも、俺が煽ったのはあのおっさんたちで……」
「ですが、君に危害が及ぶのではと気が気じゃありませんでしたし、そもそもあれ、言う必要がありました?」
この日この時間に、彼らが訪れる情報は得ていた。
彼らが、あの店の窓ガラスを割るまでは、善良な市民であることも情報として知ってはいたのだ。
「いやあ、ほんとかな? って思ってさ。確認な、確認。確かに全く戦い慣れしてなかったし? 煽ったけど一回睨まれたくらいだったから、あいつらにも温情ってものがつくんじゃねえの。本当は一人転んだ時点で出直してほしかったけど。そしたら店が消えることもなかったのに」
彼らの娘は数日前から行方不明だ。捜索願も出されている。そして犯人の目星もおおよそ合っている。
「たしかに客は逃がしていましたしね。いたのは、私と君と、君が連れた一般人と、店主でしたから。……あのですねえ、一般人を巻き込むのやめません?」
黒いスーツ姿の男──ランシェロはやれやれといった様子で手を広げた。
着替えたのだろうか、それとも一切の無傷だったのか。あの場にいたはずだというのに、汚れ一つない。
「あは、だってー、いいじゃん。あんなところ、女連れでもないと入れないし。今回も彼女の叫び声で助かったところもあるしさ。それに知ってるでしょ、俺、店に一人では入れねえの」
「まったくいい加減一人でも行動できるようになりなさい」
「まあ、いつかね」
肩をすくめてみせた。
ランシェロの小言はただの飾りのようなものだ。クロードが行動を改めることはないと知っているのだから。形だけの小言にクロードもまた形だけの返事をする。
「にしても、あの店主。勝手に自白してくれて助かったよね。ちょっと面白かったし。まさかカゲが助けてくれるとでも思ってたのかな。万が一そういう気があいつらにあったら、俺が手を出した時点で動きがあったろうに」
クロードの”確認”は、近くにカゲがいるのか、はたまた手を貸す気があるのかどうかもチェックしていた。
「楽ではありましたねえ」
「よりによって、お前の格好を見て、カゲだなんて! 笑える」
「いえ、合っていますよ。彼は正しかった」
涙まで浮かべて腹を押さえるクロードに対し、ランシェロは真顔でジャケットの襟を正した。
カゲとは、王の手足となり暗躍する役職だ。常にスーツ姿であり、王の命令にのみ従う一族である。感情を捨て、自分の意志を捨てる訓練を経て、ようやく一人前のカゲとなれるのだ。彼ら一族には特殊な能力があり一切の気配を消せるらしい。そのため隠密行動が得意で、暗殺や情報収集、護衛などが主な業務だが、その存在を知るのは王とその周辺、または王の指示でカゲが接触した人物である。
「認識が甘すぎなの。スーツ着てれば誰でもカゲなのかって話! スーツなんて、まあ滅多に買う奴いねえだろうけど、金さえ払えば誰でも買える服だろ。それに、カゲなんてそうそう姿を現さねーし」
店主をそしるクロードの顔はこれでもかと顔をしかめている。
滅多に姿を現さない、目撃情報が少ない。昼間の食堂に堂々と姿を現すなど言語道断。だからカゲの存在を知る人間は限りなく少ないのだ。
それに四苦八苦しているのが、クロードとランシェロ、それともう一人──。
「僕からすれば、君たち二人とも、何をしてくれたんだと思うわけなんだが」
肘置き付きの椅子に足を広げて座り、偉そうに手を組む青年。金色の髪に、宝石のような紫の瞳が映え、どこぞの絵本にでも出てきそうな風貌だが、その顔は険しく今にも舌打ちしそうな勢いである。
「少し様子を見てくるだけのはずだったろう? それをなんだ。店を吹き飛ばしてきやがって。貴重な情報収集できそうな場所だったんだがな!」
何を隠そう、あの食堂について教えたのはこの青年──レクト・アルタイルだった。彼はこの国の現王、カゲを操る支配者の息子。つまりこの国の王子である。
この国──グランジュ王国は、表向きは平和そのものだ。しかし町の治安は徐々に、そして確実に悪化していた。貴族たちの悪事が目に付くようになってきたことが原因だ。平和に慣れ過ぎた人間が欲を出し始めたのか、それとも昔から裏で行われていたものが表面化してきたのか。
さらに困ったことに、その悪事の周辺を調べて行くと必ずちらつくカゲの存在。どうやら貴族たちの手助けをしているようなのだ。つまり、王が加担している可能性が高く、レクトは頭を痛めていた。
が、どちらにせよ目に余る貴族たちの行動を、レクトが水面下で断罪していくことは変わらない。その手となり足となる筆頭が、クロードとランシェロだった。
「僕が使えるカゲはほんの僅かだ。貴重な情報源、それがもたらした情報を君たちは一瞬で葬り去った。ふざけんなよ」
王位継承権を持つ王族たちも一定の年齢になれば数人のカゲが与えられた。それは身を守るためでもあったが、王となったとき、つつがなくカゲを使用するための訓練でもあった。
「葬り去ってないって。殺してないんだからさあ」
「そういう話ではない!!」
空気が震えた。王位継承権を持つ人間は特殊な訓練でも受けているのだろうか。一喝で場が引き締まった。
クロードの言うとおり、店内に残っていた誰も死んでいないし、大きな怪我もなかった。クロードの連れの女はもちろん、店主もまた助けられていた。爆発の張本人ランシェロの手によって。
しかし店主がカゲの存在を知っていたのなら、間違いなくカゲが接触していた人物であり、その店は何らかの悪事を行っていたということで。
レクトは溜息を吐いた。
「そのまま監視していればカゲの動きが掴めたかもしれんのに。揉み消すのも骨が折れること、わかってるんだろうな」
「あは、それはごめんて。でも専門外だったからさあ。それに放っておいて怪我人が出たら出たで騒ぐでしょ」
「……面がなかったからですかねえ、なかなか制御が難しくて」
それぞれなりに反省したところで、レクトは二人に面を手渡した。
黒色と白色の対となっている面。
クロードとランシェロはそれを手にして、口の両端を上げた。
「では、君たち”専門”の仕事だ。これが今回のターゲット、決行は今夜だ。君たちが店を潰してしまったからな。──今度こそ、頼んだぞ」
そう言って差し出した紙には、シンプルなリングに緑の宝石が三つ付いた指輪が描かれていた。
◇◇◇
芝生の真ん中に建てられているのは、四階建てのシンメトリーの洋館。
敷地を守るようにぐるりと設置された柵は高く、力を誇示しているかのようにさえ見える。
近頃羽振りがいいと噂のコンフォート伯爵の屋敷だった。
月が雲に隠れたのを見計って、二つの影が近づいた。柵を乗り越え、鍵がかかる窓を難なく開けてするりと侵入した。
「んー、たぶんこっちかな」
「わかりました」
クロードの道案内のもと、闇に紛れて廊下を進んだ。
異様に鼻が利く彼は、なんとなく目的の物がどこにあるのかわかるのだ。クロードいわく、勘だということだが。
しかしその勘を頼りにランシェロは迷いなく進む。
「シロ、気を付けろ、なんかいる」
「ええ。そのようですね、クロ」
仕事中、彼らはクロ、シロと呼び合っていた。それは昼間の名前を明かさないようにするためであり、ちょっとした茶目っ気であり、より呼び慣れた名前であるからだった。
クロードの指示のもと気配を極限まで殺して角を曲がった途端、ランシェロは大きく踵を返した。
──ワンワンワンワン!!
「犬ですよ! 逃げます!」
「ひええええ、俺、犬だけは苦手なんだって」
一切の音を立てずに忍び込んでいたが一瞬で無駄になった。
廊下の端から一心不乱に向かってくる凶暴な顔つきの犬。苦手とは思っていないランシェロすら逃げなければと本能が叫んでいた。
番犬の鳴き声によって、暗闇だった廊下に喧騒と明かりが集まってくる。
「侵入者だ! 犬の鳴き声がする方へ向かえ!」
「あいつら……! あのお面!」
黒と白のセットのお面。これは世間に広く知られていた。
「ドロボウ猫だ! ドロボウ猫が現れたぞ!」
”ドロボウ猫”は二人組の泥棒である。被った猫のお面からそう名付けられた。自ら名乗ったことはないが、その命名を面白がって、とくに否定もしていない。
狙うのは決まって貴族相手で、盗みの後には必ずその貴族の悪事が明らかになった。そのため現れてはたびたび新聞を賑わし、民衆からは拍手喝采を浴びていた。
「おっと、シロ。見つかった」
「そのようですねえ。クロの鼻がもっと利けば、犬くらい避けられたでしょうに」
「おい。俺のせいにすんな。な?」
「ま、いいでしょう。失敗は許されない。私たちは”ドロボウ猫”ですよ」
面の下で、にんまりと口元に弧を描き、速さ重視へと転換した。犬に見つかってしまった時点でもはや気配を消すことに意味はなくなった。
駆け足で逃げながら、クロードは今回のターゲットを探していた。
「ああ、こっち、かな」
そう言いつつ、犬と追っ手をまきながら走る。
初見であるはずの屋敷内を迷うことなく進み、屋敷最上階の目的の扉へと手をかけた。
そこにあの指輪があると泥棒の勘が告げていた。
──バン!
力強く開かれた扉。物音は多少響いたが、あとは小さい指輪を持って逃げるだけ。大した時間は必要なく、追っ手ももはや気にならない。
ところが、暗がりの中ぐるりと部屋を見渡して、ポカンと固まった。
「は?」
ランシェロも同様である。
なんと暗い部屋の中には床に跪く少女がいた。月明かりに向かって神に祈りを捧げているような格好の少女もまた、驚いた顔で突然の侵入者へと目を向けていた。まさか人がいるとは思っておらず戸惑ったが、少女の指を見てさらに驚いた。例の指輪が嵌っているのだ。
「は?」
二度目の呟きの間に、追っ手の足音が近づいてきた。ランシェロの判断は早く、一度退却することにした。
「まずい。一旦離れますよ!」
「ああ!」
ランシェロの後に続き、身体を翻した。
しかし。
──がしっ
しがみつくように少女が腕を掴んだのだ。思いも寄らない事態に腕を振りほどく事さえ忘れてしまった。
「は?」
三度目となる呟きと重なるように、がしゃん、と錠のかかる音がした。退路である部屋の扉が閉まり、閉じ込められたのだ。追っ手が追い付いてしまったのだろう。
扉の外では、「ドロボウ猫を捕まえたぞ!」と叫ぶ男たちの声。それに混じって、ランシェロの声も聞こえた気がした。
どんな鍵でも開けられるが、開けたところでおそらく見張りの前へ出る。戦闘能力の低いクロードでは、まさに飛んで火に入る、状態である。
四階とはいえ、窓から逃げることは可能だが。
ちらりと見たのは少女の指で光る指輪。
(さすがにこいつを連れては逃げられねー)
あくまで目的は指輪である。
奪い取るなり指を切り落とすなりしてしまえばよいのだが、クロードにはそれができない。
(約束だからなあ)
今を壊したくないクロードたちは人を傷つけないというレクトとの約束を律儀に守る。
一息ついてしゃがみ込み、少女に視線を合わせた。
「なあ、その指輪、俺にくれないか?」
精一杯のお願いだった。
少女はクロードを上から下まであからさまに見て言った。
「あなた、この屋敷の人間じゃないわね。その猫のお面……”ドロボウ猫”?」
「だったら?」
「やっぱりこの屋敷は悪い奴らのアジトなのね。……この指輪、欲しいならあげるわ。だけど助けてほしいの、ここから出して」
正義の味方扱いに、面の下で苦笑した。クロードとランシェロがしていることは間違いなく泥棒で、法に照らせば悪事に違いない。度重なる所業は罰金どころでは済まされず、刑務所行きなのだ。だから彼らが日の目を見ることはない。
余計な考えを振り払って、少女をよくよく見てみれば素足に鎖が繋がれている。おそらく”商品”なのだろう。
この屋敷の主であるコンフォート伯爵のことは知らないが、レクトの依頼である。焼失させた店のこともあり、全容がなんとなく想像できて顔をしかめた。
「あは、俺はただの泥棒なのに?」
「……ええ、一度も失敗したことのない、でしょ?」
「よく知ってんじゃん。そうだな、じゃあこうしよう。俺にその指輪をくれたなら、お前が逃げる隙を作ってやる。俺にはお前を運ぶ力はねえし勝手に逃げろ」
どうだ、とクロードは提案した。
ターゲットの指輪は手に入るし、どちらにせよ自分も逃げなければならない。屋敷内はまた騒ぎになるはずだ。一層目立つように逃げてやれば、この少女一人逃げ出したところで誰も気づかないだろうという算段だ。
しかし、図々しいことに少女は納得しなかった。
「無理。私も連れてって」
「は? 運ぶ力はねえって言ってるだろ」
「だってこの指輪抜けないもの」
指輪が嵌る、よく手入れされた指先を少女は突き出した。クロードは凝視し、指輪を引っ張ってみる。びくともしない。
「おい! 聞いてないんだけど!」
思わずといった感じで天井に向かって吠えたのは、金髪の依頼主への苦情であった。
しかし自分への怒りだと思った少女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ここの屋敷の人たちにも引っ張られたんだけどね、やっぱり抜けなくて。売るのは諦めたみたい。私には傷をつけたくないみたいだったし」
つまりターゲットである指輪を回収するためには、この少女もまた連れて行かなければならないということである。
クロードは不愉快を隠そうともせず毒を吐く。
「ちっ、またこんなお荷物が」
「ちょっと! お荷物って! かわいい女の子でしょ!」
「うへえ。いい女は自分でそーゆーこと言わないから。それにそもそもお前は女じゃない」
一人じゃなくなったことに安心したのか緊張が少し解れ、少女の表情は柔らかくなった。しかしそれを叩き折るのがクロードだ。
「いいか? この世の人間はすべて、俺、シロ、女、それ以外に分類される」
「え、ええ」
「で、だ。女ってのは、こうボンキュッボンじゃなきゃ女じゃねーの。わかる?」
少女は寂しい胸元を見下ろした。
しばらく沈黙があった後、キッとクロードを睨みつけた。
「失礼じゃない!? 私だって、もう少し、大きくなる予定だし!」
「うんうん、だからな? 女うんぬんってのは育ってから言ってくれる? 今から育つのかどうか知らねえけど」
「うう! なんなの! なんなのよ、あんたはー!」
「ああ。ちなみに今のは俺の持論であって、その他の人間にまで強要するものではないから、あしからず。ま、どーでもいいけど」
囚われた人間とは思えない気楽な様子で軽口を言い合っていると、大きい足音が近づいてきた。捕まえた”ドロボウ猫”の片割れを見に来たのか、それとも”商品”の様子を窺いに来たのか。
少女は心配そうに顔を歪めた。
「いいの? ”ドロボウ猫”なんでしょう。そのお面。……顔、もし見られちゃったら」
「あー? 別に平気だろ。たぶん」
怖いのかと思ったが、どうやら違ったらしい。自分も捕まっているくせに泥棒の心配なんかしてる場合か、とクロードは呆れるばかりだ。
ガチャガチャと錠の音が響いた後、盛大に扉を開けて入ってきたのはムキムキの筋肉を露わにした男たち。戦えますよ強いですよと言わんばかりの風貌の男を引き連れていたのは、屋敷の主、コンフォート伯爵だった。
指示を受けた筋肉男はクロードの手を背中できつく縛り上げた。少女の予想は的中し、コンフォート伯爵はつかつかと近づいてきたかと思うと猫の面を剥ぎ取った。
鬼の首を取ったような顔だったが、みるみる呆けていく。
「ほらな。俺、見目麗しいからあ」
大丈夫だったろ、と心配していた少女ににやりとしてみせたが、彼女もまた少し呆けていた。
しかし、コンフォート伯爵は気に食わなかったようである。目の前の銀色の髪を掴んで捻り上げた。見目麗しい顔が歪むのを見て、にやにやと笑う。
「黙れ! しかし、確かに金にはなりそうな」
嫌そうな顔を隠そうともせず、クロードは皮肉げに言った。
「俺を売るのか? 言っとくけど人身売買は違法だぞ」
「それも悪くないと思ってきたところだ。法なんてもの、どこぞの誰かが勝手に決めたにすぎない」
「つまり、俺をここから出してくれるということか?」
「安心しろ、逃げられないところに売っ払ってやるさ。忌々しい、この美しい顔立ちが好きだという客はたくさんいるからな」
ひっひ、と引き攣ったように笑った伯爵の顔は、潰れたカエルのようである。さぞかしモテなかったんだろうなあとクロードは思い、憐れみに近い視線を送る。
「なんだ! その目は! お前らはいつもそうだ。気分が悪い! 手は縛ったな。部屋に鍵をかけて見張れ。仲間がいるはずだ。厳重にな!」
コンフォート伯爵はクロードを力の限り突き飛ばした。埃を払うように手を鳴らし、大きな足音を立てながら出て行った。指示に従った筋肉男も、少女同様にクロードにも鎖を掛けて去っていく。
部屋には再び、ランシェロと少女だけである。
「ごめんなさい。……一人なら、逃げられるんでしょう? 本当は」
言い当てられて目を瞠った。
見張りがいる扉からの脱出は困難に違いなかったが、窓から逃げ出すだけであれば可能だった。
お荷物など置いて行きたいのは山々だが、そうもできない。
「……俺たちは”ドロボウ猫”だぞ。狙った獲物を置いて、しっぽを巻いて逃げられるわけねえの」
「指輪が抜けたらよかったのにね」
今回のターゲットは指輪であり、少女は不要である。
「ちっ、次そんなこと口に出そうものなら、指ぶった切って貰ってくぞ。……それにこれはたぶん抜けないことが前提で……いや、お前に言っても仕方のない話。お前は全身全霊で大人しくして俺らに盗まれればいいの」
「でもどうやって? 私、足手纏いになっちゃう」
自身の力量はきちんと把握していたようである。
無鉄砲ではないことに少しの好感を覚えたもののそれを示すことはない。
「手の縄を切ってくれないか。ああ、っと、ほらこれで」
靴の隙間から小さなナイフを出した。それを指しながら、縛られた手首を見せる。
目を輝かせていそいそと切り始めた少女を面白そうに眺めた。
「あいつらも馬鹿だなあ。泥棒だぞ。いろいろ仕込んできてるに決まってんじゃんね」
自由になった手をぷらぷらと振ってから、自身の鎖をあっさりと解錠する。
次いで少女の足も自由にしてやると、丸々とした目がクロードを見た。
「すごいのね! 開けられる気なんてしなかったのに!」
自分でもいくらか試してみたのだろう。尊敬のような眼差しで見られると妙に居心地が悪い。
咳払いののち「ま、泥棒だからなあ」と言った。
少女は久しぶりの解放感を味わった。手足を伸ばして、小さく飛び跳ねて、自由を噛み締めるように喜んだ。
「この部屋からはどうやって?」
脱出するのか、と少女は尋ねた。
身体の枷はない。部屋から、屋敷から脱出できれば完全に自由である。
しかし何度も言うが、クロードには正面から戦う力はない。部屋の鍵は開けられるが、出て行ったところで力負けするのは明らかだった。
とん、と窓際の壁に寄りかかり、足を組んだ。
「そりゃあ、シロが助けにくるだろうさ。あいつは俺の保護者で、俺がいないとダメなんだから」
そう言ってじっと扉を凝視する。
クロードには視えていた。そこから飛び出してくる、今にも泣きだしそうな顔のランシェロが。
「あは、俺には未来がわかるんだよね。……くるぞ」
そう言ったすぐ後に、勢いよく開かれた扉。
顔を出したのは筋肉男でも伯爵でもなく。
「クロ……!」
お面をしたままでもわかる。涙目のランシェロに違いなかった。
長身の彼からのハグを甘んじて受け入れ、安心させるように背中を叩いた。ランシェロは傷もなく落ち着き払った姿を確認すると、すぐに立ち直った。感情を乱した様子もなくクロードの状況確認にすらすらと答える。
「敵は?」
「見えた相手は倒しています。けれど集まってきてはいるでしょうね」
「……レクトは?」
「煙が上がるでしょうから、待機しているでしょう、いつも通り」
「だよな」
ランシェロには特殊能力があった。
クロードと頷きを交わした後、身体に沿ってゆらりと空気が歪む。
「え? 熱い……?」
少女にはランシェロがほんのりと光に包まれたように見えた。
「近づくなよ。溶けるぞ」
ランシェロは高温の熱気を生み出せた。それは周囲を燃やし、鉄をも溶かす。一気に外へと力を放てば、店の一つや二つ、あっという間に焼失させられる。
ただ決して望んだ能力ではなく、本来現れるはずのない能力で。上手く制御ができないこの力のせいで、昔の仲間からは欠陥品と疎まれ、捨てられたほど。
しかし。
ランシェロは懐から黒い銃身に金の装飾が施された銃を取り出した。す、と流れるように構える。
この銃はランシェロのために作られた特別製で、放つのは銃弾ではなく、身に纏った熱気。
これを手にしてからというもの、明確に銃弾をイメージできるからか、ランシェロは格段に力を制御できるようになっていた。
ただまだ完全にとはいかず、ランシェロが鬱憤を晴らすようにそれを使用する時、毎回大きな爆発を伴った。
ランシェロの武器は強力ではあるものの、あまりに派手で、泥棒としては逃走するときにしか使えないのが弱点である。
「おい! ユビワ! 来い!」
「ちょっと、ユビワって私のこと!?」
差し出された手に自身の手を乗せて、少女は文句を言いながらも笑みを浮かべていた。
どのくらいの間捕まっていたのかクロードたちは知らないが、ようやく家に──それも無事に、帰れるのだ。嬉しさと安堵によるものに違いなかった。
銃を構えたランシェロは怒りのままに力を溜めて。
──発砲した。
爆発の瞬間、窓から飛び降りる。
少女の手はクロードからランシェロへと移り、塔から救い出されたお姫様のように、抱きかかえられて屋敷を脱出したのだった。
◇◇◇
次の日の新聞には、コンフォート伯爵の事件が大きく取り上げられた。見出しには大きく「ドロボウ猫参上」と書かれてある。
伯爵は幼い子供や見目の良い少年少女を誘拐し、人身売買をしていた。最近起きていた少年少女失踪事件の犯人は伯爵に金を掴まされた者たちの犯行だった。帳簿に売買の日付や”商品”の特徴、売買先などが残されており、救出に向かうのだという。
伯爵家から脱出してきた少女をたまたま近くを巡回していた近衛隊が保護し、発覚したらしい。新聞に掲載されていた写真の少女の指には見覚えのある指輪があった。
読んでいた新聞を机に投げ捨て、レクトは美しい双眸を細めて微笑んだ。それは見る人が見れば舞い上がって天にも昇る気持ちを味わえると噂の表情だったが。
「なあ、毎回毎回やりすぎなんだがなあ。その辺どう考えているんだ?」
レクトの目の前で視線を逸らす二人組にとっては、魔王の微笑であった。
コンフォート伯爵家は全焼しなかった。他に囚われた人間がいるかもしれない状況だったからというのもあるが、面を被ったランシェロの制御の賜物である。ただ、やはりクロードがいた部屋だけは一室丸ごと消え失せていた。
「あ、あは、あれはレクトが悪いでしょ。指輪に人間ついてたし。そんなこと聞いてねえし」
「──ああ。でも人間は、”専門外”だと抜かすだろう? だからあえて物品にした」
いけしゃあしゃあとレクトは言い切った。
「誘拐された人間の中に、ちょうどいいのがいてな」と続けたレクトは思惑通り指輪付きの少女を連れてきたことに満足げだ。
「ああ、クロード、コンフォートに顔を見られたそうだな」
「あーうん。どうにかなるでしょ?」
全く危機感がない様子で首を傾げると、レクトもまた余裕な表情で見返した。
殺されるのか、幽閉されるのか、記憶を消されるのか。クロードのあずかり知るところではないが、どうにかできるのだろう。
顔を見られた人間たちは残らず、近くを見回っていた近衛隊によって捕らえられたのだ。
「本当に、君たちにはいつも肝が冷えて、面倒を増やされて、頭痛は消えない……だがいつも助けられる」
にやりと悪い顔で微笑むレクトを見て、二人もまた口の端を上げた。
「なあ? 手癖の悪い鍵師に、見捨てられたカゲよ」
鍵を自在に開けられる才能と、お宝への嗅覚。クロードは金持ちの家へ忍び込んでは金品を盗みまくっていた。隠密行動ができずカゲを追われたランシェロとの生活費をそうやって賄っていたが、レクトに見つかってしまったのだ。頼まれてというか脅されてというか、刑務所行きの代わりにとこの仕事をするようになった。悪事の証拠を盗み出す、健全な「王子からの盗みの依頼」である。
レクトからの依頼は思った以上に面白く、逃げようという気も起きない。
「あっは、それを側に置く王子様ってどうなの」
「わからん。──わからんが、貴族どもの悪だくみを根絶やしにできればそれでよい」
何度も聞いたレクトの願い。
やれやれといった表情でクロードは肩をすくめ、ランシェロは姿勢を正した。
レクトに手を貸すことを決めた日に、それは二人にとって目的となったのだった。
◇◇◇
「ねえクロ」
「──呼び方。なんだー」
クロとシロは本来の呼び名。
昼間自由に動けるようにとレクトが用意してくれたのが、クロードとランシェロである。ご丁寧に、若干響きは残してくれていた。
「ああ、クロード。送り届けてきたあの指輪の少女に、やっぱりスタイル良しの豊満ボディじゃないと女じゃないの? と聞かれたんですが」
「あっは! 聞いたんだ、笑える。で、なんて答えたんだ?」
あほらしいやりとりを想像してにやにやと笑う。ただ、ランシェロの答えが気になったのも事実で、心の中で「いいねユビワ」と親指を立てた。
「……ふくよかさの程度は個々の特徴に過ぎませんからそれで性別が左右されることはありません。生物学上、もしくは本人が女性だと主張されるのであれば女性だと思います、と。何故か怒っておられましたが」
「特徴て。女には、どんな君でも素敵だよとか言っとけばいいの。俺はしないけど」
「ええ、次は挑戦してみましょう」
「……ランシェロの顔は綺麗だからなあ、ころっといってくれる女はいると思うよ」
「クロードの顔には劣るけど、でしょう」
「よくわかってんじゃん」
世間で噂の”ドロボウ猫”は、白昼堂々並んで歩く。
次の依頼があるまでは、今回の報酬を手に、ネコさながら街をぶらつく二人である。