オアシスへ行こう
「楽しいことないかな」
そう思っているだけで楽しくないことがわかる
意識していなくてもわかる
心が砂漠化して味気ない状態だ
地球上には80億人近い人がいる
エネルギー保存の法則から考えると
エネルギーの総量が変わらないなら
40億人が幸せで、40億人はそうでないことになる
心が砂漠化している人がいるということは、誰か心がオアシスである人もいるはず
どこかで喜劇を見て笑っている人がいれば、悲劇を見て泣いている人もいるだろう
ただ、同じ場所にいないのでお互いが気付かないだけ
現に電車の隣同士に座っていても知らない者同士なら気付かない
昔のように自然発生的に会話が始まることはない
今では声でもかけようものなら変な人扱いされるかもしれないし、異性ならば犯罪者の嫌疑をかけられそうだ
数十年前は電車の終電を降りて徒歩での帰宅途中は暗い夜道を知らない者同士で途中までとしても妙な連帯感のある距離感でそれぞれの家へ向かった
今は誰かの後ろでも歩こうものなら危険人物と思われるかもしれない
心が砂漠化しているのは自分ひとりだけでは無いということなのだろう
毎日知らない人と出逢っているのに、それだけで終わり
出逢いすら覚えていない
たまたま、スーパーのレジで前に並んでいた人が、じゃがいもとにんじんとたまねぎとカレールーを買っているのを見ても、ああカレーを作るんだなぁと思うだけで、自分がそれをご馳走になることはないだろう
そして自分が缶ビールを2本と鶏の唐揚げとソーセージの盛り合わせとスモークサーモンのオードブルセットを買っているのを後ろに並んでいる人が見ても一緒にパーティをすることはまずないだろう
でも、きっと誰かとビールで乾杯してオードブルを食べたあとにカレーを食べたほうが楽しい気はする
近所の神社の夏祭りに友達と出かけて行って、全然知らないカップルが手をつないで歩いているのを見ると羨ましいけれど、友達と手をつなごうなんて気には絶対にならない
やはり組み合わせと言うのは大切なものだ
来年の夏祭りこそはと何年もの間毎年妄想を続けたこともある
そうするうちに友達の方が一人また一人とどんどん実現していき何度も先を越された
男性だからとか女性だからとか言う前に、一息飲んでから発言しないといけないようにどんどんなってきている
特段何も発言に意図はないにしても過失でしたでは許されないこともある
これだけ多くの人がそれぞれの価値観で生きていて、なおかつその考えを認め合うと言うのは凄いことだとつくづく思う
黙っている方がいいか
「沈黙は金なり」
その後意図が伝わらずに誤解でしたと揉めるのも本末転倒だと思う
長寿とは長生きであるという意味で、長いことを祝うということだけのこと
でも、本当に長寿と言うにはずっと幸せでないといけないと思う
ずっと幸せであってこそ長寿って言っていいんじゃないだろうか
それが前提の気がする
残された人生はいらない
そんな上から目線で恩着せがましい時間なら不良老人になってやる
いつかは寿命も尽きる、百も承知だ、だから残った人生の方がいい
残った人生は自分で生きていくから
いつも自分次第だ
子供の頃10円の経済学を学んだ、毎日親からもらう10円玉を握りしめて駄菓子屋へ行く
その10円を何に投資すればその日を最もご機嫌に過ごせるか
限りある資産の運用方法を子供心で学ぶ
そしてその経済学で学んだことが後に実を結んだこともある
それは大人買いができるようになって心からの幸せを得られた
とてもささやかだけれども
家電話が携帯電話に置き換えられてから秘密が増えた
まず家電話は必ずその家がある証明になるけど
携帯電話はどこに居るかは不明だ
履歴書に携帯電話の番号だけ書いても疑問を持たれなくなってきている不思議
本当にそこに住んでいるのだろうか?
銀行の普通預金に年2回の預金利息があるけれど毎回1円ずつしかつかない
このままだと一回の時間外の引き出し手数料110円を利息で取り戻すには55年の歳月を要することになる
すでに人生が終わったあとのことだと知る
この国では人生かけても預金利息は取り戻せない事実がとても感慨深い
テレビで有名人が叩かれる
同じ人間なんだからそんなことしてもいいじゃないの?と思うことも多々ある
しんどい世界だ
有名人でなくてよかった
でも、多かれ少なかれ知り合いがいるならば、その中では誰もが有名人だ
テレビに出ないだけでいつも気にかけられない気楽さに感謝しよう
一生懸命やっていますと堂々と言う
かもしれないけど、そんなの知ったことではない
伝わってこなくては意味がない
その波動が伝わってきて初めて感動するものじゃないかな?
よくインタビューで聞くのだが
「これからも頑張っていきたいと思います」
「そうなりたいなぁと思っています」
何故?
「これからも頑張っていきます」
「そうなりたいです」
と言わないのだろう?
回りくどい言い方はききたくないと思っています
明日が普通にあることを普段意識していない
せいぜい明日は嫌な定期試験があるとか
あの店のご馳走で宴会する日だとか
意識するのはそういう決まった予定の時ぐらいだろう
そしてその嫌な定期試験もあの店のご馳走で宴会することも明日には普通にやってくると思っている
この目隠しは宇宙が与えてくれている優しさなんだな
キャラバンは砂漠を歩いて通過したが、砂漠自体をなんとかしようとはしなかった
なんとかできるレベルでないことを知っていたから
それよりその中でどうやって目的を達成するかに知恵を絞った
自分の心の砂漠を自分自信がキャラバンとなって進んでいる
この砂漠はなんとかできるレベルなんじゃないかな?
そう思う自分がいるならまだ救いようもある
傷つくことを恐れずに進もう
傷ついた時に降る心の雨がオアシスを創ってくれる
なんでも上手くいくと輝きが増し照りつけて砂漠化は広がる
でも、本当に救われるのはオアシスなのだから