プロローグ
こちらが最初の章です。
「結局さ、どこかで踏ん切り付けないといけないと思うんだよね。時間は限られているんだし。ってちょっと聞いてる?」
秋斗は自分がぼうっとしていたことに気が付いた。
コーヒーをかき回す手を止め、顔を上げる。
「昨日は何を読んでいたわけ?」
「青山太郎」
なぜか夜中にミステリー小説を読み始め、次の日は眠気と格闘し続けるのは
秋斗の週末の恒例だった。昨夜読んだのは、主人公の若手ポンコツ刑事が、
人間よりも賢い芝犬とタッグを組み難事件を解決する長編シリーズものだ。
頭が悪いながらも前向きな刑事と、刑事に振り回されながらもサポートする
芝犬の名コンビは秋斗のお気に入りだ。
「それ学生の頃から読んでるじゃん。よく飽きないねえ」
「続編が出続けるんだから仕方ないだろ。面白い作品を作り続けられる青山は天才だね」
「あなた昔のやつも読み返してるでしょ」
向かいに座る英梨が言い返す。
大きな瞳をわざとらしく細め、唇の端を歪めていた。
黒く長い髪を後ろで束ね、前髪を横に流していて涼しげな印象を受ける。
「よくそんなテンションでいられるよねえ。絶世の美女とおしゃべりしてるのに」
「美女?どこ?」
「おい」
英梨がまた顔をしかめる。二人とも長い時間真面目な話を続けられない性格で、
隙があれば使い古した軽口に走るのだった。
「で、何の話だっけ?」
「あなたの親友が結婚しますよって話」
英梨から婚約の報告を受けたのはちょうど一週間前のこと。
LINEで突然告げられ、頼んでもいないのに詳しく話すと言われて呼び出されたのが今日だった。
「わざわざ会って話さなくてもさ、心配しなくても御祝儀くらい包みますって。二千円」
「突っ込まないよ。て言うか、私が話を聞いて欲しくてよんだの」
「だからってわざわざここまで来なくてもなあ」
「わざわざわざわざうるさいなあ」
青山通りから少し横道に外れた先、人通りもまばらな道の端にあるカフェに二人はいた。
コンクリート打ちっ放しの建物に明るい木目のインテリア、
大きな窓から差し込む自然光だけで十分明るいからか照明は少なめ。
席の数は少ないが、その分スペースには余裕がある。
二人が学生時代から通う定番の場所だった。
英梨が彼氏、つまり現婚約者と横浜で同棲を始めてからも、
秋斗は仕事をしにやって来ては長時間居座っていた。
最後に二人で来たのはいつだったか。とぼんやり記憶を辿る。
「また遠い目をしてるよこの人。だめだこりゃ」
「煙草が全てを解決するよ」
「健康と引き換えにね」
秋斗が店の外に出ると、英梨は自分の鞄から読みかけの小説を取り出し、読み始める。
「やっぱり私なら芝犬は喋れる設定にするなあ」
続きます。