57話 軽々しく命を狙うんじゃない
カツン、カツン、カツン。
「ごきげんよう、堕ちた乙女」
「……っ……!」
ひっと、張り付いたような悲鳴を上げ、ティアが顔を強ばらせた。
「なんで、あなたが……ここに……、メイベルン様……」
「くふふ」
――セレス?
あの嫌な感じはセレス?
でもおかしい。
扉が開く音がしなかった。
近づいてくる気配を感じなかった。
いきなり、パッと出てきた感じ……。
「ねぇ、ティア。わたくし、別に貴方のことは嫌いじゃないの。だから、過剰なざまぁはしたくないと思っているのよ? 貴方が素直に、それを渡してくれれば、ね?」
それとは――きっと、私……手鏡のことだ。
「仰る意味が、分かりかねます。それに、この手鏡は大切なもの……どなたであっても、渡すつもりはありません!」
私を守るようにしっかりと鏡を握るティア。
だけど、顔色が悪い。
セレスに対して、私やルヴァと同じように、なにかを感じているのかもしれない。
でも、浄化が使えるティアが……属性的には聖であるティアが生理的嫌悪とか恐怖を抱く存在って……――。
「もう堕ちてしまったあなたには分からないだろうけれど、それはよくない存在なの。その鏡の中にいる者が、この世に存在していると世界が大変なことになるのよ? 滅びてしまうんだから。分かっているんでしょう? そこにいる奴が、邪霊だって」
「違います! 精霊様です! 精霊様はよい方です! 私たち人間を見守って下さる――」
叫ぶティアに対して、子供の駄々をなだめるような口調でセレスが続けた。
「可哀想な娘。……あなたが信じているだろう国守の女神は、とうの昔に鏡の中の邪霊に食い殺されて消えたわ。本来生まれるはずだった次代の国守も、そう。か弱い存在だったから、為す術無く食べられてしまって……その光景を目の当たりにしたルヴァイドは、鏡の邪霊の魔力に囚われてしまった。分かる? そいつは、不幸を振りまくの」
なるほど、なるほど。
完全なゲーム知識だ。
「渡して。国を滅ぼしたいの、ティア」
「……っ」
「わたくしが、真の聖なる乙女として、全てをよきようにしてあげるから」
「よきよう、ですか?」
「ええ、そいつが完全に復活するまえに、鏡を砕いてやるわ。実体化できないってことは、それで完全に、殺せる」
笑いを含んだ声がして、ティアが身をすくめた。
「だから、ティア、そいつをこっちに……」
「――い、いや……! あなたなんかに、大事な友達は渡さない!!」
らしくない大声と同時に、ティアが走った。
「ティア……!」
「大丈夫、大丈夫ですミラ様! 私が守ります、絶対に、お守りします……!」
胸に手鏡を抱え、ティアは温室を飛び出す。
セレスが追ってくる気配はないけど……諦めるとは思えない。
だって、彼女は言った――自分が真の聖なる乙女になるって。
つまり、ティアの立場に取って代わろうとしている。
まだ、存在しない立場を乗っ取ろうとしているなんて、馬鹿げた話だけど……殺すと言った時に滲んだ感情は、本物だった。
彼女は、私を殺すことを喜んでいる。
それを敏感に感じ取ったからこそ、ティアはあの場を飛び出したのだ。
息を切らせながら、ティアが走る。
行き着いたのはいつも来ていた裏庭で……そこには慣れ親しんだ、ずっとそばにいた気配を感じた。
それから、遠のいていく……なんか、気に食わない気配。
「ルヴァイド様!」
「ティア?」
驚いたような、ルヴァの声。
ティアの表情が安心したように緩んだ。
「なに……ティア嬢だと!?」
遠のいていくはずだった気配が、だだだだっともの凄い勢いで戻ってきて、彼女の名前を口にする。
ティアは、ソイツの声を聞くと同時に姿も見たのだろう。
鏡の中から見上げたティアの表情は、安堵から一変、凍り付いた。
「ジルベルト殿下……」
絶望に満ちた声だった。




