54話 振りかざす正義に真はあるか【ルヴァ】
裏庭に立って、入学してからの日々を思い出す。
煩わしいこともあったが……自分はひとりではなかった。
信頼し合える友がいたし、尊敬できる師がいた。
ひとりだったら耐えられなかっただろうが、周りの人に恵まれたと思う。
なにより、大切な存在がそばにいてくれた。
そんな日常を、これ以上乱されてはかなわないから……。
「鏡を渡せ、ルーカッセン」
――挨拶も飛ばし、用件だけを告げる声が背後からした。
来たか、という思いで僕が振り返れば、想定通りの人物が立っていた。
「殿下、お一人でこんなところへ?」
「それは君も同じだろう、ルーカッセン。メイベルン嬢が、君がここに向かったと教えてくれた。人目を避けて、なにをしている」
揺り籠である手鏡を邪霊の宿る魔道具だといい、僕は操られていいように動いている手先……そんな話をべらべらと続ける殿下は好きなだけ喋らせるとしよう。
それよりも気になるのは、僕の行き先を知っていた点だ。
人気の無い裏庭――ここに向かうことなんて、誰にも伝えていない。
にもかかわらず、あの令嬢は僕の移動範囲を正確に把握している……気持ちが悪いほどに。
(やっぱりあの女、なにかある)
肌が粟立つような嫌悪感――過去に似たような覚えがあった……そう考えていると無視をされたと思ったのか、殿下が声を荒らげた。
「人の話を聞いているのかルーカッセン!」
無視をされたと思った――それは半分正解だ。
聞く価値のない戯言だと、僕は彼の話を聞き流していたから。
だが、全く聞いていないかといえば……そうではない。
たとえ、どれだけ的はずれて下らない話だろうと、希に有益な情報が混じる。
「手鏡を渡せ、あれは邪霊の宿る魔道具で、私はそれに操られ、ティアのことも巻き込んだ――きちんと聞いております」
「っ……ああ、そうか、それならば、反応するべきだろう!」
「大変興味深い内容でしたので、つい深く考察してしまい……申し訳ありません、殿下」
聞いてはいたが、薄っぺらくて笑ってしまう。
――普段なら、適当に相手をしてやり過ごすが……今回はそうはいかない。
この男は……いい加減邪魔なのだ。
「ですが、殿下のお話にはいささか疑問が残ります。私の手鏡に邪霊が宿るなど、なぜそのような世迷い言を? あれは母の遺品ではありますが、元はただの手鏡です。子供の頃、魔力の使い方を学ぶためにと用意したさい、危険な気配がないか師が確認して下さったので、断言できます。――あれに魔力を流し、どんなものか認識する……基本を欠かさないため、私は今も手鏡に己の魔力を込め、流れを確認しています。それが、先日おっしゃった妙な気配の正体ではありませんか?」
「……今日はよく口が回るな、ルーカッセン。普段は、私が声をかけるとすぐに切り上げるくせに。知っているか? 都合が悪いときほど、人というのはよく話すのだ」
ニヤリと勝ち誇ったように笑う殿下。
馬鹿が、と吐き捨てたいのを抑える。
僕がいつも早々に話を切り上げるのは、貴方の話に内容がないからだ。
薄っぺらい話題に追従して愛想笑いしてもらいたいのなら、そういう相手を選べばいい。
第二王子に気に入られたい人間なら、学園を探せばいくらでも出てくるだろう。
そして、僕が今、話を切り上げずにいるのは――お前のことがいい加減目障りで鬱陶しいからだと、なぜ分からないのか。
お互い嫌い合っているのなら、干渉しないのが筋だろう。
それなのに、吹けが飛ぶようなひらひらした正義感で、触れてはいけない話題に踏み込んでくる。
なにも知らない。
なにも知らされていない。
それこそが、ジルベルトという王族に出された答えだというのに。
「私に後ろ暗いことなど、ありません」
「邪霊は? 君の母上の所業、知らぬと思ったか」
「――……父からお聞きになったのですか?」
「ああ、そうだ。たいそう嘆いておられたよ。君は途中までは被害者だったのかもしれない。だが、分かっていて邪霊に従い続けるのは……立派な悪だ」
――ああ、本当に。
「……笑えるな」
「なんだと?」
正義に酔ったジルベルト殿下の顔が、ぴくりと不快そうに痙攣した。




