第6話:王子とサンドイッチ
マコトは悩んでいた。
普段それほど深刻に思い悩むことはないのだが、だからといって本当に悩みがない訳ではない。
危険を伴うような問題であれば、どうということはない。
自分の力でどうとでも対応出来るからだ。
だが危険はないが、正しい解決法を知らない…そして誰も教えてはくれない問題は別だ。
「まいったなあ…」
「どうしたのマコト?」
「あー、ライザ…」
「何か悩みごとなの? もしよければ話してくれないかしら?」
自分を助けてくれた恩人であり、実質的な庇護者ともいえる年下の少女が珍しいくらいに悩んでいるのを見たライザは、何か自分に出来ることはないかと思ってそう言っていた。
「うん、実はね……お弁当のメニューをどうしたらいいのかって思ってさ」
「…え? お弁当?」
「うん、ボクの食べるお弁当ならいいんだけど…そうじゃないから」
「…もしかしてヴォルフ…殿下に食べて頂くものを?」
無言でこくんとうなずくマコトの横顔は、どこか赤らんでいるようにライザには見えた。
(そんなにも想っているのならどうして…)
ライザも二年前の動乱で活躍した『勇者』の噂は聞いている。
刺客に追われ、絶体絶命の危機にあったヴォルフ王子の命を救い、王子を護りながらついには王国の内乱を回避させた功労者…にもかかわらず、何の地位も求めずに王宮を去った英雄。
目の前の少女がその人であるという事実を、ライザは今一つ受け止めかねていた。
(きっと幾多の危難を越える内に、殿下と互いに想い合う仲になったのね。それなのに動乱が収まったと同時に王宮から出てしまうなんて……もしかしたら殿下との身分の差を考えて、自分から身を引いたのかしら?)
そんなライザの(ややロマンチックな)想像を他所に、マコトの思案は続いていた。
「そもそもヴォルフってば、ボクの作った食べ物なら際限なく食べちゃうからなあ…」
「え…?」
「やっぱり量も抑え気味にして、出来れば消化のいい…どんな物がいいかなあ?」
どう考えても恋人に料理を差し入れる乙女ではなく、食べ盛りの腕白坊主の食事量を懸念する、母親か姉の言葉にしか聞こえなかったのは、決してライザの耳が悪いのではないだろう。
「殿下、先日捕縛された暗殺者に関する報告書でございます」
「ご苦労、それでボーマン伯の方はどうなっている?」
側近を務める宰相補マーベルが差し出した報告書に目を通しながらそう言ったのは、この王国の第一王位継承者ヴォルフ王子であった。
二年前の動乱を鎮めた功労者の一人を暗殺しただけでなく、王国と、それ以上に自分にとって命の恩人でもある『勇者』までも暗殺しようとした男とその背後…王子にとっては、決して見過ごす事が出来ない事件だった。
「恐れながら殿下…ボーマン伯の捕縛に関しては、未だ決定が下されておりません」
「なに?どういうことだ?あの男の捕縛に関してはレイス公やアルスター候も賛同していたはずだぞ?」
「陛下と宰相閣下が未だ決定をされておりませんので…」
それを聞いたヴォルフ王子は、顔に怒りの色を見せた。
「…俺とお前の父親たちは、揃って恩知らずのようだなマーベル?」
「殿下!お言葉が過ぎますぞ!!」
いかに王子といえど、国王と宰相(王子と自分の父親たち)を侮辱する発言を許す訳にはいかないと、マーベルは声をあげる。
だが、そんなマーベルに冷ややかな視線を向けて王子は続ける。
「お前、自分が今こうして王宮の中にいるのが、当たり前だとか思ってないか?」
「な…!」
「言っておくがな、俺もお前もそして宰相や親父も、あの動乱の中で国と一緒に死んでいても不思議ではなかったんだぞ?」
「そ!それは…!」
「二年前、この国は割れようとしていたんじゃない…滅びかけていたんだ」
ヴォルフ王子の確信を込めた言葉に対し、マーベルは反論出来なかった。
二年前、この国は二つの派閥に割れて、内乱寸前の状態だった。
もしもヴォルフとレイス公が、共に手を携えて事態を鎮静化させなければ、本当に内乱が勃発していただろう。
その結果が何を招いただろうか…?
おそらくは国家の二分どころではない、四分五裂となった国土を周辺国によって奪われ、王都もまたいずれかの国によって占領され、王家の人間や重臣たちも殺された可能性は高い___
そうなる可能性は十分にあったのだとマーベルにも分かってはいた。
「その愚かな結末から国を救ってくれたのは、一体何処の誰だと思ってるんだ?」
「もちろん、あなた様やアルスター侯爵様、そしてレイス公の御尽力による物と…」
そこまで言ってマーベルは口を閉ざした。
王子の自分を見る目が苛立ちや怒りではなく、哀れみと蔑みに変わったことに気づいたのだ。
「なるほどな…お前たちにとっては、身分が低い人間の働きなど勘定に入れる必用すらないという訳か?」
「いえ…ですが…」
「彼女…マコトとあの大賢者が言っていたぞ? 身分の低い人間が国のために献身するとしたら、それは王家や貴族のためじゃない。 自分の祖国にまだ存続してもらいたい…その価値を認めているからであって、王家にそれを護る力と意思がなければいつか誰も王家や貴族に献身する人間などいなくなる…とな」
「ずいぶんと不遜な意見ではありませんか?」
「どこがだ? 全くの正論だろうに?」
「殿下!」
「あの動乱の時、この国の王家と貴族共は自分たちの保身に囚われ、肝心の国その物が崩壊寸前になるまで気付きもしなかった…それを食い止めるために力を尽くしてくれたのが騎士ドーブやハルツ、そしてマコトたちだ」
「……」
「その功労者たちに対してろくに報いもしなかっただけではなく、一人は殺されもう一人の命も狙われたというのに、下手人を野放しとはな!」
「お言葉ですが下手人は既に捕縛されております」
「命を狙われた当の本人によってな? それでそいつに暗殺を命じたボーマン伯をどうするつもりなんだ、親父と宰相は?」
「それは…」
「どうやら自決するまでの猶予を与えるおつもりらしいですぜ? 陛下と宰相閣下は」
突然割り込んで来た声にマーベルは驚いて振り向き、ヴォルフ王子は溜息で応対する。
「親父に聞いてきたのか、ハルツ?」
「いえいえとんでもない、ここに来る途中で第一騎士団長殿と立ち話になりましてね…その時に上のご意向を耳にしただけですよ」
無断で部屋に入って来た無礼に悪びれもせず、王子もそれを咎めない在り様にマーベルは頭痛をこらえる表情になる。
そんな宰相補の様子を横目で愉しそうに観察しつつ、ハルツは説明する。
「俺や殿下より先に、あの騎士団長殿ご自身が陛下や宰相に詰め寄ったらしいんですなあ…断じてこの一件をウヤムヤにすべきではない、と」
「流石は公正中立、そして厳正で名高いアルスター候だな。 だがそれでもあの二人は首を縦に振らなかったのか?」
「ボーマン伯を捕えた場合、伯爵家そのものも取り潰すことになりかねないので、その後始末が面倒だって事らしいですぜ?」
「だから伯爵に自裁させるための猶予を与える、か? しかしあの男が大人しく自決するかな?」
大貴族の当主を罪に問う場合その家も取り潰され、一族や使用人まで連座することも珍しくはない。
そうなれば連座して処刑される家臣もいれば、取り潰された伯爵家の者たちの中には行き場も食い扶持も失う者たちも出てしまうだろう。
王や宰相としては後々の影響を考えて、伯爵家は存続させて伯爵本人だけを処断したいのだ。
その方針が間違いとは言えないとヴォルフも思ったが、表で正式に裁かないことへの不満と伯爵本人が素直に自裁を受け入れるだろうか、という疑念が王子の表情を苦くさせていた。
「ま、半年くらいしてもまだ伯爵殿が生き汚く悪あがきするようであれば…その時は容赦しない方針らしいですがね」
「…なんとも気の長い話だな」
苦い溜息と一緒にその言葉を吐き出した王子の様子に、ハルツは微妙に目を細めた。
「…少し気分転換でもしたら如何です? 宮殿裏にある庭の散策などがお勧めですかな」
「別にそんな事をしても…」
そう言いかけた王子は、ハルツの目に意味ありげな物がある事に気付く。
この年上の幼馴染がこういう目をする時は何かあると、彼はよく知っていた。
「さっき覗いたら珍しい小鳥もいましたぜ。 ちょっとは目の保養になるんじゃないですかね?」
「…そうだな、少し風にあたってこようか」
そう言って部屋から出て行く王子の後を慌てて追おうとしたマーベルの前に、ハルツが立っていた。
「何の真似ですハルツ卿? そこをどいて頂けませんか!」
「…馬鹿かおめえは?」
「な!何を…」
侮辱されたと思ったマーベルは言い返そうとして…気付いた。 ハルツの顔に怒りがあることに。
「今更、おまえら親子みてえな『宮廷貴族』どもに言っても無駄だとは分かってはいたが、流石にもう見ていられねえ…何でアイツの神経を一々逆撫でするんだオメエらはよ!?」
「わ、私は別に…」
「いいかよく聞けよ? アイツは…ヴォルフ殿下はな、おまえらみたいに生まれてからずっと周囲に頭を下げられ、チヤホヤ持ち上げられて来た人種じゃねえ。 王子とは名ばかり、この王宮の中に居場所すらないような、余計物扱いされて来た奴だぜ? アイツにしてみれば自分を置物以下に扱って来たおまえらみたいな連中よりも、自分を人間として接して来た『下々』の方がはるかに身近に感じられるんだよ!」
そのハルツの言葉で、最初は不満顔だったマーベルも徐々に理解し始める。
ハルツの言う通り、二年前までこの王宮におけるヴォルフ王子の扱いは『名前だけ高貴な邪魔者』でしかなかった。
兄であった第一王子と同じく王妃の腹から生まれたにもかかわらず、なぜか彼は生まれたその日からまともな王子として…いや、息子として母親からの愛情を受けられなかった。
赤ん坊の王子は乳母に預けられ、王宮の片隅でひっそりと育てられる。
そして他の貴族たちもそんな彼を『利用価値のない王族』と見なし、無視するかあるいは必用最低限の礼儀で接する者たちが大半であった…ごく一部の良識ある貴族を除いては。
彼を人として、王子として育ててくれたのは、乳母とその周囲にいる身分の低い人々、そして彼のことを気にかけるほんの一握りの貴族や騎士たちなのだ。
そんな彼の幼少期を知るハルツは、怒りに瞳を燃えたたせながら話を続ける。
「オメエらお貴族様にしてみれば、ドーブ卿の死やマコトが命を狙われたことよりも、暗殺なんぞ命じやがった伯爵家御一同の行く末の方がさぞや大事なんだろうがな? アイツにしてみればそっちよりも危ない目に逢ったマコトや、死んだドーブ卿と残された遺族への申し訳なさの方がはるかに大きいんだよ!」
「……だがそれでも、そちらよりも伯爵家の扱いを考えるのが我々や王子の勤めでしょう?」
言葉の意味を理解しながらもそう反論するマーベルだが、ハルツはフンと鼻を鳴らしてから言い返す。
「そんなこたあわざわざ言わなくたって、アイツもよく分かってるさ。 だからこそ風に当たって頭を冷やせって言ったんだぜ俺は? なのにオメエがノコノコついて行ったら気が休まらねえだろうがよ」
「う…」
そう言われて完全に反論の口実を無くしたマーベルは口を閉ざす。
「まあしばらくここで大人しくしてな? 殿下が久しぶりの逢瀬を楽しめるようにな」
「逢瀬だと? まさかそれは…ハルツ卿!」
「何だ? まさかお前、馬に蹴られたい性癖でもあるのか?」
にやりと笑うハルツとは対照的に、マーベルの顔には焦燥が浮かび上がっていた。
「つくづく嫌になるな…」
王宮の裏庭園に出たヴォルフ王子は、歩きながらそう呟く。
彼を憂鬱にさせていたのは、先刻ハルツから聞かされたボーマン伯とその一族への処分に関してだった。
ボーマン伯爵の行いは許しがたいが、その一族全てに累が及ぶような裁きは後々に禍根を残しかねない…だから伯爵自身に自分を裁かせる。
この国の王子として見た時、それが間違った判断だとはヴォルフは思わなかった。
貴族としての伯爵に情けをかける訳ではなく、彼の巻き添えとなる人間の数を減らすためには、そうした方がいいという意味でだ。
だが一方、そうする事で事件の真相の大半はうやむやにされ、殺されてしまったドーブや他の者たちの無念や、残された遺族への申し訳は立つのか?
彼らに真の下手人を告げず、それを公の場で裁かない事は正義と言えるのか…?
ヴォルフはそれが、ひたすら情けなかった。
「これじゃあ、マコトに合わせる顔だってないじゃないか…」
「別にそんなこと気にしなくてもいいよ?」
自分の独り言にそう言い返され、勢いよく振り返ったヴォルフの視線の先にいたのは、二年前に自分の前から消えた顔だった。
「マコト…?」
「うん、そうだよ?」
「どうして…」
「どうしてって…たまには顔を出せばいいのにって、ハルツに愚痴をこぼしたのはヴォルフでしょ?」
「そりゃそうだけど、だったらもっと早く来てくれよ!」
思わず大声でそう言うヴォルフに、マコトは神妙な顔で返答する。
「ゴメンね。でも正直言って、ここに戻って来るのがいいのかどうか判断できなかったんだ」
「それは…」
そう言いかけて、ヴォルフも言葉を失った。
二年前の王国の動乱を鎮めるのに最も活躍し、何より自分の支えとなってくれたこの少女は、その功績故に周囲から疎まれた。
アリーネやアルスター侯爵、あるいはレイス公爵ら『物が分かる』人間たちに認められる分、それ以外の者たちにとっては嫉妬と警戒の対象でしかなかった。
そんな空気を察したのか、あるいは王宮それ自体に関心がなかったのか、動乱が終結した日に彼女は王宮を出て行方をくらませた。
「あれから一体どうしたのかと思ってたけど…呑み屋をやっているって?」
「うん。 王都の職人街の隅っこに、小さな店を構えてね」
気負いもなくこともなげにそう語るマコトの様子に、ヴォルフは少し怒った声になる。
「ちょっとくらい相談してくれても良かっただろう? せめて店を持つなら援助くら…」
そこまで言いかけてヴォルフは言葉をとぎらせた。
彼女がそういう事(自分に対する過剰な施し)を、酷く嫌がる人間だということを思い出したからだ。
「そんなことしなくても大丈夫だって。 それにここから離れる時に第一騎士団長から金貨たっぷり貰ったから、ボロ屋を買って建替えてもおつりが来るくらいだったしね」
「そりゃそうだろうけど…いや、そんなことより平気だったか?」
「え? なにが?」
「なにがじゃなくてさ、あのドーブ卿を暗殺した刺客に襲われたんだろ? ハルツの話じゃ随分と危ない真似をしたそうじゃないか?」
「…ああその事か、別に危ないってほどじゃなかったから平気だってば」
「そりゃあお前の事だから大丈夫だろうとは思ったけどさ…何であんな無茶を?」
「別に無茶じゃないし、単に自分が仕出かした事を自覚させる手段を、アレしか思いつかなかっただけだよ」
その言葉でヴォルフは何処か納得した顔になった。
「なるほどな、下手人のオルフが取り調べに対しても、抜け殻のような態度だとは聞いたけど…」
その言葉を聞いたマコトの顔に影がさしたのに、ヴォルフは気付く。
「お前が気に病む必用があるのか? ドーブ卿を殺した上に、お前の命まで奪おうと襲い掛かって来た男だぞ?」
「そっちはいいんだけどさ、あの男に『思い知らせる』方法をアレしか思いつかなかったのが残念なだけでね」
「…なんというか、お前の考えることは相変わらず普通とは違うんだな」
「まあそうかもね、ボクやはかせがいた世界…国は、こっちとは随分違ってるからさ」
「そうか…お前や賢者殿の国から見れば、この国や俺たちがやってることは、さぞかし愚かで滑稽に映るんだろうな」
「そんなことはないよ(笑)、大体ボクたちの国だって、矛盾や駄目なところはいくらでもあったしね。 大切なのはそれを自覚出来ているかどうかじゃないかなあ?」
「自覚…か、果たして何人の貴族たちがそれを分かっているのやら」
少しばかり疲れた顔でそう呟くヴォルフに、マコトは少し逡巡してから、ここに来た要件を切り出した。
「あのさ、ヴォルフ…?」
「え? なに?」
「ハルツから…よく聞かされるんだけどさ、ボクの作った料理が食べたくなるって…」
「…うん!そりゃもう絶対!」
勢い込んでそう言ったヴォルフの様子に、マコトは思わず噴き出した。
「じゃあこれ、間食になるから軽い食べ物がいいと思って」
そう言いながらマコトが広げた包みの中にあったのは薄く焼いて折りたたんだパンだ。
「何これ? パンみたいだけど、何か挟んであるの?」
「うん、だけどまずは食べてみてよ」
そう言われたヴォルフは、それじゃあと手に取ったパンを一口食べる。
普通なら王位継承権を持つ者がそんな何だか分からない物を食べるなどと、口やかましく言い聞かせる人間はここにはいない。
少しの間もくもくと食べていたヴォルフの顔がゆっくりと綻んだ。
「美味い…何だこのパン…すごく美味い」
「気に入ってくれた?」
「うん!美味い!本当に美味い!!」
「よかった~♪」
安堵したような笑顔になったマコトを見て少し胸が弾むヴォルフだが、自分の食べていたパンの味が気になった。
鉄板で焼いただけの素朴なパンに、野菜と焼いた肉が挟まれている。
庶民がよく食べる形式の食事にも似ているが、味と見た目がずっと洗練されているように思えた。
「なあマコト、このパンは一体どういった料理なんだ?」
「どうって…ただのサンドイッチだけど?」
「サンドイッチ?」
「うん、こういう風に薄いパンとか薄切りのブレッドに、野菜や肉を挟んで食べる料理をそう呼ぶんだ」
「へえ…だけどこんな簡単な料理が、こんなに美味いなんてなあ…」
「簡単だからと言って、楽って訳じゃないよ?」
「え?」
どういう事かと顔に出して聞き返すヴォルフに、にっこり笑ってマコトは説明する。
「これだって最初からこうだったんじゃなくてね、本当にただ肉とかサラダを挟んだだけの物から、少しずつ工夫を重ねて来たからみんなに美味しいって言ってもらえる料理になったってこと」
「ああ、そういうことか…」
「どんなに簡単に、当たり前に見えることでも、最初からそんなに上手くいくはずないよね」
「え? それって…」
「あんまり急いで焦っちゃ駄目ってことだよ? 何でも最初から上手く行くはずないんだからさ」
「そうか…そうだな」
言われて初めてヴォルフは気付いた。 自分が焦っていたことに。
用無し王子という、特異な立場からこの国を見続けて来たヴォルフは、国や王家や貴族たちを蝕む様々な『病巣』に以前から気付いていた。
そして不本意な形でとはいえ、第一王位継承者となり国政に関与する立場となった以上は、それらの歪みを何とかして正したいと思い務めて来たのに、現実は中々上手くいかず、知らず知らずの内に焦っていたのだ。
再び無言でサンドイッチを頬張ったヴォルフは、自分の心が落ち着きを取り戻していることに気付いた。
(美味いな…このパンは本当に…)
懐かしい味だと思った。
あの動乱の中で幾度も危機を乗り越え、その都度自分やハルツたちの疲れを癒し、空腹を満たしてくれた味…
そして動乱の終結と同時に、自分の前から消えた味だった。
「…美味かったよ、ありがとうマコト」
「少しは元気が出たみたいだね、ヴォルフ?」
「まあね…本当はこれが毎日食べられたらもっと元気になるんだけどな」
「…それは無理だよ」
穏やかに、だがはっきりとマコト言った。
「ボクがここにいたって、キミやこの国のために何か出来る訳じゃないんだよ?」
「馬鹿言うなよ⁉ この国を破滅から救ったのはお前なんだぞ!」
「それは非常時の『やっつけ仕事』としてでしょ? 平時の国政にボクの剣が役にたつと思う?」
「それは…そうだが…」
「平和になればボクみたいな人間は用無しだし、それでいいんだと思うよ? だからドーブさん も下手な出世話とかは断っていたんだと思う」
「そうだな、だけどその挙句に今回の結末じゃなあ…」
「遺族への援助とかはして上げたの?」
「ああ、国として正式にではないけど、彼の生前の行いに応じた恩賞という形でね」
「そうか…うん、それでいいんだと思うよ? キミにというより、他の誰かや国にだってそれ以上の事はして上げられないと思うんだ」
いくら金貨を積もうと死んだ人の代わりにはならない。
他者や国がしてやれるのは、残された遺族が生活に困らないよう援助してやる事だけなのだ。
それはヴォルフにも分かっていた。
分かってはいたがやりきれなかった…あの動乱の中で、心からの信頼がおけた数少ない騎士の筆頭とも言えた男の死に、自分は大して報いてやることすら出来ないのかと。
せめて自分にとって一番大切な者だけは失いたくない、手放したくない…
そう思ったヴォルフは無意識の内にマコトを引き寄せ、抱きしめていた。
「……」
王子に抱きしめられたマコトは彼を突き放すでも抱きしめ返すでもなく、ただ宥めるように肩と背中を優しく撫でる。
少しの間そうしていた後で、ゆっくりとヴォルフは腕を解いた。
「あのさ、マコト…」
「ごめん、そろそろ帰らないと」
「…そうか」
大切なことを告げようとして機先を制されたヴォルフだが、それ以上の無理強いは出来なかった。
「その内また来るからさ…」
「いや、それはいいよ」
「え?」
「今度は俺がお前の店に行くからさ」
「はあ⁉ ナニ言ってるのさ?」
「ハルツが毎晩通ってるのに、何で俺が行っちゃいけないんだ?」
胸を張ってそう言う王子にマコトはジト目で宣告する。
「言っておくけど、何か問題になっても擁護してあげないからね?」
「もちろん!」
「はあ…仕方ないなあもう、ハルツと一緒に来るら構わないよ」
「一人じゃ駄目なのかよ?」
「…キミ、今の自分の立場分かってる?」
「そりゃ…まあ…」
「さて、それじゃそろそろお暇するね」
「あ、そういえばどうやって城に入ったんだ? ハルツが手びきしたのか?」
「ん? 違うよ、あそこから降りて来ただけ」
「…はあ⁉」
マコトが指さした先を見たヴォルフは絶句した。
そこは王宮の裏にそびえる断崖絶壁にも等しい岩山だったのだ。
「あっちって誰も見張りいないみたいだからさ、降りて来るのは割と楽だったよ?」
「楽って……おまえ本当にあの岩山を登ったり降りたりしたのか⁉」
「うん、コツさえ覚えればこういうのって割と簡単だよ?」
あっけらかんとそう言うマコトを、呆然として見るヴォルフだが、少ししてから再起動する。
「…そうだな、お前には普通に出来ることだったよな」
「じゃあね、そろそろここを離れないとうるさいことになりそうだから…さ」
「え? ああ、そうらしいな」
マコトの見ている先を追ったヴォルフの目に、ハルツとマーベルの姿があった。
そして別れを告げようと振り返ったヴォルフの前から、すでにマコトの姿は消えていた。
「いいさ…今度は、俺の方から逢いに行く番だ」
ニヤニヤした顔で近づくハルツと、憮然とした顔で小言を貯め込んだマーベルを見ながら、ヴォルフ王子はそう決意していた。
第6話 終わり
作者による蛇足
作品中にパンとブレッドという表現がありましたが、マコトが王子に食べさせた『パン』とは塩と水と小麦粉だけで練り、鉄板で焼いた物です。
我々が普通に知るパンはブレッドの方で、こちらは酵母を練り込み発酵させてから竈で焼くものを言います。




