・狼王子と笑わない聖女の同じ夢 1/2
「よし、ならば撫でていい」
「え……。撫でろって……な、なんでそうなるんですかっ!?」
「少しは気もまぎれよう。好きにこのお腹を撫でるといい」
「だから、なんで……」
目を向けてみると、狼とは思えないほどに高貴でやわらかな毛並みがあった。
話の流れは支離滅裂だけど、触っていいと言われたら惹かれるものがある……。
誘惑に負けてそっと触ってみると、まるで洗いたての毛布のようにやわらかかった。
獣臭さはあったけれど、皮下脂肪を含むサラサラでプニプニの指触りは、わたしを無心にさせる。
不思議と気持ちが安らいだ。
暖かな朝日に照らされながら、木陰の下で狼の――ジーク様のお腹を撫でていると、やさしい気持ちが胸に広がった。
「いい微笑みだ。貴方はやはり美しい。こんななりの獣に言われても嬉しくないかもしれないが、肩書きを失おうとも、貴方は聖女ソニアだ」
「ふふ……。21年生きてきたけど、狼さんに口説かれたのは初めてです」
お世辞じゃなくて、ジーク様はやっぱり本気で言っているのかな……。
本気でわたしのことを、美しい聖女だと言ってくれていたら、どんなに嬉しいことか……。
ううん、王子様が落ちぶれたわたしを選ぶなんて、そんなことはあり得ない。
それからしばらくしてジーク様が起き上がった。
どうしても名残惜しいので、わたしはジーク様の首に触れ直した。
「目的がないのは私も同じだ。弟に謀られてより、私は獣として目的のない人生を生きている」
「元の姿に戻ったり、復讐をしたいとは思わないのですか……?」
「憎悪に身を染めて生きる気はない。私は弟のことをまだ愛している。何よりも私は、この姿が存外に気に入っている。王子としての人生はあまり面白いものではなかった」
「そうですか……。そんな貴方が国王になったら、あの国は安泰だったでしょうね……。わっ!?」
わたしの声が低かったからか、ジーク様がわたしの頬を大胆に舐め上げた。
「もう王宮のことなど、どうでもいいではないか。もしも不安ならば、これからは私が貴女を守ろう。貴女はまだ失意の中にあるのかもしれないが、今の私は幸福だ」
「幸福……そんな姿なのに、幸福なのですか……?」
「ああ、幸福だ。こうして自由を手に入れた上に、弟に奪われたはずの貴女が、私の前にやってきてくれた!」
「ぇ……っっ!?」
わたしと一緒にきてくれる上に、ジーク様はわたしへの好意を隠さずにそのまま口にした。
嬉しい……。この先、どうすればいいのかわからなかったけど、ジーク様と一緒ならもしかしたら……。
「ソニア、行くあてがないのならば、私と共に探さないか? 共に新しい人生を探そう」
ジーク王子が狼の姿で助かった……。
昨晩見た麗しい王子の姿で今の言葉を言われたら、わたしは彼に夢中になってしまっていただろう。
「まさか、嫌か……? 何か言ってくれ!」
「いえ、そうではなく……」
生まれて初めての強い感情に、わたしは戸惑っていた。
狼に対して、身体が熱くなるこの感覚はなんなのだろう……。
シグムント王子にすら、こんなワクワクと期待のこもった感情はなかった。この感情はもしかして、これこそが本当の――
「どうした、熱でもあるのか?」
「ひっ、ひゃぁぁっっ!?」
ジーク様は黙り込むわたしに、今度はおでこを舐めてきた。
またカァ~ッと身体が熱くなるのを感じた……。
目の前にいるのは狼だけど、正体はあのたくましいジーク王子様だ。そう思うとわたしはやっぱり正気を保てない……。
「これは、熱があるな……」
「ジ、ジーク王子様にっ、そんなことされたら誰だってそうなりますよ……っっ」
「ははははっ! そういえばそうだった、俺はこの国の王子であり男であったな」
「ど、どれだけ伸び伸びと、今日までを生きてこられたのですか……」
「すまん。だがこの姿を取っているときは許してくれ。こうせずにはいられないのだ」
「まるで犬みたいです……」
「事実だ。私はもう王子ではない、一匹の狼だ。励ましたくなったら、誰彼構わず人の顔を舐める」
ふと気づけば、わたしはさっきからずっと微笑んでいた。
今は狼だけど、昔から憧れていたジーク王子と向き合って、幸せな気持ちに包まれていた。
「で、どうだ? これから私と一緒に行かないか?」
わたしは言葉ではなく、首を縦に振ってうなづいた。
今は驚きと興奮で混乱している。上手く舌が動きそうもなかった。
「よかった……。さて、ではどこに行って、何をするかだな!」
「それは……わたしもわからない」
「奇遇だな、それは私もだ。今日まで先のことを気にしたことすらなかった」
「ジーク様らしいです……」
先の予定を一人で考えるのは苦しかったけれど、二人になった途端に希望の匂いが満ちあふれた。
だからこれから自分がどうしたいかを、自分を偽らずに考えた。
「ならば質問を変えよう。これからどこで暮らそうか」
「だったらこの国以外がいい……。この国はもう嫌……わたしは別のどこかがいいです!」
「ふむ。では賑やかなところと、静かなところ、どっちがいいだろうか」
「……贅沢かもしれないけど、田舎よりは都会がいいです」
田舎のような人との距離が近い世界で、上手くやっていける自信がない。
「そうだな。私も辺境に長居し過ぎた。都会で暮らすのも悪くない」
そこまで会話して、わたしは目の前にある根本的な問題に気づいた。
「え、だけど、その狼の姿で……?」
「飼い犬と言えばいい」
「それは……かなりの無理があるような……」
「堂々としていればたいていの話は通る」
「そ、そうでしょうか……?」
「そうだ」
ジーク様、王宮でお見かけした頃より、精神的にたくましくなっている……。