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・狼王子

 ついこの前まで、わたしは何にも困らない生活をしていたというのに、今は薄闇の森で狼と焚き火を囲んでいる。

 二日お風呂に入らないでいると、三日目からは気にならなくなってしまうことを、わたしは久々に思い出した。


 話してみると、狼はやはり紳士的で、気品を感じさせる不思議な魅力を持っていた。

 私が眠れる狩人を守っている間、彼は森を駆け回って乾いた(たきぎ)集めてくれた。


 恵まれた毛皮を持っている彼には、焚き火なんて別に必要ないのに……。


「ねぇ、狼さん。貴方は童話の狼のように、油断したわたしを食べてしまうのですか?」

「まさか。人など喰ったことも、喰いたいと思ったこともない」


「そうですよね。ただ聞いてみただけです」

「信じてくれ。肌寒いかもしれないが、もう少しの辛抱だ」


「大丈夫です。貴方の焚き火のおかげで、寒くはありませんから」


 曇り空に明るい月影だけが浮かんでいる。おぼろ雲が渦巻く姿を、もう何年もじっくりと観察していなかった。

 わたし……こんなところで何をしているのだろう。


 それからさらに赤々とした炎を無心に眺めて時を待つと、ようやくその時がきた。


「待たせたな……」


 狼の身体が真っ黒な影に変わり、それが人の形の影に変化した。

 その影が少しずつ立体感と色彩を持ってゆくの見守ると――わたしはそこに現れた姿に、目を見開いて驚く他になかった。


 それは出奔した第一王子ジークフリート様だ。

 最もこの国の玉座に近いところにいた男が、焚き火の炎に照らされながらわたしを見つめていた。


 まるで軍人のように大きく立派な体躯だった。

 精悍な顔立ちと、褐色の髪色は王宮で見かけた頃のジーク王子よりも勇ましく、揺るぎなかった。


「私を信じてくれてありがとう。久しぶりだ、聖女ソニア」

「そんな、なぜこんなところで貴方が……。ジークフリート王子、ご無事だったのですか……?」


 3年前、彼は前触れもなく王宮より姿を消した。

 誰かに暗殺されたとも、女と駆け落ちしたとも、弟のシグムントに王位継承権一位を譲るために出奔したとも聞いた。


 それがまさか、こんな森で狼をやっていただなんて……。


「よかった、覚えていてくれたか。もしも忘れられていたらどうしようかと思った。……ところで聖女殿、弟は元気か?」

「ッッ……それ、は……」


「どうした、何かアイツの身に――」

「違います……。わたしはもう21歳、厳密には既に聖女ではありません。それにすっかり力が枯れてしまったせいで、わたしは……わたしはシグムント様に……先日、捨てられて……」


 思い出すだけで胸が苦しく、息が詰まりそうになった。

 悔しい。あんな仕打ちを受けたら、一生忘れられるわけがない……。


 一生わたしは、あの思い出を抱えて生きてゆくしかない……。


「弟がそんなことを……。前々から軽薄なところはあったが、それにしても、なんて男だ……」


 おやさしいジーク様は、実の弟ではなくわたしの方を哀れんでくれた。

 心から私たちの破談を悲しんでいるようだった。


「いいえ、シグムント王子に恨みはありますけど、仕方がないことです……。わたしは王妃の座が欲しいだけの、とてもつまらない婚約者だったのです。わたしは、彼に一度も、笑ってあげられませんでした……」


 いつから笑顔を忘れてしまったのだろう。

 笑顔さえ忘れなければ、わたしはまだ彼の隣にいられたのだろうか……。


 幸い、今はシグムント王子への憎しみしか残ってなかった。


「そんなことはない。私は王宮に上がって間もない頃の君を知っている。つい目で追ってしまうくらいには、魅力的な少女だった。君の笑顔も覚えている」

「お気持ちだけでも嬉しいです」


 今のわたしにはお世辞に聞こえた。

 王宮に上がってまもない頃のわたしは、ただの痩せっぽっちの小娘だった。記憶に止まるはずがない。


「う、うう……。あ、あれ……あなたたち、は……」

「おお、ようやく目が覚めたか。俺はジーク、こっちはソニアだ。君を助けにきた」

「ソニアです。お子さんたちが心配していました」


 狩人のお父さんが目を覚ましたので、わたしたちは森を出ることにした。

 わたしが薪を使った松明を持って、ジーク様が大柄な身体で彼を背負って、狼の直感なのか町の方角を指さしてくれた。


『魅力的な少女だった。君の笑顔も覚えている』


 暗闇の森を歩きながら、わたしはさっきの言葉を何度も思い出しては頭から振り払った。

 どうせお世辞だ。わたしはもう二度と、甘い言葉には騙されない。


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