黒太子ジュリアス・クラフト 2
私はジュリアスさんの側に行った。
奴隷闘技場から大人しくついてきてくれたジュリアスさんだけれど、噂通りの凶暴な人で手に負えなかった場合、私が錬金術で作った隷属の口枷をつけようかなって思っていた。
隷属の口枷はお散歩中に吠えてしょうがない犬につける口枷を見て思いついた。錬金術とは想像力である。作ろうと思えば大抵なんでも作れる。
人体錬成以外はの話だけど。
ジュリアスさんは私よりも頭ひとつと半分ぐらい大きい。側に行くと迫力がある。あと薄汚い。
つまらなそうなくすんだ青色の瞳が私を見た。
「ジュリアスさん、立場を把握してくれたところで、お風呂に入りましょう」
「風呂、ね」
「今のジュリアスさんは非衛生的です。綺麗にしましょ。その目の傷も、ちゃんと治しましょう。で、お洋服を取り替えましょう」
「嫌だと言ったら?」
「ジュリアスさんのご主人様は私なので従ってくださいな」
「俺は奴隷になって三年。風呂の入り方も忘れた。入れてくれるのか、ご主人様?」
ジュリアスさんは揶揄うように言った。
皮肉気に口元が歪んでいる。
私はちょっとムッとした。ジュリアスさんは私を歳下だと思って侮っている。これでもそれなりに苦労してきたのだ。
そんなことぐらいで私が赤くなったりきゃあきゃあ言うと思ったら大間違いである。
「良いですよ。ジュリアスさんは私の奴隷なので、綺麗にするのは主人の義務です。さ、行きますよ」
ジュリアスさんは視線を逸らして嘆息した。
私をそこらの二十歳のお嬢さんだと思っていたのだろう。三年前は立派な貴族のお嬢様だったけど。
「あ。手枷が邪魔ですね」
私はジュリアスさんの両腕の魔法錠に手を翳す。
「クロエ・セイグリットの名の下に命ずる。錠前よ、首輪に変われ」
私の詠唱とともに赤いメビウスの輪のようなものは、ジュリアスさんの手からするりと離れて、一人でに今度は太い首へとまきついた。
輝く赤い紐から、真っ黒なただの紐へと姿を変える。一見質素な首飾りに見える。
「ジュリアスさんが私のいうことをきちんと聞いてくれる良い奴隷さんになったら外してあげますけど、今はまだ我慢してくださいね。黒太子ジュリアスを野放しにした、なんてことになったら私は今度は確実に処刑されちゃいますから」
「真偽も定かではない罪で投獄の上身分剥奪とは、運のない女だな」
「自国に裏切られて奴隷落ちするジュリアスさんも運がないですよ、相当」
ジュリアスさんは椅子から立ち上がった。見上げるほどに背が高い。そして埃っぽい。
「魔法錠が首にある限り、ジュリアスさんは命令違反はできませんからね」
「知っている。命令違反をすると、体に死ぬほどの痛みが走り、ろくに動けなくなるからな」
「それは良かったです。それでは、さっそく。クロエ・セイグリットはジュリアス・クラフトに命ずる」
私は背の高いジュリアスさんの首に手を伸ばした。
できればまだ座っていて欲しかったけど、仕方ない。
「ひとつ目の制約は、私から離れないこと。声の届く距離にいること。二つ目の制約は私の嫌がることをしないこと。良いですね?」
言葉が終わると、ジュリアスさんの黒い紐の真ん中に錠前の形の飾りが現れる。制約がなされたということだ。
「抽象的だな」
ジュリアスさんは眉を顰めて言った。
「つまり命令をきくことですが、私はジュリアスさんの自由を制約したい訳じゃないので、まぁ、なんていうか、害のない同居人ぐらいの距離感が良いんですよ」
「甘いことだ。お前は自分が手に入れた男がどんな人間か知らない愚か者だな」
「知ってますよ。ジュリアスさんです。さぁ、お風呂ですよ、お風呂。クロエちゃん自慢のお風呂を見せてあげますよ」
ジュリアスさんは小さく舌打ちした。
迫力はあるけれど、怖くない。私だって伊達に、着の身着のまま王都の路地裏に捨てられた訳じゃないんで。
私はジュリアスさんを連れて部屋を出た。
クロエ錬金術店は王都の中心街に店を構えている。店舗兼自宅の一軒家である。
一階がお店兼錬金釜置き場、二階が生活スペースになっている。
お店のある正面玄関から廊下を挟んで錬金釜置き場、廊下に二階への階段がある。
私の部屋にお風呂もついている。ジュリアスさん用の部屋は倉庫になっているので、そのうち片付けなきゃいけない。
ベッドぐらいしかない私の部屋に入り、中の扉の奥のお風呂場へと案内した。
脱衣所には洗濯カゴとタオルが置かれている。木製の床に、麻の敷布を敷いてある。出窓には星形のランプがある。お風呂と脱衣所の境目には仕切りはない。
お風呂場は一段低くなっていて、白いタイル張りになっている。
私は目の前に突っ立っているジュリアスさんに命じた。
「さあ、服を脱いでくださいな、ジュリアスさん」
「生憎脱ぎ方も忘れた」
ジュリアスさんは皮肉気に笑いながら言う。
「嘘ですね、嘘。でも私は優しいご主人様なので、脱がしてあげましょう」
また試しているわね。
ジュリアスさんが実は優しくて良い人、だなんて甘いことは私も考えていなかったけど。
案外ちゃんとお話してくれる。それだけでよしとしましょう。
私はジュリアスさんの黒い外套に手を伸ばした。
沢山あるベルトをかちゃかちゃしてみる。硬すぎて押しても引いても外れない。
しばらくかちゃかちゃしている私を、ジュリアスさんは無言でみつめていた。
「もう良い、自分で脱ぐ」
ため息混じりにジュリアスさんは言った。
「私はやると言ったらやる女。ジュリアスさん、待っていてくださいな」
「日が暮れる。錬金術師とは、非力なものだな」
「非力さを錬金術でカバーするのが錬金術師なんですぅ」
もし私が武力に優れてたら、こんなとこでこんなことしてないわよ。
ジュリアスさんはさっさと自分で外套を脱いだ。脱いだ外套が床に落ちる。どさり、と重そうな音がする。
外套の下は裸体だった。余計な肉のない細身だけれど筋肉質な体には細かい傷が沢山ある。古いものから新しいものまで、治療されないまま勝手に塞がったのだろう、引き攣れが残っている。
さっさと下穿きまで脱いだ全裸のジュリアスさんに、私は大きめのタオルを押しつけた。
流石に下半身は見れない。見ても良いけど、一応、礼儀として。
ジュリアスさんは私を虐めるのに飽きたのか、腰にタオルを巻いてくれた。良かった。
私もブーツと靴下を脱いだ。一緒に入るので。
「さぁさぁ、綺麗にしましょうね、ジュリアスさん。すっきり爽やかになれば、気分も爽快になるというものです。見てくださいな、お風呂。クロエちゃんの錬金した、循環温泉石が入っている湯船は、四六時中清潔なお湯が沸いては浄化されるという仕様です」
猫足のバスタブには、たっぷりと乳白色のお湯が張られている。バスタブの底に嵌め込んだ循環温泉石のおかげだ。
「循環温泉石のすごいところは、なんとちゃんと温泉なんですよね。ルーガル地区の名湯雪月花のお湯にいつでも入り放題! これがまた、なかなか良い値段で実に売れる。材料集めがめんどくさいのが難点です」
私はジュリアスさんの背中を押して、バスタブに入るように促した。
腰にタオルを巻いて首輪だけをつけたジュリアスさんは、素直にバスタブに入ってくれた。
たっぷりのお湯がジュリアスさんの質量で溢れて、排水溝に流れていく。
思ったよりも勢いよくお湯が溢れたので、私のエプロンドレスが濡れた。
まぁ着替えれば良いや。
薄汚れたジュリアスさんのせいで薄汚れたお湯が、循環温泉石の効果で瞬く間に綺麗になっていく。素晴らしい浄化の力だ。惜しむらくは、一ヶ月程度で効果が切れてしまうことだろう。永久不滅の循環温泉石はまだ作ることができていない。
「ジュリアスさん、頭洗いましょ、頭。包帯外しますよ」
「好きにしろ」
ジュリアスさんは目を閉じて気持ちよさそうにしている。
私が入ると大きめの浴槽も、ジュリアスさんが入ると手狭に見えた。
私はジュリアスさんの背後に回り、ぱりぱりに乾いた包帯をシャワーのお湯で湿らせる。
このシャワーも循環温泉石をヘッドに嵌め込んでいるので、ヘッド部分しかないのだけれど、持ち手にあるスイッチを押すと温かいお湯が出る。
まだ商品化はしていない。シャワーヘッドを作るのはちょっと手間なので。
「痛かったら言ってくださいね」
私はジュリアスさんの頭から右目に巻いてある包帯を外した。
お湯で濡らしたせいか、案外簡単にするりと外れた。
包帯を外した右目は、眼窩がぽっかりと虚になっていた。
頬から額まで引きつれが残っている。傷は膿んだりはしていない。だいぶ古い傷に見えた。
「三年前に、片目が潰された。傷跡は、見ていない。まぁ、この通り生き残っているからには、治ったんだろうな」
「運が良いやら悪いやらですね。酷い傷ですが、結構綺麗にふさがってます。ジュリアスさん、自己治癒能力高いタイプですか?」
「奴隷は、魔法は使えない。刻印のせいでな」
お湯に入って爽やかな気持ちになったのだろう、ジュリアスさんが饒舌だ。
私は刻印を確認する。
首の裏側、襟足より少し下に、二つ角のある獣の頭蓋骨のような刻印が刻まれている。奴隷の証だ。
髪が長いから、気づかなかった。
「自己治癒能力は魔法じゃありませんよ。勝手に傷を治す元々の体の機能のことです。傷もいっぱいありますし、ジュリアスさんは頑丈なんですね」
「そのようだな」
「綺麗な義眼を作ってあげますね。なんか能力もつけちゃいましょ。何が良いかなぁ、女性の服が透けて見えるとか、嬉しいですかジュリアスさん」
「お前の服も透けるぞ」
「あ。じゃあ駄目です」
私はジュリアスさんの髪を洗った。何回かシャンプーをつけて泡立て、何回もすすぐと、べとつきがだいぶ取れたようだった。