ディスティアナ制圧戦
国境の町から続くディスティアナ皇国との境目の草原には、馬止めの木を組まれて作られた柵が幾重にも敷かれている。
その内側に天幕がいくつも張られて、シリル様や他の貴族の方々が率いる王国軍とロジュさんの傭兵部隊の駐屯地が出来上がっている。
コールドマン商会の私兵の方々も多い。エライザさんのお兄様がエライザさんやお父様の罪を償うという意味を含めて、資金や兵の提供をかなり多く行ってくれたらしい。
私はジュリアスさんと共にヘリオス君の背中に乗って、広い草原に整然と並ぶ騎馬兵や、その後に続く歩兵の方々の姿を眺めている。
私たちの横にはナタリアさんが、魔法の箒に跨ってふわふわ浮いていて、その横には白い飛竜のアリオン君に乗ったヴァイラスさんがいる。
「此度の戦いは、この世界を守るためのものだ。アストリア王国に厄災を齎した者と同じ存在が、ディスティアナ皇国にも巣食っている。このまま指を咥えて見ていれば、大陸は災禍に飲まれるだろう。我らと志を同じくする、ラシード、ディクセンの両国と共に、皇都ハルモニアまで進軍する!」
シリル様の声が、高々と響いた。
「我ら連合軍アルマアンヘルは、必ず悪魔を打ち滅ぼし、ディスティアナ皇国を開放するだろう。これは聖戦だ。皆、臆せず、胸を張り、戦え。我らには天使と戦神の加護がある。クロエ、ジュリアス、皆に言葉を!」
「え……っ」
シリル様が急に話題を振ってきたわよ。
心の準備、まるでできていないのだけれど。
「この戦いの相手は――人間ではない。魔物の軍勢が襲い掛かってくるだろう。それがどれほど強大な力であろうと、俺は、勝つ。俺には守らればならない、大切なものがある。お前たちも同様だな」
ジュリアスさんの落ち着いた声が、淡々と草原に響く。
大声を張り上げているわけじゃないのに、良く通る。中低音の甘さのある声。
聞いていると、心が落ち着く声だ。
「命を捨てる覚悟などするな。恐れることは恥ではない。傷つき倒れる前に逃げろ。俺が、――全てを薙ぎ払ってやろう」
そう言うと、ジュリアスさんはヘリオス君の上で、いちど槍を振った。
風を切る音がする。槍の穂先につけられた赤い飾りが揺れる。
黒い竜に乗った、黒いアリアドネの外套に黒い槍を掲げるジュリアスさん。
風に靡く金色の髪は、夜空に輝く月みたいで――とても綺麗。
三年前は、皆、黒太子ジュリアス・クラフトの姿を、絶望と共に見たのだろう。
けれど今は、ジュリアスさんに注がれる眼差しは、希望に満ちている。
「ジュリアスさん、格好良い……」
思わず私が呟くと、ジュリアスさんは「柄ではないな」と、小さく言った。
「ジュリアス、格好良いな、お前……! 本当に、お前は……! 頼りにしてるぞ!」
ロジュさんの大声が響いて、傭兵団の方々から笑い声があがる。
黒装束に身を包んだアンリ君が、両手を胸の前で握りしめてジュリアスさんに尊敬のまなざしを送っている。
「クロエちゃんも、何か言葉を! 俺たちの勝利の女神、アルマアンヘル――天使の率いる軍。それは、クロエちゃんのことだ。ナタリアさんもだが、クロエちゃんも、この角度から見る足がまた、良い。最高にやる気が出る!」
「ロジュさん、セクハラ……! え、ええと、皆さん、頑張りましょう……! 私は……大陸最強の、真理を極めし美少女天才錬金術師です、私がいるから、大丈夫! 大船に乗ったつもりで、私を頼ってください!」
こほんと咳払いしたあと、私は大きな声で胸を張って言った。
いつものやつだ。
いつものやつだけれど――今日は、あんまり恥ずかしくない。
もしかしたらこの言葉を言うのは、今日で、最後になるかもしれない。
なんだかそんな予感がした。
私の声と共に、大きなうねりのように鬨の声があがる。
シリル様の合図とともに、騎馬隊がゆっくりと、一つの巨大な動物のように動き始める。
「良いこと、クロエ。魔力は温存なさい。あなたは、切り札。あなたとジュリアスには、倒すべき相手がいる」
ナタリアさんが私の横に近づいて来て、言った。
「ジュリアス、クロエを頼むわよ。なんて言わなくても、もう大丈夫だろうけれど。ま、生き残るわよ。勝って、生き残る。大丈夫、だってここには空前絶後の世界最強錬金術師、ナタリア・バートリーもいるのだからね」
ナタリアさんが私を元気づけるように、片目をつぶって言う。
「はい! ナタリアさんも、怪我をしないでくださいね。ナタリアさん、……ナタリアさんは、私の、お母様と、同じだから……」
「あら。今生の別れみたいな、可愛いことを言ってくれるじゃない。そういうのは、死地に向かう人間が言うことなのよ。私は死なないわよ。だって、クロエの子供を育てるんだから。錬金術師として、魔導士として、最高の英才教育を施してあげるわよ」
「それは……ちょっと凄いですね」
そんなことをされたら、その子は伝説の錬金術師とかになるのではないかしら。
私は苦笑した。
大丈夫――私は、落ち着いている。
不安がないといえば嘘になるけれど。私にはみんながいる。
みんなを、ジュリアスさんやナタリアさんを、大切な人たちを、守ろうと思えば思うほど、不思議と勇気が湧いてくる。
軍と共に、ヘリオス君が上空をお散歩でもするように、静かに進んでいく。
ディスティアナ皇国の領地に入ると、涼し気な風が吹いていた草原から景色が一変して、枯れ果てた荒野が広がっていた。
ラシード神聖国にも荒野があったけれど、あれは自然が作り出した景色だったように思う。
けれど、ディスティアナ皇国のそれは、不自然だ。
まるで炎が大地を舐めた後のような、長く続く飢饉のせいで木々の皮までを食べつくしてしまったような――そんな、物悲しく不安を駆られる景色だった。
「……ハルモニアまでは、いくつかの街が点在している。かつても国境に近づくにつれて酷い有様だっだが……まるで廃墟のようだな」
ジュリアスさんが言った。
上空から見る街と思しき場所は、屋根がはがれおち、壁が崩れて、朽ちている。
人の姿はない。
もしかしたらどこかに隠れ住んでいるのかもしれないけれど、見当たらない。
「ディスティアナの民をけして傷つけるな。我らは略奪者ではない。戦いを恐れる者、自信のないものは、民を駐屯地に連れて行き、保護を。できることをして欲しい」
シリル様の声に、私はほっと息をついた。
無事な人がいたら助けたいと思っていたけれど、それはシリル様も同じ。
街の中に兵士の方々が入って行く。ロジュさんやシリル様の呼びかけで、廃墟の中や地下などから人々が出てくる。人々は、白い飛竜を指さして何かを叫んでいる。
たぶん、きっと、聞くに堪えられないような言葉を。
ヴァイラスさんは、恨まれているのだろう。私はジュリアスさんの背中の服をぎゅっと掴んだ。
同情したって――どちらに、同情するべきか、わからないけれど。
何が変わるわけじゃないということはわかっているのに。
苦しい。
「……ひどいことが、起こっていたんですね、ずっと。……私、許せません。皆を苦しめた、もういない、メフィストも、サマエルも……それから、メレク、も。オズワルドも、大嫌いです」
「感情的になるなとは言わない。だが、感情を抱くことさえ無益な相手だ。クロエ。……お前は、俺に愛の言葉でも囁いていろ。それ以外は何も考えなくて良い」
「……好きですよ、ジュリアスさん。うん。そうですね。その方が、ずっと良いです。憎んだり苦しんだりするより、ジュリアスさんが好きで、格好良いなって考えていた方が、ずっと」
「……冗談だ。本気にするな」
「ジュリアスさん、冗談言っている時の顔が同じだから、全部本気に聞こえるんですよね」
廃墟となった街に部隊を少しづつ残しながら、ハルモニアへと軍を進める。
前方に、黒い塊のような何かがある。
ハルモニアの方角の上空には暗雲が立ち込めている。
いつか見た、黒い点のような、何かが――今ははっきりと目視することができる。
「来るぞ、クロエ。落ちるなよ」
「はい……!」
翼ある魔物たちが、群を成してこちらに向かってきている。
大地を震動させるような足音が響く。大地を這う巨大な魔物の群れの姿もある。
私はヘリオス君の新しい鞍にある持ち手を掴んで、片方の手で、布鞄を握りしめた。




